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「箕輪の剣」第7話

第7話 関東出陣

 沼田万鬼斎顕泰という男がいる。上杉憲政が北条に負けて越後へ去ったため、沼田家は父子対立の修羅場になった。沼田万鬼斎顕泰は上杉派、その嫡男・左衛門尉三郎憲泰は北条派。万鬼斎は子の憲泰を殺さなければいけない運命だった。その後、北条孫次郎康元が攻め入り沼田を奪った。
 沼田万鬼斎顕泰は主君を追って越後へ逃れることとなった。
 今度の関東出兵にあたり
「先陣を賜りたし」
 沼田万鬼斎顕泰は長尾景虎に請い願った。
「城を取り戻したい」
 その願いに、長尾景虎は快く応じた。こういうことが、関東の評判を左右するものだ。北条の脅威から救いに来た、正義の毘沙門天という触れ込みにもつながる。沼田万鬼斎顕泰はその機を、今か、今かと、待った。
 その風聞も、関東へは漏れ伝わる。
 北条康元にとって、侵略者である印象は拭いきれない事実だ。土地の者は、やはり旧主を恋みるものである。これは、非常に居心地の悪い状況ともいえよう。もしも越後勢が攻め寄せたなら、戦える状態とは決していえない。
「戦わずして城を捨てる」
ことを、康元は早いうちから小田原へ申告していた。
「駄目だ」
 そういいたいところだが、若き当主・氏政には、即ち死せという残酷な命令を口にする覚悟はなかった。それよりも、小田原城の防備を急ぐことが精一杯で、いざというとき、関東の北条派への救援ができる体制も整わない有様だった。
「越後勢には籠城で抗せよ」
 それ以外の対応策はなかった。救援なき籠城で、敵が去るまで耐え忍べというのが、目下の北条の考えだった。
 
 永禄三年(1560)八月、越後勢が三国峠を越えた。この一報に、関東は一喜一憂の色分けが明確になった。さっそく憂いたのは、沼田城の北条康元だ。
「逃げろ」
 そう断じると、我先に沼田城から退去した。家臣すら置き去りにする勢いの退去ぶりだ。こういう撤退は、鬱屈していた土地の者を暴徒へと変える。康元は沼田を落ちた。
 越後勢は怒涛の勢いで、三国峠を下った。軍勢は沼田へ向かうと、既に北条勢から城を奪回した旧沼田家中の者たちが、歓声を上げて迎え入れた。越後勢は沼田城へ入り、休息を得た。
「儂は帰ってきた」
 沼田万鬼斎顕泰の咆哮に、土地の者たちは咽び泣いた。ここよりは厩橋まで道案内をすると、沼田勢は活気付いた。歓待の称賛は、越後の兵の末端まで高揚させた。
 我らは正義の軍勢なり。この大いなる勘違いは、こののちの越後勢の力の源泉となる。
「御館様」
 直江実綱が書状を取次ぎ、長尾景虎に差し出した。
「関東管領様、長野信濃守からの書状にござる」
「おお、長野。して、なんと」
「上野の豪族へ呼びかけ、厩橋城に駆けつけるとのこと。皆で関東管領様と越後勢を歓迎すると記されてござる」
 上杉憲政は咽び泣いた。関東を逃げ捨てた己を、未だ慕う者たちがいてくれた。なんで、泣かずにいられようか。

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