その後の、
石川を後にする。
毎日12時間、何もない部屋で待機したことに比べれば、石川から京都北部までの4時間ほどは一瞬だった。
もう日常に戻ってきた感覚。
不思議な気がした。
もう、関わることはないのだろう。あの避難所の、生活をしている人たちとは。
僕にもう少し、正義感や、優しさがあって、継続的に被災者とか変わろう、などと思ったのなら、関係は継続するのかもしれない。
けれど、そんな高尚な人物ではない。
僕は俗そのものである。
すぐに楽な方へ、ふらふらと歩いて行ってしまうのだ。
家に帰れば家族は暖かく僕を迎えてくれるだろう。
お土産はたくさん買った。
それを子供たちは喜んで受け取るだろう。
もちろん僕はそれで満足だ。
僕がいない間、何かしら負担をかけてしまったことは事実だ。
だからせめて、楽しい気持ちになってもらいたい、と僕は思った。
もう一度行くか、と聞かれたらもちろん行く。
今回の支援で言うと、支援なのか、観光なのか、微妙なところであった。
たまたまだ。
辛い現場に派遣されていたかもしれない。
望むところだ、とさえ、思っていただろう。
そうして5日間、僕は被災者を支援して、つらつらと語るのだろう。
軽薄、とは思わないが、何か違う気がした。
そう言う答えを探してみんな生きてるんだろ馬鹿者が。
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