2023年・春ピリカグランプリ応募作品マガジンです。
note干しいも部です。2021年創設。調べたり作ったり食べたりしてます。知識と経験と干しいもは人類の宝なので、マガジンは販売価格ゼロ円です。Special Thanks to さち さん(マガジン画像と、いろんなアドバイスに感謝です)
2022年・夏ピリカグランプリ応募作品マガジンです。 (募集締め切りましたので、作品順序をマガジン収録順へと変更いたしました)
2022年・夏ピリカグランプリ、記事収納マガジンです。
geek
そのとき聴いていた曲
geek : 文 KaoRu IsjDha : 絵 一 むかし、村に「はやて」といわれる子どもがおりました。この子どもは幼くしてふた親を亡くし、悲しさのあまり誰とも口をきかなくなったのでした。そしてしんせきの家に引き取られたのでした。 小さなころから誰よりも足が速く誰よりも遠くまで走っていくので、はやてというあだ名がついたのですが、あまりに毎日走り回っているので本当の名前で呼ぶ者がだれもいなくなりました。 はやては毎日走り回るだけの体力がありながら、ちっとも手伝いができ
小西甚一の日本文学史を形式上ひととおり読んだ。 加藤周一の日本文学史序説に移って読み始めたが、あたまがぐわんぐわんする。小西によって頭の掃除をしてもらったところに容赦なく言葉が打ち込まれる。わたしのような無学な者にもわかりやすく書かれている。西洋との相対化の先をどう捉えるのが適切なのか。 他人によって体系化された軸を基準に、自分の理解したいものを暫定的にあてはめ、理解の速度を上げる。かつて西洋美術史の表面だけをなぞったうえで日本の美術を知ろうと試みたことがあった。それに似
こういう文章がある。 そうですか、それは不思議なことですね。そう思い込んでいるだけではないですか。 むかしの自分ならそう感じたことだろう。ここでいうメッセージとは、電話であるとかメモ書きであるとかeメールとかいう特定の媒体によって個人へ何かしらの事柄を単純に伝達する行為とは異なる。 いくつかのつながりをとおして何人かのひとと話をするうちに「できるかどうかわからないけれど、自分がやるべきだと思った」という人と遭遇する。それは、自分がそのような体験をした人を探しだすのではなく
ほぁたたたっ! ……お前はもう、発酵しているッ!
今、手元にあるもの。 あるだけで全部読んでいるかどうかはまた別のはなし。 読んでるものもある。 再読中 ほな。
空は晴れている。遠近感など感じさせない真っ青な空だ。何も遮るものがないな、と思って気分よく進んでいくと赤信号があった。しかも左へ曲がれという。人為的な取決めのなんと醜いことか。わたしはこのようなつまらぬ決まり事は嫌いだ。そうして直進したところが道路は無く警官に詰問されるに至った。
あなたにおすすめの有料記事というのが、勧められたくない感じの羅列になっていてその潔さが味わい深い。それは潔さではなく人為的なカラクリの結果なのだけれど。図書館で静かに昔の人たちと対話する方がいいと思うのは、まったく個人の感想です。売る練習をするには良さそうだけど。
何か書きたいような気がする。1枚の画像に140字でヘンな話を添えるのは、アレは思考の焦点を絞るために小さな思いつきを捨てていく作業のような気がする。それと同時に複数の事柄の間に思いもしない結びつきを発見する手がかりにもなり得るのだけれど。今回はまとまるまで道のりが長そうだ。
行ってみた気になる。 困るのは、行った気になるのは所詮「行った気になる」だけであって、現地にいって現物を見ないと結局気がすまないところである。そして気になったのはこれ。 クラウチじゃねぇよ夢二だよ!
アラー! みなさまのおかげでパパパパ。 ありがとうございます。
舗装がコンクリートに変わる。すべり止めの丸い溝は急坂の証拠だ。一歩一歩上っていこうとしたら足元からかすかに聞こえてくる。けんけんぱ。けんけんぱ。丸の中に顔のような凹凸を持つものがあって囁いている。一旦気づくと全てに顔が現れて呟き始める。カーブミラーを見ると自分の顔がざらりと丸い。
ホゲ〜
ここまで来たら人が居るだろう。迷いながら喘ぎながら建物の入口に来た。ほら、視線や息づかいを感じる。人の気配だよ、ははっ。ご免くださいご免ください。腹の底から呼びかけようとするが声が外へ出ない。冷静になると視線を感じる先にあるのは無数の木の葉だった。こちらをみている。冷や汗がでた。
そういうことである
わたしも出版体験できました。 もう思い残すことはありません。 売れるといいなー🤣
何か書いても創作大賞には出さないと思う。わたしのやることはいわゆる「旦那芸」に属するものと思っている。裾野を支えるものではあっても、その頂点へ向かおうとするものとは違う。読まれるものとか売れるものの基準がわからないし、自分が読み手という存在を殆ど意識していないからである。