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【連載小説】三日月の夜に(第3話) 

 次の日に、ナオミから電話があった。
「来週予定通り、富士山に登るよね、そこで、これからの二人ことを、考えたい。」彼女は思い詰めたようにそう言った。
「うん。わかった。」僕は、すぐに返答した。8月の暑い夏だった。決着をつけると言うのはおかしいけど、どっちに転んでも受けとめる覚悟だった。

 富士山は、五号目までは、バスで行ける。そこから、なだらかに岩山の上り坂を進み、3776メートルの頂上を目指すコースだ。
 八号目あたりに、山小屋があり、仮眠と食事をとり、御来光(朝日)を拝むため、夜明け前に、山小屋を出発し、頂上を目指す。
 九号目あたりでは、雲が足元に見えて、雲の上の存在となれる。このあたりから酸素が急に薄くなり、高山病という頭痛や気分がわるくなる人も少なくない。頂上では、御来光(朝日)とおでん屋があり、カップラーメンなど暖かい軽食もとれる。
 
 頂上に到達したときに写真を撮ったが、達成感はあるが、同時に疲労感も見える。楽しそうには見えない。疲労感が満載。
 下山するときは約半分の時間で降りることができる。下山して温泉に入って帰る予定だったが、山の上で男らしさも見せることができなかったこともあり、ナオミは機嫌が良くない。

 そして、ナオミは宿泊をキャンセルした。一緒にいて楽しく過ごせないと思ったのであろう。僕は、一人電車に乗り帰るしかなかった。
 帰りの電車では、疲れもあり、もうどうでも良かった。
 
 唯一救われたのは、次の週末、寮の皆と同期で1泊2日で九十九里浜に旅行に出掛けたことだ。
10人くらいで二台のレンタカーを借りて、千葉の山地を抜け、太平洋の見えるビーチが見えた頃には、あたたかく懐かしい風が体を突き抜けた。
 夜に浜辺で花火をして、昼は、サンオイルを塗り日焼けして海で泳いだ。とてもリラックスした仲間との時間。
 緊張と緩和の繰り返す日々どちらが自分にとって大事なのかは考えたが、答えは出なかった。
 
 そして、暑い夏の研修は終った。他にも寮のテラスのバーベキューでの語らいや、東京での交流は最高で、素晴らしい研修だった。
 友人との絆は、その瞬間は永遠だ。
 その後に、出世で争ったとしても同期は永遠にそのリラックスした時間を伴に過ごした記憶だけは残るだろう。
 
 僕はまだ、ナオミが好きだった。
 好きなのか男の責任感なのかは、すでにどちらでも良かった。
 
 彼女のことをなぜか唯一無二の運命を感じていたし、彼女は「腐れ縁」だと言った。自分との相性や仕草や負けず嫌いなところも、好きだった。
 
 あとにも先にも、この瞬間を刹那的に生きようと思っている。うまく行かない人間的な未熟さ、「周りが見えてない」よくそう指摘された。
 
「自分たち二人の何がわかる?」その繰り返し。
真っ直ぐに愛していたようだ。そして抜け道の見えない恋路を歩く。ゴールがあるのかさえわからない。期間限定とすると、いつか終わりがくるのであろう。
 
 恋すると盲目にもなるというのは本当だったらしい。特に20代は、その盲目度も加速し、さらに勢いをつける。
 
「自分に不可能はない。どんな恋だって成就させる。」そう思っていた。
 大きな勘違い。無反省な若者だったが、明日は繰り返し訪れて朝日を迎える。地球は周り、世界はリセットされ、また、朝日は上ってくるのだ。
 
 ナオミの富士山で出した答えは、「当初のプランをやり遂げること。」だった。
 つまり、僕との関係を続けて、夏休みのバリ島まで恋人を続けることだった。僕に選択肢はやはりなかった。僕は性格がそもそも従順なのだ。
 
 そして、夏休みの、土日をはさんで、10日間、バリにいくため、名古屋空港を深夜バスで目指した。しかし朝方、大渋滞に巻き込まれたのだ。
「終わった、出発に間に合わない、、、。」そう思ったのが明け方五時頃。 

 まだ薄暗い道路からトンネルを抜け、心も落ち込み、お先真っ暗な状態で名古屋空港に到着した。
 飛行機に乗り遅れてしまったというアクシデント。バリ行きの航路はなく心折れそうだった。
ナオミに電話した。「不可抗力、どうしようもない。」そう思った。

