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小説 フィリピン“日本兵探し” (26)

暗い空間の中に、OAまでの時間を告げる時計が白く浮かび上がっていた。進む秒針。その場にいるスタッフの視線は、その正面の白い明かりに集まっていた。
「本番1分前です。各所よろしくお願いします」、テレビ関東のニューススタジオも、映像を送出する副調整室も、いつも以上の緊張感が漂っていた。もちろんトップニュースはフィリピンの無人島に、旧日本兵が54年前に戦争が終わったことを知らずに、きょうまで洞窟にとどまっていたというニュースだ。番組はお天気コーナーを除いて、1時間、ほぼ1本のニュースで押し切るという構成だった。

4時になり、「ニュースフォーカス」のオープニングVTRが流れた後、テレビ画面にはメインキャスターの桑原まゆみの姿が映し出され、カメラは彼女にズームインした。
「こんにちは」、まゆみは自分を写すカメラに会釈した後、今伝えようとしているニュースが世紀のスクープであることを噛み締めながら旧日本兵発見のニュースを伝え始めた。
「スクープです。フィリピンの無人島で信じられない出来事が起こりました。54年前に太平洋戦争が終わっていたことを知らずに無人島の洞窟に潜伏していた旧日本兵がきょう、テレビ関東系列のテレビ局などの調査により発見されました。発見したのはテレビ関東系列の記者や福岡の慰霊団体、大使館職員などで、発見された高齢男性は、旧日本兵、谷口四郎少尉とみられています。テレビ関東系列では谷口四郎少尉についての取材を進め、富山県から出征した時の記録を発見しました。先ほど家族とフィリピンで発見された本人が電話で話して、谷口少尉本人であることが確認されました」
まゆみが伝える内容に合わせて、画面には、フィリピン・サマール島と無人島の位置を示した地図や25歳の頃の谷口少尉の写真、電話を受けて驚く、谷口少尉の妹、妙子のきょうの映像などが映し出された。
「日本政府は、厚生労働省の記録では戦争で死亡したことになっている谷口少尉の生存確認を進め、帰国支援の準備に入るとしています。現地記者と電話がつながっています。現地の状況、伝えてください」
まゆみが現地のタカシに呼び掛けた。
「はい。こちらはフィリピン・サマール島の西側に位置する無人島です。通常の携帯電話はつながらず、衛星を使った電話で今話しています。私たちはきょう正午ごろサマール島のカルバヨグという町からボートで出発し、南西方向に2時間ほど走って、この島に着きました。私のすぐ横に、谷口四郎少尉がいます。日本人に会ったのはどれくらいぶりなのでしょうか?」
電話を向けられた谷口少尉は、「部下とこの島に来たのは昭和20年4月であります。その後、毎日、何日目なのかを記録しています。1万9,700日を超えているので、54年と少しとなります。島に来たのは部下やフィリピン人、数百人規模だったのですが、島に来て間もなく、全員が死亡しました。だから、こうして日本の方と日本語で話すのは54年ぶりということになります」
タカシは、この時の谷口少尉に違和感を覚えた。発見時や1時間ほど前に富山にいる妹、妙子に電話した時は、少し認知症を感じさせる谷口少尉の話し方だったが、全く別人のような物言いに変わっていたのだ。

タカシ以上に、谷口少尉の変化に警戒したのは、大使館の宮田だった。彼はインタビューの流れを変えようと電話口に割り込んだ。
「桑原キャスター、私は在フィリピン日本大使館の宮田と申します。私もすごく驚きました。フィリピンでだと、ルバング島で発見された小野口寛郎さん以来25年ぶりの大ニュースなので、大使館も厚生労働省や富山県と連携を取って、なるべく早く谷口さんが帰国できるよう、準備を進めているところです」

テレビ関東の唐沢デスクは、まゆみが座るMC席の横で、通信社から随時上がってくるニュースをチェックしていた。そして、その時、ある速報が飛び込んで来た。フィリピン・マニラ近郊の米軍関連施設付近で関係者が被害に遭う事件が発生したというのだ。現地ではテロと断定したらしく、3日前のミンダナオ島での空港テロとの共通性を伝え、「タニグチレボリューション、バンザイ」という容疑者の男が口にした言葉を伝えていた。
「このニュース突っ込むぞ」、唐沢は副調整室のディレクターに伝え、通信社の原稿をテレビ用にリライトして、まゆみに渡した。
「宮田さん、ありがとうございます。ここで、フィリピン関連の別のニュースが飛び込んで来ました」
まゆみは原稿のタニグチの文字にハッとしながら、唐沢が差し込んだ原稿の内容を伝えた。
「先ほど、午後3時ごろ、フィリピン・マニラ近郊の旧在比米空軍基地跡の施設に車両が突っ込み、その車両に積まれていたとみられる化学物質が付近に散乱して、少なくとも施設の関係者と車両の運転手の合わせて5人がその場に倒れた模様です。周辺にいた人の話によりますと、車両の運転手は『タニグチレボリューション、バンザイ』と叫び、そのまま倒れ込んだということです。また運転手の男は、3日前のミンダナオ島の空港テロで監視カメラに写っていた重要参考人と同一人物とみられ、フィリピン警察が身元の確認を急ぐとともに、軍が、散乱した化学物質の処理に当たっています」
「日本人のような名前や固有名詞の物は、両国の交流の歴史が長いので意外と多いのです」
宮田は、まゆみがニュース速報を伝えた後、すぐに谷口少尉と、「タニグチ」という、テロの容疑者の男が口にした言葉との関連性を否定する見方を伝えた。
「谷口少尉、すみません。偶然にも、タニグチという名前で事件が起こってしまい。気を悪くなさらないでください」
「マニラのニュース、聞こえました。戦争は本当に終わったのですか?こんなことが起きて。米軍関連施設が私の名前でなぜ狙われたのですか?化学物質とはVXガスですか?」と谷口少尉は静かな口調でまゆみに問い掛けた。
しかし、これは本当にまゆみへの問い掛けなのか、アメリカや日本政府への謎掛けなのか。
なぜVXガスと特定する?何か言おうとしているかもしれない。
宮田とタカシは、目で合図し、いったん電話中継を終える流れを作ることにした。
「私たちは、今夜はこの島に待機し、明日、大使館が用意するボートで移動を予定しています。以上、フィリピンの現地からでした」

日本での放送と同じ頃、蒸し暑いフィリピン・マニラのアメリカ大使館で、CIA出身のカーク・マッカートは、タニグチの身柄確保の指示を沖縄から受けた。
「どう火消しをするか」、白いシャツと茶色のネクタイに汗を滴らせて、カークは独りごちた。

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