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備忘録的サブカル近現代史考 007:住まい

自宅のマンションが新築から25年ほど経ってしまい、大規模修繕をやっておりました。10カ月以上も足場が組まれた工事現場の中にいたので、足場がとれたとき、直に地面が見えて「怖っ!」と思いました。ほんの数か月で高所恐怖症が進行してしまったみたいです。実際のところ、高所はさほど苦手ではなく、閉所恐怖症に近い人間でして、エレベーター等が苦手なんです。

全てがそう上手く行くとは思いませんが、ウチの場合、元々300戸ほどの4階建てのアパートがずらーっと並んでいる団地を、600戸ほどのマンションに建て替え、増やした300戸の販売代金で工事を賄うというやり方です。このマンションが老朽化したとき、今度は1200戸規模のタワー・マンションに建て替えるという算段です。建て替え時は1年ほど避難していなければいけませんが、100年以上、3世代は住めるわけですね。もちろん管理費は払っていかないといけませんし、修繕費の積み立てもありますけど、案外上手い手法かなと思います。本音では、建て替え中の避難先も何とかできたらなぁと思いますけどね。

ただし、ウチのマンションの場合、少々敷地が大き過ぎて、しかも敷地内に商業施設をつくったり誘致したりしなかったもので、非常に不便だったりもします。最も近いコンビニでも徒歩10分程度かかります。東京23区の駅近に住んでいるわりに、これはないでしょうというレベルです。そもそもマンションの場合、一番近い部分から駅までの徒歩分数を計算しますから、不動産広告的には駅から2分ということになっておりますが、実際には7~8分かかります。一番上の階の一番奥の住戸の方は、おそらくもっともっとかかると思います。ちょっと詐欺的なレベルです。この点は今年から改正されるらしいですけど、既に住んでいる人間には意味ないですね。まや、部屋によっては日照時間も短かったりします。この点も改善の余地は多分にあります。

このマンションを購入するとき、郊外の住宅という選択肢も当然ありました。カミさんの実家がある成田との中間点というのも考えました。本も音楽も好きなので、電車通勤の時間が少々長くても構わないと思っていました。自分はクルマも好きなので、クルマがないと不便な土地でもなんとかなるとは思いました。でも実際は、還暦過ぎて、いつ免許証を返納するかなどということを考え始めたとき、郊外でクルマの無い生活はキツイなということや、赤字路線の廃止など、実際問題として暮らせるかというと、自分には無理だなということに思い至ります。庭いじりが好きなら話も違ってきますが、私はその辺が苦手でしてね。

もう一つ、先般襲撃されてニュースにもなっておりましたが、都立大学の宮台真司氏が警鐘を鳴らしていた郊外幻想というヤツですね。東急、西武、小田急といった鉄道会社がわざわざ離れたところにニュータウンを開発し、鉄道で都心まで運び、ターミナル駅の百貨店(死語?)で消費まで面倒を見てくれるという、高度経済成長期からバブルの頃まで人気があった「ライフスタイルの提案」に乗れなかったという事情もあります。

ニュータウンがゴーストタウン化しているという、鉄道会社系の開発行為を非難する論調もよく目にしますが、バブル経済の崩壊と同時に進行した、急速な高齢化や少子化など先が読めていた人間なんていなかったと思いますけどね。ただ百貨店の経営はかなり厳しいでしょう。相当の価値の不動産はお持ちでしょうけどね。私の年代は上手く立ち回れなかった、いつも少し出遅れてしまう世代なんです。1960年(昭和35年)生まれの私は、団塊の世代と団塊ジュニアの中間で、出生数が谷底の世代です。競争は烈しくないのですが、我々に特化したサービスなんて全く期待できないわけですからね。

23区内に住むことを考えると、自分の場合、戸建て住宅は選択肢から外れます。戸建てに憧れはありますが、どうもダメです。結局共同住宅のパブリック・スペースみたいな都市景観に惹かれるからなんだと思います。今住んでいるマンションの植栽はかなり満足しています。自分の手を汚さずに、季節ごとのいろいろな草花が楽しめますしね。ただパブリック・スペースは全く満足できておりません。子育て世帯にはかなり魅力的なものかもしれませんけどね。

勝手な思い込みですけど、パブリック・スペースに大きなガラス面があって、日の光が差し込んでいるような、気持ちのよさそうな光景を想像しているんです。一定規模以上のマンションは都市景観にも影響を与えるわけで、利便性のみでなく、デザインも重要な要素と考えます。…もう少しオシャレだったらいいのになぁといった我儘レベルのはなしです。団地の建て替えマンションで贅沢言うんじゃないというヤツですかね。ただ冷めた目で見る癖のあるもう一人の自分は、これを昭和的感覚といい、令和の集合住宅は付加価値としてのパブリック・スペースで魅力がなければ買わないんじゃねーのと申しております。(行動が伴ってないことの言い訳です)

先般、冷蔵庫が突然死しまして買い換えたわけですが、以前は大きかった野菜室が全然なくて、冷凍庫がやたらと大きいことに愕然としたわけですが、結局現代的なライフスタイルに合わせて、家電は進化しているわけですね。今回の冷蔵庫に対する違和感は、進化というより変化のはなしですが、結局昭和人は昔ながらのライフスタイルが心地よいのでしょうか。ウェブてポチっというのも慣れてはきましたが、清澄白河みたいな古い町で飲食店をやっている時点で古い人間でしょうね。コロナ禍で加速しましたが、もう外食という概念が時代遅れなのかもしれません。消費行動や食といった部分は少々の変化についていけても、住まいに関する部分の変化は客観的に見え難く、気付かないうちに進行しているようで、なんだか怖い気がします。


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