 しかし、ナオミはすぐさま、旅行代理店と交渉し、追加料金を数万円払い、関空からバリ行きの深夜便に切り替えるチケットを僕に変更させた。旅行代理店とナオミの驚くほど優秀な状況把握、判断と行動に感心する。
 
 夜の関空に向かうと、ビジネスマンが多く、この便で向かう日本人もいることに勇気をもらえた。すぐに行動に移せばなんとかなる。不思議なバカンスは、プラン通り前進した。

 連絡手段はAOLメールのみ。メールの連絡のみで、僕を、名古屋から関空そしてバリ島までナビゲートした彼女のランドオペレートの力には平服する。そして5泊6日を、バリで過ごすことになる。 
 
 そしてついに、先にバリに向かったナオミと合流することになる。現地はまさに赤道直下のような常夏だ。飛行機から見える風景は、コバルトブルーの海と平地に広がる田園、ビーチではハードロックカフェがあり、パリピーな人たちが砂浜に寝転んで日焼けをしている楽園のような風景が見えた

 バリの空港に着いて税関ゲートを抜け、空港エントランスで、ナオミは、笑顔で迎えに来た。
 とびきりの笑顔だ。この笑顔と瞳を見ると、いやなことは全て忘れて、彼女を抱きしめるしかないのだ。空港から異動するタクシーでは何度もキスをした。
 まるで、何年も会っていなかった恋人同士のように、抱き合う。
 
 島では、二人の世界。レンタサイクルをして、美術館を巡った。海岸にある寺院を観光した。そして何度も愛し合った。昼はティーシャツで過ごし、観光地を回った。
 夜は、ナシゴレンやミーゴレンを食べて、ビールを飲む。二人だけの世界だ。世界が二人に与えたバカンス。
 
 海岸で、日本の方角の海を見つめたときには、「誰にも見つからない世界の端で体が透き通るほど自由な感覚」があった。

現実社会とつなぐ唯一の手段であるインターネットを通じて、夜には職場にこっそりメール連絡をした。

 上司から「ずっと裸のような生活を楽しんで。」意味深いメールに、「おみやげ話を持って帰ります。」と返信した。
 旅行の最終日に、風邪をナオミは引いたようで、常備していた風邪薬をあげた。ルルA錠は、素晴らしい。日本の薬剤メーカーは、バリ島でも活躍している。最終日。次はハワイのホノルルマラソンで再会しようと約束をした。
 
 空港に着いたときに、もう僕は疲れていた。しかし笑顔で別れた。当時LOVE PSYCHEDELICOのラストスマイルが、流行していた。そうこの旅で二人の熱は冷めていたのだ。
 
 僕は、バリ島から帰り、また仕事場に戻る。職場のお土産は、バリで購入したチョコレート。
 上司からは、「裸の旅は楽しかったか?」とすこし嫌みを含んだように聞こえた。
 僕は、笑顔で返した。「すごい暑かったです。途中、道に迷っちゃいました。」僕は、とても疲れていた。笑顔の裏は泥のように眠りたい気持ちでいっぱいだ。
 そして、12月のホノルルマラソンに向けて、フルマラソンの練習を始める。フルマラソンは、ゴールするのは簡単ではない。当時、モデルの長谷川理恵が毎年、ホノルルを走ることで、脚光を浴びていたが、実際に走るのは準備がいる。
 
 僕は、9月から11月まで。毎週土日は10キロづつ走って体を整えた。スポーツジムに通い、ロードランも何度もこなした。

 ホノルルマラソンは、世界から選りすぐりのジョガーが集まる、有数のフルマラソンイベントだ。僕は、前日から関空経由で向かった。
ジョギングシューズも新しいミズノのシューズを購入し、飛行機に乗った。
 
 そして、空港で、ナオミと待ち合わせた。空港では、ナオミは友達と二人で待っていた。友達はミサトだった。そう、最初のデートでナオミの代わりにディスニーシーでのデートをした彼女。彼女は僕とナオミの関係を良く理解していた。期間限定の恋人もこのホノルルでおわる。
 
 ホテルはナオミが取ってくれたので、前日は、3人でレストランで食事をした。ナオミは、レッドアイを注文し、僕は、ビールを注文した。ミサトは、ハイネケンを飲んでいた。乾杯したが、会話は静かなペースで進んだ。最後の晩餐があったとする。僕は、キリストだとすると、きっと誰かに恨まれているに違いない。
 
 次の日、朝早く集合する必要があった。スタートが5時だから、朝早く起きてランニング姿に着替えた3人は、スタート地点で軽くアップをして、ナオミとミサトは、スタートからゆっくり走る。僕は、「遅いと置いてくから。」と10キロまでは強気にハイペースだった。体が軽い。「これは調子がいいぞ。練習の成果をだしてやる。」
 
