相互扶助(そうごふじょ) 互い違いの裏表 喜曳(ひ)き切羽発(せっぱつ) 君に銃口 怒る矛先 彼と違える道連れに 舞踏する場所 切っ先の園(その) 愛苦しい 悲しみの血の 雨音ひびく 明日はいっそう 愛(かな)しかろう 晴らせるものか 何がわかるか 一度見捨てたお前に お前なんかに
君と背の 目線を比べて微笑むから ドキドキ伝わり 向かう君の目に見入る ほのかな独占欲の欠けらがのぞく あぁ抱きしめたなら 唄うかな君に響くか分からない 届けた傍から離れてしまうようだ そんな頭にならないように 愛するとは恋するとは まだ分からない未知の定義の破風に触れ 意図の外れで揺れる心に君を浮かべよう
戯れ言 正直に言うと、自分が好きになれない。 自分を大切にしたい気持ちはあるのに、そんな本能を理性が否定したくなる。無慈悲に不用意に生存欲は働きかけてきて、崩れたくなって泣きたくなって死にたいのに。死ねなくて。 自分が可愛くて、周囲に犠牲を代行してもらいながら寄生虫のように生き残って。死にたくなる。 そういう気持ちの時は本当に生きたくなくなる。 「誰か助けてよ」 って、理解してもらえたことがないから言えなくて。湖のそこに沈んでいくようで海底に引きずり込まれていくようで。目
今は何かに成るまでの蛹なのかも知れないし、まだ自分探しの途中かもしれない。 自分は多分、才能の所在を取りこぼしてる人間、だと思う。 今はまだ分からない。 自分の名前もまだ分かっていない。 今はまだ快活な心が手をごばねいているだけかも知れない。 そんな感情すら自覚出来ていないかも知れない。 何もかもが丁寧すぎて遅すぎる。 自分の出来ることすら未知が多すぎる。 未だ臆病なのか鈍感なのか。 何もかも知ってないし何となく分かってることがなくならない。 #未熟者
世界が汚いのなら、あまりに刃物だらけで素足のまま渡ることが厳しい社会なら、傷だらけで足を失わない為には、自分たちも、少なくない程度に汚れた人間として生きなければ生きれないんじゃないか。 さて、どう生きる? これが僕に約20年間、内在している哲学だと思う。 僕にとって畏怖と恭敬の言葉#哲学
情熱は一つじゃない 蝕む心が炎をフルわしている カラになる 浮き足な心の雲の上 いつか吐いた後悔もなく 未来が怖い 僕が言い露に散る 空洞トロッコ トーチは非所持 カラになる 浮き足な心の雲の上 いつか吐いた後悔もなく
僕は今でも自分が気持ちよくなる為に小説書いてるんかな 生活の為になれば変わるんかな……変わらない気がするな たぶん、僕が気持ちよくなる方法を大勢に理解してもらう為になら書けるんだような 僕みたいなのが友達にいたら面白いんだろうけど、自分がそういう偏った人間だと思うと諸行無常な切ない気持ちになるよ。無関心じゃないけど、諦めじゃないけど、呆れてため息が出るような……ココアシガレットでヤンキーの真似してるような気分。 エゴイストだねぇ
本当のところ、世の中には幸せなんてないのかもしれない。 幸せだと感じていることも全て、錯覚なのかもしれないし、全部が全部、物ごとをアタマが納得する為にと後付けの感情で、まやかしなのかもしれない。 自分を幸せにしてくれた人も、幸せを感じさせてくれる人も、本当はウソの塊なのかもしれない。 世の中の幸せな出来ごとは、なにもかも勘違いかもしれない。 なにを信じればいいのか……。 居場所は? より所にしていた人は? 思い出たちは? 全部ウソかもしれない。 ただそれでも、信じられる
ここで話たいのは、僕が事故をして何を失い、何を得たのかという、極めて独善的な内容である。 速度にして120km、法定速度は40kmの細い道。深夜12時、愚かな僕は、慢心と詭弁を運転席に抱えたまま、いつものちょっとした凹凸を乗り上げた。 フラストレーションを発散する、それだけの気持ちでいた。 結果、ハンドル操作をうしなった僕はガードレールに衝突し、横の田んぼに弾き飛ばされた。 僕という人間は、どうやら無能らしい。 それも最も害悪と言える、働き者の無能らしい。 その最たる例と
