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「箕輪の剣」第10話

第10話 後継

 長野業政が病であえなく没したのは、永禄四年(1561)一一月二二日のことである。小田原より戻ってすぐ、体調を崩した業政は、己の死期を悟り、こののちは越後の指図に従い、断じて武田に屈することなきよう、主だった者たちに云い含めた。
 上泉秀綱は切なかった。小田原で会った正木時茂もまた、上総へ戻ってすぐの、四月六日に死んだ。
「みんな、死んでしまった」
 命とは、儚い。残された者は、その夢を託されて、次の世代へ繋いでいく。
 新陰流。上泉秀綱の興した剣の道も、弟子たちが受け継ぐ。いつか己が死したときに、これを受け継ぎ、あたらしい流れを生み出していくのだろう。それは、今ここにいる者たちか、こののち出会う者か、それを知る術などない。
「旦那」
 くまだ。手招きすると、くまは近くに座した。
「大膳殿は、約束を守ったようだな」
「ご懸念なく。もう、上総から来る者はおりません」
 ちょっと、寂しいものだなと、上泉秀綱は笑った。
「しかし、大膳殿に聞くまで、すっかり騙された心地じゃ。儂はな、くまが北条に与する風魔とかいう乱波なのかと、疑ったこともあったぞ」
「そんなに勤勉じゃありませんよ」
「まだまだ、修行が足りないな」
「それよりも」
 くまは、安中越前守重繁が、再び武田と内通をはじめていることを口にした。秀綱も知っていた。このことは気掛かりだった。安中だけじゃない、小幡をはじめ、西上野の豪族たちは、大なり小なり、長野業政の死後、武田の調略に応じているのだ。
「感心するよ」
「はい?」
「武田には、感心する。その貪欲さは、まさに戦国そのものだ。奪い尽くすまで満足できないのだろうな、信玄入道は」
 つい数か月前、川中島で上杉政虎と武田信玄は激突した。未曽有の決戦だったと伝わっているが、仔細は知らない。武田の副将や軍師も死んだという噂だ。
「痛手も覚えずに、他国に侵してくるとは、恐ろしいものだ」
 去年の今ごろは、関東の誰もが狼狽えて、越後勢の進軍に一喜一憂していた。上野国の誰もが、改心して頭を下げた。それが、どうだ。喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、このことではないか。
「旦那、長野家は越後の関東管領に、これからも?」
「まあ、そうなるだろう」
「でも」
 くまの懸念は、察して余りある。安易に越山してくるはずのない上杉政虎を待つ孤軍奮闘は、結果として、孤立を意味していた。同盟者として信頼がおけるのは、せいぜい桐生祐綱と、吾妻の斎藤憲広くらいだろう。それだって、互いに離れた立地で、連携は難しい。
 それ以外の者は、武田か北条に属して、その手先として動くに違いない。
「まあ、先細りだな」
 それもいいだろうと、上泉秀綱は笑った。
 戦国の倣いである以上、武芸を極めることよりも、主家を生かすことこそ優先されるのだ。武芸は、あくまでも個人的なことに過ぎない。
「くまは、とんだところに来てしまったな。逃げたくなったら、いつでもお暇していいのだぞ」
 くまは頭を振った。
 今さら行ける場所などない。ないのだから、箕輪に居るしかないのだ。だから、去るつもりもなかった。
 後継者の長野新五郎業盛は、業政の三男である。家を継ぐべき兄が河越夜戦で戦死したため、若年で家督を継ぐ。上泉秀綱をはじめとする〈長野十六槍〉は健在だが、ただそれだけといえば、それまでなのだ。
「やれることを、我らは精一杯やるしかない」
「はい」
 長野家が当主を失ったこのとき、上杉政虎は再び関東へ出陣していた。しかし、小田原へ攻め入るような大規模な軍事行動ではない。
 松山城は越後勢が帰国すると、すぐに北条に奪回された。これを、また、上杉政虎が奪い取った。北条勢は直接の戦闘を回避し、徹底的に逃げた。どうせ越後に去れば、すぐにでも手中にできる。こういう戦術が随所で行われた。
 下野国の佐野昌綱が北条に寝返ると、上杉政虎がこれを攻めた。まるで、俗物に翻弄されるような体だ。
 一二月、政虎に宛てた将軍足利義輝の偏諱が達し、名を〈上杉輝虎〉と改めた。そのことが流布されると、上杉に寄る者がいっとき増えた。厩橋城で越年ののち、輝虎は館林城を攻め、城主・赤井文六を滅ぼした。まともに戦えば、輝虎は強いのだ。滅ぼされる。関東の諸将は、北条のやりかたから、生きる術を学んだ。
「徹底して戦うな、すぐに降伏しろ」
 どうせ、越後に帰ってしまえば、元通りなのだ。意地を張って、滅ぼされるような真似はする必要がない。こういう繰り返しが、関東の豪族にとって、年越しの恒例となっていくのである。

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