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備忘録的サブカル近現代史考 004:駅にて

昨年末に恒例の京都旅行を復活させて、久々鉄道旅を楽しんできたわけですが、その際にいろいろ考えてしまったり、思い出したことがあって、バタバタしていたお正月も、アタマの中は懐かしい光景が渦巻いておりました。せっかく備忘録を始めたのですから、未整理のままですが、書き留めておきます。

そもそも、東京での日常生活の中に待合室というものがなくなって久しいわけです。京都駅の待合室で東京行きののぞみを待っていたときに、妙に懐かしい感覚に捕らわれたわけですが、思い出していたのは生まれた町、下関駅の光景でした。下関は本州と九州の分岐点的な駅でして、電気機関車をつけかえる作業があったため、停車時間が長い駅なんです。他所の町より、プラス1~2ポイント、時間の流れがゆっくりしているように思います。海の魚が泳いでいる大きな水槽も懐かしいのですが、機関車の付け替え作業が昔ながらの鉄道ファンには面白かったりします。

夢にもよく見ているような気がします。おそらく父親に連れられて旅をした時の記憶が断片的に残っているのでしょう。見えている景色が随分低い目線なんです。さほど大したディテールが思い出せるわけではないのですが、車両の連結部分や黒煙をまき上げて走る気動車の音、匂いなども蘇ってきたりします。分かる人には分かるキハですね。他には、やはり下関駅のホームのベンチに座って、機関車のつけかえ作業を眺めていたときは、ネクターの缶を片手に持っていたりします。これは夢というより、記憶に近いのでしょうか。

そんな他愛もない話をカミサンに聞かせながらウェブでいろいろ調べていると、ポリ茶瓶の写真が出てきて、これまた懐かしいなと盛り上がってしまいました。駅弁と一緒に売られていた、フタがおちょこのようなサイズのコップになる、四角っぽいポリ容器のお茶です。驚いたことに今でも売られているんですね。おーいお茶の缶が登場し、ペットボトルの時代になってからは、すっかり見かけなくなりましたけどね。どっこい生き延びておりましたか。イベントなどで使う用途が主か、多いものでは500個などといった数で売られています。

世の中がどんどん便利になって、待ち時間が短くなるのは悪いことではないのですが、結果的にゆっくり考える機会が減ってしまい、いつも忙しくしているのが当たり前のようになってしまったことで、失われてしまったものがあるとは思います。小学校4年生になるタイミングで東京に出てきたとき、田舎っ子だったのか少しのんびりさんだったのは確かで、「東京の人はせかせかしているなあ」と思ったことを思い出してしまいました。自分がすぐに立ち止まって何かに見入ってしまうので、東京に住んでいる従妹に呆れられた記憶まで蘇ってきました。

以前は駅の改札口を出たわきに伝言板があったのですが、携帯電話やスマホが普及して役目を終えてしまいましたよね。使ったことはありませんが、暗号か符丁のようなものが書いてあったりして、少しは面白かったんですけどね。ウケ狙いの文言や、消されてしまうのはもったいないなと思わせるような上手いイラストが描かれていたこともあって、昔の人はヒマだったのかなと考えてみたり、娯楽はスマホの中にしかないのかと思いたくなる昨今の状況にウンザリしてみたり、やはりいろいろ考えてしまいます。

昔の駅の改札は賑やかでした。切符切りの鋏をカチカチカチカチと猛烈なスピードで鳴らす駅員さんがいたからですけど、あの鋏って総鋼でしたよね。よくよく思い出すに、かなり重い音でした。1989年から5年連続で山下達郎の「クリスマス・イブ」をBGMに使ったJRのコマーシャルがあって、その中に改札口が出てくるシーンがあるんですけど、まだ自動改札ではないんです。人が立っているんです。トークイヴェントなどであのシーンについて語り、時代感覚の話題に持ち込んだりしていたのですが、…当然ですね。Suicaの導入が2001年11月ですから。そんなに最近だったかと思いますが、Pasmoは2007年3月ですと。最初は供給が追い付かず、買えなくてビックリしました。もっと昔からあったような気がしていましたが、やはり年齢とともに、時間の感覚が鈍っていますかね。

そういえば、時刻表の復刻版が売られているんですね。鉄道に興味がなければ、「何のために買うのか?」と思われるかもしれません。でも自分もヨンサントオ、昭和43年10月の大改正を反映した号の復刻版は欲しいなと思ってしまいます。大した鉄道ファンではありませんが、時刻表を見るのは好きでした。今から考えると凄い想像力です。乗り換え時間も考えて旅程を練ってみたり、地図と照らし合わせて景色を想像できていたんですから。ちなみに、国鉄職員だったウチの父親、日本全国の路線の駅名が順番に全部言える、しかも漢字で書けるという、恐ろしい特技を持っておりました。

物販機能も兼ね備えた駅が多い昨今、駅に求められるサービスも大きく様変わりしたことでしょう。昭和から平成を経て、令和の現在、最も大きな変革の波にさらされたものの一つが駅なのではないでしょうか。…でも、これも都会に限定した話なんでしょうかね。ニュータウン開発とともに、駅と合体した商業施設でライフスタイルの提案も含めた事業を展開したのは昭和の鉄道会社ですが、ウェブの浸透もあって、商業施設での消費行動にも変化の波が訪れているわけで、今後はどう変わっていくんでしょうね…。嗚呼、恐ろしや、恐ろしや。

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