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その人はあの人のことを「天ちゃん」と呼んだ その人、中西さんはかわいいおばあちゃん。料理が上手い。美味しいきゅうりのぬか漬けを職場に持ってきてくれた。
肩が凝るとソロバンでこんこん肩をたたいて、あの頃はまだパソコンはなかったけど さすがに計算機はあった。でもこっちの方がいいと。
ウルサ方の建設職人が来てはいつも長話。女たちもお茶菓子を持って来ては長話
中西さんが長野の田舎から出て来た時、街で豪華な屋根付きの車を見て、おったまげた! 都会にはあんなものがあるのか!霊柩車だった。そんな田舎娘が結婚した相手は東芝の人。世は大日本帝国イケイケの真っ最中。
軍需産業のど真ん中で、中西さんの夫さんは社内誌の中で、合法的反戦活動をしていた。最高刑死刑の治安維持法が幅をきかせている時代に。
文学者も詩人も大政翼賛会。戦争のセールスマンを買って出た時にだ。 
「でも 肝の据わった人というか 大胆な人でねえ。天ちゃんのことも 堂々と批判していたし みんな天ちゃんには逆らえないし。それどころかなんか言うだけで特高に引っ張られたし、そんな時代だったのにねえ」
中西さんは事あるたびに何かと「天ちゃんは」と口にした。「天ちゃん」は 「どっかの悪いオヤジ」なのかあ。そう思って、若いぼくは「そうなんですかあ~」とよく解りもせず相槌を打っていた。天ちゃんが天皇だとわかったのはだいぶあとのことだ。
昭和63年の年末、昭和の天ちゃんは下血を繰り返し、マスコミは大騒ぎ
いや 鳶の親方はもっと大騒ぎ。
いま死なれたら、正月のお飾りを独占販売できる唯一の機会がなくなっちまう!
いや死んだってお飾りはお飾りだ!正月にはつきものなんだから、天ちゃんがどうなろうと売るしかない!
ケンケンガクガク 天ちゃんそっちのけで 死んだのいつ死ぬかだの。 
下血騒ぎは結局、天ちゃんが翌年1月7日にうまいこと死んでくれたので、お飾りもうまく売り捌けた。
ということで、実は神棚を毎日拝んでいる社長も、靖国神社の神主も
やっぱり肉感的実感、天地神明じつは天ちゃんだった。
「そうそう、天ちゃんよ」と中西さん、あの世で笑っているかもしれない。

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