(気の滅入らない)有木誠の癌闘病日記92(景色が変わる)

癌になると、「時間に限りがある」事を自覚する。
そんな事は、何も癌にならなくても分かっている事だけど、どこか観念的なものとして捉えてしまって、現実味を感じてない場合が多いと思う。
それが、癌になると、それが現実なものとして突きつけられる。

そうすると、あらゆるものが覆る。
当たり前のことが当たり前でなくなり、ある意味常識が常識てなくなる。

それは、あたかも、重力があることが前提の地球上から宇宙の無常力の世界に連れて行かれた、が如くだ。
無重力世界ては「上下」の感覚が無くなる。
「水は高きから低きに流れる」といった典型的な常識が常識でなくなる。

私を含め、多くの人が「将来」の為に「今の時間」を過ごす。
まともと言われる人間は、だいたいそうなる。

子どもの頃から、期末テストでいい点を取る為に今日の宿題をちゃんとこなし、いい上級の学校に行くために、今の学校で真面目に勉強し、社会人になれば、自分のスキルを上げ、より良い将来を構築する為に、人との付き合いを大切にし、研修会に参加し、デジタル化に置いて行かれないように、必死にパソコンについて行く。

「今の時間」は全て「将来の時間」の為に存在した。

その事自体は、決して無駄とは思わないが、
その、「将来の時間」が限りあるを知った瞬間、考え方を大幅に変えざるを得なくなる。

「時間の奴隷」から、もう抜け出なければならない。
私は幸いにも、癌になる前から、定年後は自ら「時間の奴隷」からの脱却を目指す事が出来たので、ラッキーだったと思うが、癌になって以降は益々この思いを強くする事になる。

この「時間の奴隷」から抜け出た後、勝手気ままに、今を楽しむために刹那的に生きればいいのか?
といえば、そうでもないだろうなぁ。
それについてはまた別の機会に・・・

断捨離についても、面白い事が起きる。
捨てられない理由の1つは、
①いつか必要に成るかも知れない。
という心配、だ。
もう一つは
②過去の思い出、だ。

①ついては、
「いつか」という「将来」が否定されてしまっては、残す必要は全く無くなる。

②については、
「思い出」という心象は現在から将来に起こるものであるから、その将来がなければ、これまた、残す理由もない。

という訳で、きれいサッパリ、ストレスフリーで、断捨離が進むことと相成る。(笑)


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