 朝から花火が上がり、ホノルルマラソンは大いに盛り上がった。花火を見ながら、走るワイキキビーチのアスファルトは、走るポテンシャルも引き出してくれる。10キロからは、スピードも落ちていき、20キロの折り返しの地点では、息も上がっていた。30キロ付近では、足がつりはじめ筋肉痛でズキズキしはじめる。でも路上の応援する観客がキャンディーやお茶などをくれる。勇気づけられ、元気づけられ、ゴールを目指した。
 
 40キロ付近では、歩くのがやっとの状態で、もうすでに5時間を超えていた。最後の2キロで、ついにナオミとミサトが追いついてきた。最後の力を振り絞って、三人でゴールを目指す。
 最後にミサトが、「二人で最後は手を繋いでゴールしたら?」彼女も気をつかってくれた。

 そして、「じゃ、手を繋ごうよ。」僕はそう言って、ナオミの手をとりゴールした。「ゴールイン!」ゴール後はシャワーを浴びて、休憩地点で座り込む。
「おなかすいたー。マクドナルドのハンバーガーが食いてー!」

 しかし、ホノルルマラソン大会に三人は参加して完走した記録はあるが、僕は、30分くらい遅れてゴールしている。
 僕の記憶では、疲れた記憶しかない。
 手を取り合ってゴールすることが理想ではあった。
 しかし僕の現実は、一人で、足が痙り、肉離れを起こしそうになりながらの一人でのゴールだった。
 そして、ナオミとミサトともゴールした後は、再会しなかった。連絡できる手段もなかったのだ。海外で携帯電話はつながらなかった。
 
 その後、ナオミは仕事を辞め、カナダへワーキングホリデーに行ったと、ミサトに聞いた。それは連絡が取れなくなってから二年後のことだった。
 僕には、それから広島の瀬戸内の孤島に異動となり、船で通うことになる日々が待っていた。 

 これまでの、オレンジ色の太陽の下でぶら下がって、毎日を過ごしていた日々は終わったのだ。 
 
 僕は、逆境を乗り越え、ひたすら二年かけて、国家試験を目指した。とにかく、自分をさらに強くする必要があり、全てを忘れて、ストイックに集中する毎日を送りたかったのかもしれない。
 
 資格取得に必要な時間は、1200時間。1日3時間平均として、365日。一年間毎日勉強して1095時間。もう2ヶ月足りない。14ヶ月を逆算して、試験の8月に合わせて4月から助走期間も含めて約1年4ヶ月、禁酒、禁煙をした。
 
 この間は、ジムのプールで泳ぐのと、読書をするのが唯一の楽しみだ。

 ゴールを目指すには、様々な自分のモチベーションとなる固い意志に、フックをかけ、いわゆる遠心力のような作用を引き起こす必要がある。最後のフックをかけた意志は、ナオミに再び会うことだった。それは確かに僕に大きな力を与えてくれた。
 
 そしてついに翌年には、目標の資格に合格し、再び実地研修で、半年間東京へ行くことになる。
 
 東京で数年ぶりにも、ナオミから電話があった。
「ひさしぶり!あれからカナダにワーホリいってさー、今は転職したんだよね。東京にいるなら、サトチンに会いたい。ただ、私が電話するということは、たぶん今の環境がきびしいからなんだよねー。ごめん、夜眠れないときに電話するかもしれない。また、電話していい?出なくてもいいからさー。」

 彼女はそう言って、次の日に品川で夜ご飯をいっしょに食べる約束をした。そして、次の日品川で待ち合わせした。しかし、いくら待っても彼女は現れなかった。

夜遅くにAOLメールがあった。

「ごめん、今はやっぱり会えない、会う勇気がない。これから私も強くなるから。いつか、お互い落ち着いたら、また話せたらいいね。」彼女のそのメッセージを最後に連絡が取れていない。

 僕は、その日をどこかで待ちわびていた。
 3年後、ソーシャルメディアでついに再会した。しかし、お互いを避けるように、あえて友達としてはつながらなかった。その頃には夜遅く、彼女からの着信もなくなっていた。 
 
 しかし、今も遠くから運命人として見守っている。彼女には幸せになってほしい。彼女はそれから数年後に結婚をした。

 サトルは、今日も夜空を見上げて、幸せを祈る。
 夜空には、三日月が浮かんでいて、手に届かない距離から、あたたかく僕を照らしている。

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