僕は目を開こうと思う。 耳当てをとって、人を知りたいと思う。 今までさ、すっごく苦労してきた気になってた。 でも僕は僕の思う到達点までに至れるようなことはまだしてなかった。 それは知ってるつもりだった。 人は何に対しても理解を完了できないと思う。同じことだった。 人それぞれに長所短所があって、環境や目的に合わせて必要なものが違って。それは自分にも同じことで。 僕は僕に必要なものを理解出来ていなかった。 解った、気になってた。 僕はもともとエンパスなんだよ。人にやたら感
画像枚数の制限により008のみ表示 この2つの話では、あまり考えず、ただ心が健康な状態に近づいていくのを待てばいい。と言っています。 そのままです。 僕もこんな話を聞いたことがある。 辛い経験も思い詰めた過去も、考えずに済むような、集中できる何かしらに取り組んでいれば、ホントの病気、身体に要因がひそんでいる病いの類いではない限り、やがて回復していくのだそうだ。 その逆を言えば、何かに集中できる精神状態ではない時(錯乱状態、或いはそれに近い時)また、何もしないでいる時は、ど
消えろ。 人間なんて地球の害虫じゃないか。 みんなそろって死んで種を残さず土に還ればいい。 潰されて流されて食われて、大自然の堆肥になって樹木や海の一部になればいい。 それが資源の有効活用だ。 人間なんていなければ、この世がこんなに汚いことを知らずに済んだ。 人という字は人が一人で棒立ちしてんだよ! 人は独りで立たなきゃならないんだよ! 綺麗事の類いの減らず口を叩くやつは皆豚のエサにしてやればいい。 環境に配慮した持続可能な社会?? 否、人の人による人の為の社会だろ。 人
道徳を話したい僕の話し。 当たり前のことを言うんだけどさ、 人は人だよ。 1人では生きられないから、友情や家族愛を育んで生きているんだよ。 でも人は人なんだよ だから、全ての行動を行うのは自分。行動の責任を取るのも自分。 だから、決断によって受けた代償も利益も、それは自分の責任によって補完しないといけないと、僕は思う。 自分の力を自覚するのは自分でないといけない。 自分の武器を活かすのも自分でないといけない。 そこに周りの意見は関係ない。 人はアドバイスをするかもしれな
この話では、人は幸せをいくつでも作り出せる。だからその圧倒的な幸せの前では、不幸の1つや2つは気にならないだろう。という内容を言っています。 僕も全くの同意見ですね。俗に言う「前向きなことを考えよう」ということです。 少し僕の実体験を話すと。 僕は友達に絶縁を言い渡した時、それまでの友達との付き合いの長さを思って、いささか喪失感を憶えたんです。 今を楽しもうとするだけの若者ならばこんな決断はしなかったと思います。けれど僕は自分がその類いの若者ではないことを分かっていました
この話のまとめですが、必要ないですかね? …………通例なのでやることにします。 この話では心の調子が悪いとき、それを体に原因があることにすると良い。と言うものです。 具体的には、人との関係が上手くいかなくて困っていたとする。そしたら上手くいかなかった理由にある自分や人物の言動が、眠たかったり疲れたりして頭が動いていなかったことにする。 そしたら、次の機会からは上手くいく気がしてきますよね。 稚拙な言葉ではありますが、読んでいただきありがとうございます。 #アランの幸福論
帰途にいる 今泣けないのに うたを聴かせて 賽で積ませる(さい) 今亡き恋 帰り道の途中、失恋の決心から時間を置いた時で、それでも泣けないはずなのに、泣きたくて。 そんな時に作りました。 ただ、悲しくはないんです、それはたぶん、成長を得たからです。 これで僕もいよいよ立派なポエマーですよ