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『ふりがな』が少なすぎない? 【オヤジの観察 #13】

秋風が吹くころ、未だ就職先が決まらぬ一五いちご青年、後に入社することになるブラック企業の面接を終えて、大学の友人達と雀卓を囲んでいた。

「意外と本社の『社屋(しゃや)』立派だったぜ。」


・・・・・🙄?
「いま、しゃやって言った😮?」
「たしか、しゃやって言ったよね😮?」

「そう、しゃや、会社のに屋根のしゃや、何か?」

マージャン牌を動かす手がとまり、皆、ポカンとしている😮。
「ひょっとして『しゃおく』のこと言ってる😲?」

・・・・・なぬ 😓?
「冗談だよ、冗談、お前らの常識レベル? どうかと思って言ってみただけ😓」

「いや、絶対、マジで言ってた。こいつ、マジ、もう~勘弁してよ😆」
「ヒィー、辛すぎる、お前、本当に痛いな、ヒィー😆」
「いや、まいった、悲しいわ、こんなんと同じクラスなんて😆」

冷ややかな爆笑、そして侮蔑の眼差しにさらされて、
「ほら、遅ぇなー、早く打てよ、しゃやのオッサン😆」
しゃやのオッサン、それ、ロン😆」

それ以来、オヤジは長きに渡り『しゃやのオッサン』と呼ばれ続けたのでした😭。

・・・なんのはなしですか?


非常識・無知人

前々から漢字を知らないという自覚はあった。
言葉の意味はわかるが、奇妙な自己流読みがやたらと多い。
周囲にもうすうすとは気づかれていた。
それが、『しゃや事件』により非常識・無知人の地位が不動のものとなった。

負の歴史

ところで、文章を読んでいて、読めない漢字に出くわした時、皆様はどのように対処されているのであろうか? 

オヤジの場合、前後の文脈からおおよその意味が察し付く場合は適当に自己流で読み流し、意味もわからないと無視して読み飛ばすことが多い。
調べれば良いのに…と思われるだろうが、無意識のうちに
調べる手間とその価値』と『読む流れが途切れる損失回避
を天秤にかけて、後者を優先している。
長きに渡り、調べる手間を惜しみ続けた負の歴史が非常識・無知人を形作り、本人の中で自己流で確立している言葉、『しゃや』という読みが、ごく自然に口から飛び出てしまったのである。

ふりがな』を振る基準ってあるのかな🤔?
もし、基準があって、より多くの『ふりがな』が振られる内容であれば、社屋しゃおくを何度か見ていれば、オヤジの負の歴史も変わっていたのかな🤔?


久々の読書

おもしろいと評判のミステリー、好奇心にかられて久しぶりに読書をした。 読みはじめると、読めぬ漢字に出くわしたが、ふりがなが振ってある。😌

読み進めると、また同じ漢字がでてきたがふりがなは振られて無い
その時、すでに読みは忘れていた。😒(イラッ
数ページめくりなおして最初のふりがなを確認、元のページに戻る。🙁

再び読み進めると、また同じ漢字、ふりがなは振られて無い
再び読みを忘れていた。😩(イラーッ

加えて多くの登場人物、普通に読めない、読みにくい名前がやたらと使われている。
ふりがなが振ってあったのは最初だけ、当然、読みは忘れている。
人物はこんがらがる、漢字は読めない。

もともと忘れっぽいのに、年を取って、さらに記憶力の悪化が加速している。
なぜ、出版物にはかように『ふりがな』が振られていないのであろうか🤔?
意味はつかめても読めない漢字が頻繁に出てくると、たとえおもしろい小説であっても微妙に集中力が途切れイライラ感を覚えてしまう。
ついにイライラ感が小説への興味に勝り、本を放り投げて、さんま御殿を見ていた。

やはり、『ふりがな』必要、出版社にご意見投稿しようかな🤔?


