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「箕輪の剣」第8話

第8話 上州模様

 越後勢は厩橋城まで、僅か一日で押し寄せた。越後勢を迎える筈の上野勢よりも早く、軍勢は厩橋城に殺到した。北条勢は蜘蛛の子散らすように逃散し、越後勢の馬印である
「毘」
の旗幟がはためいた。
 箕輪城より馳せ判じた長野業政は
「なんとも素早いことだ」
と驚き、長尾景虎が本丸に入った半刻遅れで、参上した。
「そなたが信濃守であるな。再三の関東出兵要請に応えられなかったこと、まことに申し訳なく存ず」
 長尾景虎は詫び口上を述べた。長野業政は、じっと、長尾景虎の表情を伺った。感情の薄い、痩せた顔立ちでありながら、眼光には力が漲っていた。景虎の背後にある旗、刀八毘沙門天。噂には聞いていたが、毘沙門天に傾倒しているというのは、本当のようだ。
「我が主、関東管領様をお守りいただけましたこと、心より御礼申し上げます」
「義に背けぬゆえ、当然のことなり」
 長尾景虎もまた、長野業政の人となりを観察していた。
 智謀と武辺、従える家来の剣気が、ひしひしと感じられた。長野業政の家来は武辺者が多く、それも武芸に秀でていることを、景虎は沼田で聞いていた。
「その方が、上泉武蔵守か?」
 長尾景虎は、上泉秀綱をみた。ははっと、上泉秀綱は頭を下げた。
「武芸とは、戦さ働きとどう異なるか」
 ちらと長野業政をみた。頷くのを確認したうえで、上泉秀綱は頭を上げた。
「技の精進は心の精進。武芸は極めるところ、戦わずして相手に勝つ境地へ至る修行にござれば、戦さとなりて槍を用いることと、別儀にござる」
「戦わずして勝つ。夢のようじゃ」
「されば、越後の猛者を推挙願えれば、一芸、披露いたし候」
 小癪なと、長尾景虎は柿崎弥次郎景家を推挙した。常に越後勢の先駆けを務める、格別の武辺者だ。本丸の中庭に、両者は対峙した。柿崎景家は槍を構え、上泉秀綱は太刀を持った。真剣勝負である。下手な真似をしたら、双方、怪我だけでは済まされないだろう。
 柿崎景家は槍を突きだそうと、摺り足で一歩前に出ようとした。
「!」
 身体が、動かない。まるで、目の前に壁があって、それに阻まれているようだ。
「これを、剣気と申す」
 上泉秀綱は穏やかな口調で呟いた。春の陽だまりに佇む体で、その実、相手を制した検圧。無理に動いても、相手に先を読まれているだろう恐怖。百戦錬磨の武将が、はじめて体験した感覚だった。
「ご無礼仕りました」
 気がつくと、すでに上泉秀綱は太刀を鞘へ納めて片膝をついていた。
「面白いものを見せて貰った」
 長尾景虎は、その云わんとしていることを悟った。戦わずして勝つ、相手に武器を持たせぬこと。これは、芸のごとし。そう、武芸だ。戦さとなっては、この武芸は役にも立たぬ。一人で、無数の敵に、このような芸当は臨めない。
 しかし、この武芸の清々しさに、長尾景虎は感動した。
「まさに、名人じゃ」
「いえ」
「ん?」
 上泉秀綱は
「われ、未だ、未熟」
と、語尾を強めた。なぜかと、長尾景虎は質した。
「まことの武芸とは、相手に武器を持たせないことにあり。このこと、未だ道の途上にござりますれば、名人とは片腹痛し」
 無欲なことだ。上泉秀綱の言葉に、長尾景虎は感動した。
「このような家来を持てて、信濃守は幸せだな」
「はい」
「長野信濃守、こののちはその力を、儂がために貸して欲しい」
「心して励みましょう」
 上野衆のなかでも、長野業政は上席が許された。長野業政に応じ、武田へも北条へも屈しなかった豪族たちは、その口利きで、長尾景虎との面会が許された。一度でも転んだ者たちは、ついに目通りを許されなかった。その口利きを業政は拒んだのだ。これが、筋道である、武辺あれば自力で目通りできるのだ。
 励め。
 そういうことだった。
 
 長尾景虎の上野国入りの頃、北条氏康は里見の居城である久留里に押し寄せていた。どんなに攻め寄せても、久留里は屈しなかった。里見義堯は地の利を生かし、北条勢を翻弄した。水に富む久留里は、日干しに攻める策が不可能だった。兵糧に困っても、水が豊富なら、些か困る程度で済む。とことん籠城してやろうという士気は、衰える気配はない。
「越後勢、厩橋に布陣」
 この報せが届いた数日後には
「羽生城、陥落」
の報せを聞き、北条氏康は判断に迷った。武蔵国が、たちまち席巻されようとしていた。このまま久留里に縛られては、退路を断たれる恐れがある。
「退け」
 北条氏康は小田原へ向かうことなく、河越を目指した。
 河越城に入ったのは九月、そこで、長尾景虎が上野・下野の完全な地均しをしていることを知り、武蔵攻略の本気を肌で感じた。噂でしか聞いたことのない、越後の精兵。
 武田とは三度も川中島で戦ったが、勝敗さえ迂闊に判断できなかったという。
(噂以上だ)
 こういう武将とは、野戦を挑んではいけない。幾重にも罠を設け、濠を深くし、土塁を高くし、一寸でも戦力を削いだ籠城で、ひたすら刻を稼ぐしかなかった。
 氏康は松山城まで進んだ。これ以上の前進は危険だと、五感がビリビリとした。
 紛れもない。これは、恐怖だ。味方が寝返ることだけは、あってはならない。このことが、氏康の危惧だった。とにかく、北条に与する者は、籠城に徹すること。少しでも敵の戦力を削ぐことを念頭におくべしと、武蔵・相模の諸将に触れた。
 一〇月、北条氏康は小田原へ退いた。それまでに指図していた長大な土塁は、未だ完成していなかった。冷静沈着で知られる北条三代目の知将・氏康は、めずらしく心がざわめき、焦燥感のなかにいた。

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