総合診療の夢を語る

大学院の同窓会で、錚々たる先輩方のお話をお聞きして刺激になった。

(夢を語ろう)
魅力のある人間は夢や未来を語り、苦難を乗り越え、人を巻き込む力がある。目先の評判や結果にこだわっておらず、もっと壮大な目標に向かっている。

自分の成果も出せていないけれど、最近、自分のことだけ考えていてもだめだなと思うようになった。

自分のキャリアに悩んで、多くの方にご相談して、今歩んでいる道がある。それを今度は後輩に還元していきたい。

来年度は後輩を巻き込み、他科の先生や他職種を巻き込み、周囲に研究の楽しさを伝えていきたい。

(なぜ臨床医が研究するのか?)
医療現場は常に疲弊しているようにみえ、忙しい臨床医がコメディカルに(ときに患者さんにさえも)イライラしているように見えるときがある。そうでなくても、ふりかえる機会がないと、惰性で診療してしまうこともあるだろう。

しかし、目の前の患者さんをもっとよく診療したい!という思いから研究の種が生まれる。アイデアがあると臨床も楽しくなる。楽しくなると臨床の緊張が緩和され、清涼感を味わえる。また、目の前の患者さんに最善のケアを届けたいと思って調べると、エビデンスは無味乾燥なものではなくなり、英語論文を読むのも苦ではなくなる。

(なぜ総合医が研究するのか?)
(Xでは)総合診療はゴミ箱、溜まり場と言われ、不採算部門で肩身も狭く、ネガティヴキャンペーンを日常的に受けている。自分が学生の頃も、今も、他の専門科を選択する場合とは異なる特殊な決意がなければ総合診療を選択しづらい雰囲気を感じる。

総合診療の現場から研究発信し、アカデミックな貢献を増やすことが、専門科としての総合診療の地位を確立するための礎になるだろう。

内科のトレーニングを受けて思ったことは、病気がどこにあるか?解剖学的に、ミクロに病態を詰めていくことが仕事の根幹であるということだ。診療の基本は解剖・生理学の知識にある。しかし各臓器において専門内科の臓器別の知識には敵わない。その中でどうプレゼンスを発揮するか?先人は感染症や膠原病など複数臓器にまたがる専門科を持つか、診断学を突き詰めているかのパターンがあった。診断学は素晴らしいがGIM カンファレンスの達人たちには自分は敵わないと思った。

そこで思った。総合診療医はミクロの視点だけでなく、家族や地域といったマクロの視点を持っている。日々の臨床でも一歩引いて地域特性や健康の社会的決定因子を考慮している。個人ではなく集団としての健康をいかに支えるかを考え、研究として可視化することは総合医にとって切実な問題であり、公衆衛生とも親和性が高い。市中病院の一医師だけでは成し遂げられないが、研究グループを作りデータベースを整備することで、日本でもプライマリケア研究を発展させることができる可能性はあるのではないか。

(臨床と研究は両立可能なのか?)
Xで高名な先生が臨床も研究は両立できないのでどちらかを選ぶべきとおっしゃっていた。どちらも中途半端になっているのではないか?常に自分の心の声と戦っている。心が折れそうになる時もある。しかし、今日、実際に自分の現場から生まれた疑問を見事に可視化している発表をたくさん聞いて、患者さんに近い臨床家が現場で感じる疑問だからこそ切実で重要な疑問が生まれ、研究テーマの着想に至るのだと信じることができた。

研究するには個の視点と集団の視点、ミクロの視点とマクロの視点、様々な角度で健康をとらえることが必要だが、その第一歩は目の前の患者さんにあるはずだ。日々の症例を大切にする姿勢が、後輩の教育にもつながるだろう。

将来的には研究のエフォートを増やしたいが、臨床にも力を尽くしたい。

楽しむ、諦めない、他者を尊重する

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