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備忘録的サブカル近現代史考 010:つむじ曲がりと同調圧力

ザ・ピーナッツがいいと思ったことはなかったですねぇ。ギリで内藤洋子、天地真理や小柳ルミ子が出てきたときも、それほど惹かれたわけではありませんでした。山口百恵や桜田淳子がどうのという話をしている同級生の輪の中にはいましたけど、スージー・クワトロの方がいいんじゃないというようなことを言っていたように思います。そのうちスージー・クワトロが大人気になったら、リンジー・ディ・ポールとかフランソワーズ・アルディのほうがいいとか言うヤツでした。…ただのひねくれ者ですね。昔から他人に合わせることは苦手でした。

女子高生のルーズソックスが大流行したころ、1993年から98年頃が大流行のピークと言われておりますが、まあ1990年代前半、93年頃でしょうか。一斉に右へ倣えとばかりに同じような格好になった女子高生を見て、少々気持ち悪いなと思ったことがありました。「皆と同じがいい」というよりは、「皆と同じでなければいけない」というものを感じたからなんですが、そういう疑問を持って周囲を眺めたとき、「日本人は横並び意識が強いな」ということになりました。その頃よく一緒に遊んでいた人間が、皆ハズレ者というか、他人と一緒は嫌な人間ばかりだったので、とりわけ強く意識したのかもしれません。

中学校の頃にバスケットボールに夢中になっておりました。ギアに拘るのは下手な証拠かもしれませんが、一応全国大会の常連校でキャプテンやっていましたから、それなりに頑張ってました。時代的にはアディダスのスーパースターやコンバースに憧れつつ、オニツカタイガーを履いているような時代です。そのうちプロ・ケッズとかが出てきて、その次がナイキですかね。

ナイキは1971年頃からあのデザインになりましたが、元は1968年頃にオニツカタイガーの販売代理店の権利を持った会社として設立されていますから、日本にも縁がある会社なんですね。自分はナイキはあまり履きませんでしたねぇ。なんだか足に合わなかったというのもありますが、周りがみんなナイキで、お揃いはどうもというところもありましたかね。もちろん、マイケル・ジョーダンには憧れましたけどね。

高校1年のときにアディダスのスーパースターを買ったのですが、買ったときから左右の色が微妙に違ってましてね。しばらくすると、つま先のゴムの色が白とクリーム色くらいに違ってしまい、少々呆れた懐かしい記憶があります。でも気に入ってましたけどね。足には凄く合っていたんです。「絶対ヘン」とか言われてましたけど、好きでしたねぇ。

大学の頃、みんなスタジャンを着ているのに、自分はよく緑色のモッズ・コートを着ておりました。お揃いのスタジャンを着る性格ではありませんでしたね。同級生に横須賀高校出身が2人おり、2人とも刺繍が入ったリアル・スカジャンを着ておりまして、あれには敵わないなと思っておりました。まあ、スカジャンを着る勇気は私にはありませんでした。就職してからもモッズ・コートを着ていたので、職場の先輩方からは笑われましたけど、何がおかしいのかよく分かっておりませんでした。他人様と違うものを着ている限り、間違われることもありませんしね…。

コロナが始まった頃、ナントカ警察とかいう輩も出てきましたが、どうも同調圧力が強い世の中に息苦しさを感じてしまいます。今でもマスクはしっかりしていますけどね。基礎疾患持ちですから、仕方ないです。でもSNS上の同調圧力を感じさせる書き込みは不快でいけません。…これはコロナに限ったはなしではありませんけどね。

1990年代、Windows95以降は、デジタルが正義でアナログは悪のように扱われた時期がありました。PCが使えない人間や興味がない人間は辛かったろうと思います。趣味の世界でも同調圧力はありました。デジタル全盛期に、平気な顔してアナログ・レコードを探していた人間ですから、まさかのアナログ復権後は少しはいい思いもしておりますが、こういう性格でよかったなと思える時代になったんだということにしています。…ただのへそ曲がりの言い訳ですかね。

ちなみに私は情報システム関連の仕事をしていた時期も長いのですが、いわゆるIT系という括りで忘れられがちな配線作業や、LANケーブルを作ったり、フロッピーディスクの歪んでしまったシャッターを修理したり、読めなくなったハードディスクを分解してデータを読み出したり、といったことも好んでやっておりました。現場力の友とも言えるパーツ取り機の有り難さなどというものをさんざん経験してきております。この辺は別の機会に「平成の懐かしい話」として、細かい部分の記録を残しておこうと思います。

価値観なのか性格なのか分かりませんが、「他人と違うから面白い」という感覚は大事にしたいと、今更ながらに感じております。ま、実際に役人あがりがカフェめし屋やレコ屋をやっているわけですから、じゅうぶん地で行っていると思います。


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