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7インチ盤専門店雑記505「産業ロック:Journeyの初期は…」

ウチのイベントで取り上げるからには、ジャーニーでも「オープン・アームス」や「ドント・ストップ・ビリーヴィン」あたりをかけて済ませるわきゃありません。1978年の4thアルバム「インフィニティ」と「Wheel In The Sky」のヒット以降、ポップ・ロック路線を邁進しますが、それ以前、ファーストからサードまでの有り様もご紹介したりします。

「Journey」(1975.04.)

ファースト・アルバムですが、要はサンタナのキーボード、ヴォーカルだったグレッグ・ローリーと、サンタナのサードでシーンに登場した天才少年ギタリストのニール・ショーン、ジェフ・ベック・グループやらで活躍したドラマーのエインズレー・ダンバー、そしてスティーヴ・ミラー・バンドからベースのロス・ヴァロリーが加わり、シスコのスーパー・ローカル・バンドの原型が出来上がったというわけですね。グレッグ・ローリーはカルロス・サンタナとサンタナを立ち上げた人でして、あの大ヒット「ブラック・マジック・ウーマン」のヴォーカルも彼が歌っております。カルロスが宗教色を強めたことでバンドが分解したもので、むしろジャーニーは立ち上げから注目されていたようです。

「Look Into The Future」(1976.01.)
「Next」(1977.02.)

ファーストは138位どまりでローカル・ヒット程度、もの凄くテクニカルかつプログレッシブな音でセカンド、サードと出してきますが100位と85位と、イマイチでした。ところが日本ではもう少し上に行きまして、一応注目されます。上手い人たちが好きですからね。

ここでスティーヴ・ペリーを加入させ、ようやく21位まで行く「インフィニティ」で評価が得られますが、これは日本ではウケなかったという不思議なことが起こります。Top200にも入らず、不発なんですよね。まだ憶えていますが、レコード屋に行っても輸入盤は並んでいるのに国内盤は買えなかったんです。仕方なく輸入盤を石丸電気で買ったことが忘れられません。そして素人耳にも明白なほどチープな音質で驚かされました。また、ニール・ショーンのギターを売りにしていると言うよりは、全員が歌えるコーラスが素晴らしいバンドという触れ込みでした。

結局国内デビュー・シングル(米国では3rd)の「メイク・ミー・フィール・オールライト」も不発でしたし、その他のシングルもちゃんとリリースしてくれたんだか怪しい状況です。

少なくとも、米国での1stシングル「To Play Some Music」(「Jourmey」収録)と2ndシングル「On A Saturday Night」(「Look Into The Future」収録)は日本国内ではシングル・カットなしです。4thシングル「Spaceman」(Next収録)は出ているはずですが、見たこともないわけです。その結果というわけでもありませんが、1st~3rd収録曲を2LPにまとめた「In The Beginning」(ヘッダー写真)もウルトラ・レアだったりします。しかも「メイク・ミー・フィール・オールライト」が入ってないし…。CBSソニーさん、何故積極的にプロモーションしなかったんですかね?

ちなみに私は1979年の初来日公演を観ております。最終日の渋公、前から5列目でした。同日ボストンのライヴもあって友人はみんなそちらへ、私は一人でジャーニーに行きました。チケットは池袋西武の赤木屋プレイガイドで並んで買いましたね。ニール・ショーンのプレイに見入っていて、傍にきていたスティーヴ・ペリーに気づかず、指差されて笑われたという経験をしております。

その後83年までは毎年来日してくれましたが、その次は1998年まで来日はなし、…嫌われましたかねぇ?まあ、ニール・ショーンとジョナサン・ケインはバッド・イングリッシュでも来日してくれましたし、ニール・ショーンはポール・ロジャースともきてましたけどね。

ジャパン・マネーで実現したプロジェクト「夢、夢のあと」のサントラとかもありますが、妙な距離感を覚えるのは私だけでしょうか?「産業ロック」とか言うヤツがいたから仕方ない気もしますけどね…。

さて、ヒット曲もいっぱいありますが、何をかけますかねぇ。…リクエストしてくれるとラクなんですけどね…。

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