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日本の人を傷つない笑い、海外の人を傷つける笑い

松本人志の性暴力疑惑で、また「人を傷つける笑い」論争が出ている。一応、漫才を自主的に研究した人間からは「日本の笑いは傷つける笑い」というのは大いに疑問である。それはなぜかというとが定義が曖昧だから。

①バラエティーかネタか


人を傷つける笑いの例として、バラエティー番組が挙げられる。これは芸人同士が内輪でやっているゲームショーを視聴者が見るものである。ここで「人を傷つける」というのはからかいや、物理的な暴力である。物理的な暴力に関して「人を傷つける」というのはよくわかるが、言葉などのからかいに関してはよくわからない。なぜなら、落語やコントの中だけでさんざん登場人物がひどい目に合うからだ。フランス出身のシリル・コピーニさんは無料のタワーレコードのフリーペーパーで「日本の笑いは人を傷つけない。海外の笑いは基本的にブラックジョークだ」とおっしゃっていた。これは自分がアメリカのスタンダップコメディ(一人漫談のようなもの)とか見ていてもよくわかる。たまにウィル・スミスの件しかり「人を傷つける笑い」をして、しばかれている事があるがあれはジョークが失敗しているだけなのである。
自分がここで仮説をとなえるが、「バラエティーの方がネタよりもよりドキュメンタリー感が強く芸人の内輪どうしても生々しく感じてしまうのではないか?」。だからネタの登場人物がひどい扱いを受ける以上に見てる人の拒否感を生みやすい。バラエティー番組をなくして、芸人は基本的にネタ番組のみに出演、という事にすれば「人を傷つける笑い」は減るだろう。

②日本の笑いに本当に足りないものは・・・・


笑いにはからかい、というものがある。それが政府に向けば風刺になるし、弱者にむけば「人を傷つける笑いになる」。そういう意味でいえば、日本の笑いはあまりに芸人同士の内輪に終始しすぎだと思う。笑いのからかいの方向性が芸人同士になりがちなのである。
だから日本の笑いの問題点は社会と分離しすぎている事にある。例えばアメリカのスタンダップコメディでは社会派のネタは普通にあり、差別を扱ったもので、優れた切り口で見事に笑いに変えているものがある。この社会的な問題をある切り口を持って笑いに変えるものが日本は少ない。爆笑問題とかがいると思うが、彼らはある現象をからかうだけで、その問題を考えさせられるものがない。また別に政治だけでなくじゃなく、ジェンダー、地域性、歴史の矛盾点など海外は笑いと社会がとにかく重なっている。そしてそれは時にお客を傷つける事がある。
日本はそろそろ漫才を卒業して、スタンダップコメディをやってほしいものである。

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