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自分が優しい人間ではないということがわかって気持ちが楽になった件

私はこれまで自分自身を結構優しい人間で、いいヤツだと思っていた。

こんなことをいい歳したおっさんが言うのもどうかと思われるだろうが、本当にそう思っていた。

だがしかし、私は周りから「優しい」と言われることが結構少なかった。

言われないことはない。たまには言われる。でももっと言われてもいいじゃないかと正直思っていた。

改めて、こんなことをいい歳したおっさんが言うのもどうかと思われるだろうが、本当にそう思っていた。

私は優しい人こそがカッコいいと思っていたし、そういう人間でありたいと思って生きてきた。


なのになぜ、私は他人から優しいと言われないのだろうか。

ずっと疑問に思っていたことだった。

しかし、最近ようやくその答えを見つけることができた。

私が他人から「優しい」と言われない理由、それはズバリ私が「優しくないから」だった。

は?バカなの?何当たり前のこと言ってんの?キモっ!と思われるかもしれない。

確かにその通りなのだが、もう少し詳しく説明すると、
私がこれまで「優しさ」だと思っていたものはあくまで世間一般的には優しさではなく「正義感」だったということなのだ。

「優しさ」と「正義感」は似て非なるものだ。

この違いを説明するならば、例えば人混みの中で全力疾走しているオッサンがいたとする。

それを見た私が思うことは
危ねえだろ!お年寄りや子どもにでもぶつかったらどうすんだよ!
ということだ。

しかし、世間一般的に優しいとされている人が思うのは次の通りだろう。
急いでること、あるよね。走っちゃうことも、あるよね。

これが「正義感」と「優しさ」の違いであり、また世間的に圧倒的に支持されるのは後者のような人間なのだ。

「正義感」というと聞こえはいいが、よく戦争などで「正義の反対は悪ではなくまた別の正義」という言葉が使われるように、正義には正解がなかったり、人によってその形が違っていたりするので、逆に対立が生まれてしまうことも多い。

対して大衆に受け入れられやすく、評価されやすいのは圧倒的に「優しさ」の方だ。


これまで私はずっと「優しい人になりたい」というか、ぶっちゃけ「優しい人と思われたい」と思ってきたけれど、自分には正直あまりその資質はないように感じるし、そもそも自分が追い求めている姿って実は「優しい人」ではないんだな、と気づいてしまった。

そうなったらもう、なんか肩の荷が下りた気がした。

これまではこんなことを言ったら優しいって思われないんじゃないか、とか
なんで優しさで言ってるのに反感買わなきゃいけないんだろう、とか思うことがたまにあったんだけど、私はそもそも優しい人間ではないのだ。

それが答えだったというわけだ。

優しくもないし、いいヤツでもないし、そして本当は別に、そうなりたくもない。

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