『常識なんて必要ねぇ』

・・・ことはなかった。

思い返せば、小さい頃から漢字が苦手、勉強した記憶はほとんどない。
受験にも必要なかったので、勉強の対象として意識することもなく、成績が悪くても気にも留めなかった。

社会人になっても、日常生活で必要最低限の会話、読み書きさえできれば、常識なくても生きていけると突っ張っていたが、会社で非常識な言葉を使っていると、信頼感が損なわれて、業務にまで支障をきたすことがある。

プレゼンをしていたら、「クスクス」とこらえた笑い声がする。
後で指摘されたが、間違った読みを平然と連発していたようだ。
プレゼンの内容にも説得力なくなるよね😥。
ふと、中学の同級生の姿が自分に重なった。
彼は英語の授業中に先生にあてられて「Egg」を『イーグ』と発音して、
オヤジは涙をボロボロこぼしながら笑いをこらえていた。
人を笑っていたのに、いつの間にやら人に笑われている😭

一方、クイズ番組を見るとインテリタレントや学生達が難読漢字を次々と読み当てている。
常識どころか、難問クイズ、知識を売りにする職業まで現れている。
実にかっこいい、彼らは子供達のあこがれ、教育にもTVプログラムにも大きな影響を与えている。
小学生のクイズ番組まで登場して、知性溢れる顔つき、手を挙げて回答する姿が輝いている。
こちとら、社会人の年に『しゃやのオッサン』、
今の子供ってこんなにすごいの😲?

・・・なんのはなしですか?


百戦錬磨のオヤジの恥辱の数々をプレイバック

しゃやのオッサン』に限らず、漢字では数知れぬ恥をかき続けてきた。
66才の今日に至っても、未だ、負の遺産が顔を出すことがある。
よくも非常識・無知人がのうのうと定年まで社会人として勤めることができたものだ。会社に感謝!
さて、
皆さんの常識度、オヤジと同じレベルだと少しやばいよ😰

★塩梅(しおうめ)・・・ 60代

先日、TVで梅農家が自家製梅干しの作り方を紹介していた。
TV画面の下の方に農家さんの言葉がテロップで流れている。
『これぐらいの塩加減がいい塩梅に漬かるんですよ。』

「『あんばい』って言っているのに、『塩梅(しおうめ)』だって、笑っちゃうね。塩に漬けるから間違えたのかな?」
「ハァー? 😲?」
妻はいつものことながら呆れている。

★礼賛(れいさん)・・・ 60代

『れいさん、れいさん、れいさん・・・・・』
いくらタイプしても「礼賛」と変換されない。
検索すると、『“れいさん”と読んだら大恥です!』と出てきた。
“らいさん”が正解、これって常識なの?

★俯瞰(???)・・・ 50代後半

この言葉を知ったのは定年前、新任社長がお気に入りで事あるごとに使っていた。
知ったかぶりして聞いていたが、恥ずかしながら、言葉も漢字も知らなかった😧。
60才を前に初めて意味を理解、この言葉には知的で洗練された響きがある。

オヤジも同僚を前にドヤ顔で使ってみた。
「この問題の解決には全体を俯瞰(ふかん)して….」
心地よいマウント感、ドヤッ
自分の言葉が以前より重みを持ったように感じた。
(オヤジの常識レベルはこの程度😓)

★罫線(かせん)・・・ 40代後半

派遣社員の女性にエクセルの作成を指示していた。
「この列と列の間は細い点線で『罫線(かせん)』を引いてもらえる?」
「ハイ、『罫線(けいせん)』引けばいいんですね🤭?」

漢字も意味も知っていた。
長年に渡りエクセルで表を作ってきた。
そして、『かせん』と読み続けてきた。

★海老(かいろう)・・・ 中一の春休み

1970年の大阪万博で立ち寄ったレストラン、父親にメニューの「海老フライ」を注文してきてと頼まれた。海老の読みも意味もわかぬまま、ウェイトレスに海老(かいろう)フライを3つお願いしますと伝えた。


『ふりがな』が軽視されすぎている

・・・オヤジは確信に至る。
漢字はあっていい、日本が誇る文化・歴史として後世に残していくべきだ。
ただ、漢字にはもっとふりがなが振られてもいいのではないか🤔

文章に限らず映像にしてもそう、久々にみるNHK大河「光る君へ」、
字幕で紹介される登場人物は藤原姓のオンパレード、
普通に読めない名前(伊周これちか惟規のぶのり実資さねすけ宣孝のぶたか公任きんとう・・・等々)がやたらと多い。
しかも、似たようなつるんとした2枚目ばかりで人物の区別がつかない。
せめて、ふりがなが振られていたら、ドラマの理解度も違っていたと思うのだけど🤔

もっと多くの人が漢字に親しめるように、
ストレスなく小説を読めるように、
ドラマの理解度が高まるように、
さらに、オヤジのような非常識・無知人をなくすために・・・

すべての漢字にとは言わぬ、それはさすがにうるさすぎる、
せめて、読みづらい漢字にふりがなを付けて欲しい!
と願うのはオヤジだけなのかな🤔

なんのはなしですか?

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