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小説 フィリピン“日本兵探し” (14)

幻の金貨「丸福金貨」。表に「福」の一文字が描かれた金貨である。製造地や製造理由などは謎で、この丸福金貨が、フィリピンなどで戦後伝えられている「山下財宝」ではないかともいわれている。

丸福金貨が誕生したのは第二次世界大戦の末期とされる。「マレーの虎」で知られる、山下奉文大将がフィリピンの華僑財閥とのやり取りに使用するはずのものが、戦争激化でフィリピンに隠されたといわれている。

戦争末期のフィリピンの激戦で関係者は戦死したため、その詳しい情報を知る者は、これまで誰一人いないとされてきた。ただ財宝と共に隠れているという日本兵が本当に存在するのであれば、そのまま丸福金貨が残っている可能性もあるというわけだ。

かつて、日本軍が山下財宝を隠したとされてきたのはルソン島の北部、イフガオにあるトンネルだった。そこに住むイフガオ族は山の斜面に見事な棚田を耕作することで知られている。その地域性や文化、社会の規範のようなものは日本のそれに近いもののようにも見える。戦後、フィリピン政府による統治の過程で、その独自の文化は薄れ、山下財宝に関する情報も伝説と化していった。

日本軍が退却した跡は「黄金の道」と呼ばれた。フィリピンの人々にとって、財宝だけではなく、日本軍が所有していたトラックも工具も、戦後の生活に使える宝だった。

ただ政府や国民にとって、やはり最大の関心事は山下財宝。現在も、山下財宝を探し求める宝探しの集団は、フィリピン全土に約200も存在し、活動を続けている。サミエル、クワトロ、クレアはこの宝探しが本業で、自警団は副業のようにも見える。

丸福金貨の発行枚数は、推定25,000枚。世界のオークションでは、1枚が50万円から100万円で取り引きされている。話の通りなら、眠るとされる財宝は、250億円に相当する丸福金貨なのかもしれない。

「山下財宝は、フィリピンの現在の均衡を崩す」、帰りの車内でサミエルはタカシに語った。興味深い話だった。1999年のフィリピンのGDPは856億ドル(約10兆円)。250億円の宝といえば、その0.25%。左派と右派に思想が分断し、中国寄りかアメリカ寄りかでせめぎ合う国内情勢だけに、この資金が共産ゲリラに流れることは、彼らにとって、国家を方向転換させてしまう要素にもなりかねない大きな事象だった。

マニラの高級住宅街。豪邸が立ち並ぶ中、ひときわ豪華な門構えを見せる邸宅の一室に、女はいた。もう1年前だ。本国の党からの指示でマニラの古物商から手に入れた金貨だったが、夜、強盗に襲われ、その3枚を奪われてしまった。元々の出所は、アメリカのオークションだったらしい。別部隊がそのルートで出品者の所在を当たっていて、こちらでは、財宝発見の可能性がある場所が、ここルソン島なのか、広大なミンダナオ島なのか、はたまたレイテ島やサマール島なのか探している。日本人が慰霊のために訪れる場所は、激戦があったレイテ島が多い。往来する日本人の中にこの金貨を少しずつ日本へハンドキャリーで移送している人間がいないとも限らない。

金貨には福の文字があった。漢字を使うことは、普段ないが、友好国である中国の飲食店や事業所を訪れると、この漢字を逆さにしてドアなどに掛けているのをよく目にする。
「ヘンボク」、幸福を意味する言葉を口にした時、けたたましく卓上の電話が鳴った。
「はい。キム・ソラ、現地名マリア、報告します。丸福金貨を盗んだ男たちがサマール島に潜伏しているとの情報を確認しました。3人中2人は協力者、ジュンの元で身柄を確保しています。以上」
電話を終えた後、大声と共に電話器を床に叩きつける。無駄な仕事が増えたことにマリアは苛立ちを隠さなかった。

翌日、マリアは、マニラ空港にいた。レイテ島のタクロバンへ飛び、サマール島の同志、ジュンと合流するためだ。マリアはアタッシュケースを持っていた。中には、朝方、保冷庫から取り出した液体が入る瓶が固定されていた。国内線の緩さなら、所持品検査で引っ掛かることはないと彼女は確信していた。

雨が降るタクロバンの空港。到着は午後だった。空港でありながら屋根が雨漏りして天井から落ちる雨水をバケツで受け止める光景が目についた。
「貧しい国はどこも変わらないな。憎むべきは資本主義だ」、マリアは「アメリカ帝国主義」への怒りを拳ににじませ、アタッシュケースと共に、迎えに来た乗用車に乗り込んだ。

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