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優れた作品に脳内フリーライドする日々

こんばんは、夜枕ギリーです。

実はごっそりサボっていたモーニングページを再開した。あれ、私の性格だと内罰的な内容になるから何も進んでないときにやるとかなり効果がある。何もしない日を繰り返すのは何となく罪悪感が募っていくだけだが、「今日は何もしなかった」というレポートを自分に向けて何日も提出し続けることはなかなか難しいのだ。



人生経験がまだまだ浅いときからずいぶん時間も経ち、何度も何度も思い知ってきたので、意識の上では自分が特別優れた人間ではないと理解しているつもりでいる。

人より得意なこともあるし、苦手なこともある。それら全てを含めて他の誰でもない自分であるという自己肯定はできるようになったが、それは同時に、客観視した自分は飛び抜けて優れた人間ではないということも理解し、受容したということでもある。

しかし最近、今度は「特別優れた人間(の作品)を理解できる自分」というものに縋っているらしいということに気づいた。気づきの理由は「センスがあるな」と感じた作品に対して、しょ~もないコメントが付いているときの感情。許せないとまではいかないが、お前こんな「良い」作品になんてしょうもないコメントを……という気持ちになる。

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