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シカゴ日本人学校で講話して〜過去から今、そして「未来の君へ」〜(後編)

『シカゴ日本人学校で講話して〜過去から今、そして「未来の君へ」〜』(前編)の記事の続きです。
(見出しの写真は、2002年シカゴ在住時、幼少期の僕)

(前編)はこちら↓




日本に帰国してからの喪失

※以下の文は、僕自身の不登校経験をより掘り下げるセンシティブな話を多く含んでいるので、読む際はご注意ください。読むのがきつく感じる方は、どうか迷わずお控えください。
それでも、その不登校経験を踏まえ、自分の想いや願いを込めている内容も記載いたしました。読んでくれる方は、最後までお付き合いしていただけると幸いです。

シカゴの環境や学校での授業などを紹介しましたが、日本ではまず見かけないほど緑豊かな充実した環境で、一緒に遊べる友だちも多かったからこそ、日本に帰国してからの喪失感やショックは、日々感じていました。
小学3年生という、区切りが中途半端な時期に帰国したからこそ、よりそう思いました。

日本に帰国した後、環境が大きく変わったことでカルチャーショックを受け、同級生や先生からの暴行や言葉による暴力などもあり、小学4年生〜高校1年生の間まで断続的に不登校を経験しました。
特に帰国した直後は、言語による混乱があり、同級生とコミュニケーションを取ることがきつく、いじめられる原因の1つにもなりました。

また、アメリカでは弁当で自分の食べる食べ物を親に希望して、自由に選ぶことができました。しかし日本は給食なので、食べる食べ物を選ぶことができませんでした。僕は野菜を食べると吐いてしまう体質なのに、先生が給食で野菜を残すことを許さず、強制的に食べないといけなく、それによって何度も吐きました。

帰国子女ということもあって偏見の目で異端扱いされ、何度か転校も繰り返しましたが、どの学校でも「悪魔」「ばいきん」「死ね」などと罵声を言われ続けることも多かったです。
中学の時は、机や筆記用具を度々壊され、下着を脱がされたり、ロッカーに閉じ込められて、ナイフを向けられたこともあります。
酷い時は、集団窃盗や校内の窓ガラスや教室全体の机、水道が壊され、学校が休校になったこともあり、大きなショックを味わいました。
こういった抑圧された反動で僕は、攻撃的な衝動が出て、同級生などに罵声や暴行を加えた経験があり、その過ちを今では非常に後悔しています。

日本では、全体を1つの枠にはめようとする傾向が強いので、自由な環境で人と接するのもフレンドリーだったアメリカと比べると、空気感や距離感を考えないといけず、そこに合わせられない僕は、自分が日本人なのかアメリカ人なのか、何者かわからない感覚になり、大きな葛藤を抱えました。
「自分なんか消えた方がいい」と何度も思いました……。

こういったことで学校に行くことができなくなり、寝込む状態になって人と関わるのが困難な状況が続いたからこそ、一般的に子どもから大人に成長するステップを踏めなかったという苦しさも多々ありました。そういった経験で体や心を崩し、適応障害、不安障害にかかり、何回か自殺を考え、しようとしました。

今でも当時のことがフラッシュバックすることがあり、シカゴで楽しかった思い出が逆に「あの頃」に戻れないということで、例えその後アメリカに度々行っても、苦しく感じることがありました……。
もう一度、「あの頃」に戻って友達と純粋にまた楽しく遊ぶ日々を過ごしたいと何度も願い、今でもそう思います。

それでも「自由」になるために

今でも僕はこういった心の傷が残っており、以前コロナにかかったこともあって適応障害や不安障害などの症状も酷くなり、半年以上寝込んでいました。
今はなんとか動けるようになり、ライター活動を中心に行い、俳優の方も少しずつ再開しようと思っていますが、コロナの影響もあり、頭痛や吐き気、倦怠感、味覚の違和感などが日々続きます……。

その状態でも、自分に何かできることはないかと模索しながら生きています。帰国子女で不登校を経験し、様々な苦難に直面したからこそ、同じような苦労をしている人のためにできることを1つずつ積み重ねていこうと誓っています。

過去に自分のできることとして、学生団体や環境保護のボランティアなどに関わったことがあり、今は『不登校新聞』以外だと「アクセプト」というソマリアやイエメンなどのテロや紛争問題の解決に当たっているNPOの団体にアンバサダーとして関わっています。

また、ライターとしても、今誰もが知っているある作品の取材に取り組んでいます。不器用な僕ですが、そういった活動を通して次の世代に何かを伝えたいと思っています。

今のご時世、コロナ禍やウクライナ戦争などを経て先行きが見えない世の中になり、不登校者数も29万人を越えて過去最多になり、生きづらさを抱えている人が多いです。
そういった世の中だからこそ、壁の中に閉じ込まれているような感覚から「自由」になりたいと思うのが僕の一番大きな願いです。

過去は過去、今は今という割り切った考えが僕はどうしてもできないので、過ぎ去ってしまった過去から少しでも、今に結びつけることを試みて、報われたいと考えています。

過去から今、そして「未来の君へ」

最後にこの言葉を残します。これは、「人との繋がり」によって自分の想いと他人の想いが分かり合えた経験と、逆に不登校中、自分が過去に人から裏切られたり、自分の想いが相手に届かなかった経験を踏まえて、拙いですが、今の僕が次の世代に伝えられるものかと考えた言葉です。

例え、100回中99回自分の想いが裏切られても、最後の1回までに自分の想いが届くよう尽力する気持ちがきっと「未来の君へ」繋がる

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