映画『ファースト・カウ』の感想/上田市トラゥム・ライゼ
以前より、ちょくちょくお邪魔させて頂いてる、長野県上田市の映画館『上田映劇』さんのお隣の姉妹館『トラゥム・ライゼ』さんで、公開最終日に映画『ファースト・カウ』の鑑賞をしてきました
こちらの記事は、あまりネタバレに配慮していないばかりか、閲覧する方によっては苦手と感じる内容に言及している箇所があるので、大変申し訳ありませんが、お気をつけください
全体のざっくりした感想から
西部開拓時代オレゴン州の、まだまだ物資の流通が整っていない環境で、開拓民たちは発展途上な農業や狩猟を行い、日々の糧を得ていた時代の話です
その土地の小金持ちの家に、はるばる海を越えて1頭の乳牛が持ち込まれるのですが、二人の男が夜な夜なその乳牛の乳を搾って、しぼりたての牛乳を盗み出し、それを使ってまだこの地では誰も口にしたことのない、とびきり美味しいドーナツを揚げて市場で販売し、その味が大評判となります
しかし評判を呼ぶということは、注目を集めてしまうということ
結局二人の男は、牛乳泥棒を働いていたことがバレて追われてしまいます
実は、本当に、それだけの話なんです
見終わって回想すると、話の規模や悪事の盗みの内容のちっちゃさに驚きます
映画ポスターには“美味しいドーナツで一攫千金をめざす!”なんて書かれてるけど、そんな陽気なケイパーものではぜんぜんなくて、それよりは、試行錯誤してドーナツを作ったり、毎晩牛乳ドロをしてコソコソ逃げる二人を見守る映画なんですよね
盗みが発覚しないかめちゃくちゃハラハラするし、ドーナツの美味しそうな描写によだれが出そうだし、二人の息の合った商売のやり方も、その前の出会いから仲良くなる流れも、終盤の絶望の逃避行も、心が千々に乱れました
二人にあまりにも肩入れしたくなるんです
自分はとても好きだけど、つまらないと感じる人も、話の規模のちっちゃさに首を傾げる人もいるかも知れない
この映画を貶されたらショック過ぎるから、だからどこかにそっと隠しておきたい、そんな映画です
ところで、この西部開拓時代の教養が無いものですから、登場人物の喋ってる内容が分からない箇所がちょいちょいありました
酒場の開拓人夫たちの会話とか、町で急にちょっかい出してくる住人の罵倒の内容とか、小金持の仲買人の社交の場の冗談とかです
それらがもっと分かれば、くみ取れる物語があるんだろうなあと、残念でした
あと、終盤近くでドーナツ屋の片割れが大怪我をして先住民族のお宅に匿われて治療を受けるシーンがあるのですが、その家のおじいさん(おばあさんかも知れない)がふわふわと祈りの舞のような動作をするのを(白昼夢のように)見る箇所は、どういう意味だったのか、まったく分かりませんでした
(まさか、怪我が治りますように~という祈祷? それは無いか…)
先ほどは、牛乳を盗んでドーナツを作って怒られるだけの話です! みたいな書き方をしましたが、自分の知識と考察力だけでは感じ取れない物語も、きっと多く含まれている作品です 有識者の意見が伺いたいです
上田映劇さんとトラゥム・ライゼさんの企画とサービスについて
こちらは、上田映劇さんで鑑賞記念にもらえる映劇はんこ画像です
牛さんに優しく話しかけながら牛乳ちょうだいね…って言ってるのと、木の上で見張りをしてる二人組です
さらに、上田映劇さんと姉妹館のトラゥム・ライゼさんでは、限定でドーナツの販売をされていたそうです
自分は都合がつかず、買いに行けなかったのですが、どう見ても素晴らしく美味しいドーナツが素敵です
このドーナツを提供された“ナグモドーナツ”さんにも、今度伺いたいです
ここから閲覧注意項目です
ところで自分は、男性同士の恋愛をエンタメ的に描いた作品などが好きな、いわゆる“腐女子”なのですが、この作品にも腐女子が大喜びするそれを感じました
ドーナツを作るための牛乳泥棒バディの片割れ、通称“クッキー”は、作中では言及されてませんが“恋愛対象が男性の男性”もしくは“性自認が女性の男性”のように感じました
二人が初めて出会ったシーンでの献身的な気遣いや、家に招かれた時に自然に掃除をして野の花を飾ったりする様子、牛乳を盗む際にも乳牛に向かって優しい言葉をかけて身体を撫でてやったりして(そして乳牛がとっても懐いてしまって、後々怪しまれる原因にすらなる!)
そういう行動がすごく、類型的な言い方をあえてするなら“女らしい優しさ”に溢れていて、クッキーを見守りたい、幸せになってほしい、辛い目にあって欲しくないって気持ちが止まらなくなるんです
心優しく清らかな、おとぎ話のお姫様のようにすら見えてくるんです
ドーナツ屋の片割れのもう一人、キングに対してクッキーは、おそらく恋愛感情込みの深い友愛を抱いている(けどそれを気取られないようにしている)ように感じますし
キングが土地の小金持ちを揶揄する時に
「あんな奴、女みたいな奴だ おれたち男は道を切り拓くしかない」
と、いう言い回しをするのですが、クッキーはそれに同調も否定もしない、何とも曖昧な表情のままでいるのです
その顔が、キングへの様々な感情や自身の本音を押し殺しているようにも見えました
二人がどういう運命を辿るのかは、冒頭ではっきり示されているために、二人の旅はここまでなんだ、一攫千金の夢はここで絶えるんだ…ということが終盤で分かってしまう場面があります
でも、それでも二人は一緒にいられた、夢は叶わなかったかも知れないけど、クッキーはきっと、一攫千金するよりも、キングとずっと一緒にいたいっていう気持ちの方が強くて、キングはそんなクッキーの気持ちを多分薄々察していたし受け入れていた
だから最後に「ここにいる、安心しろ」って命が絶えかけてる彼に言ったのだと思うんです
ほろ苦く、でもとびきり甘くてピュアな映画でした
追記
書き終わって数時間したら記事内容について、
あれ、やっぱりちょっと違うかも知れないな…と思う箇所が出てきたので追記します
クッキーのことなんですが、彼を“女性的なやさしさを持つ人”という表現で書いてしまいました
しかし、彼の驚くほどの優しさや他者への慈しみを表現するには、女性的だとか性的嗜好のマイノリティの可能性を持ち出すには適切でないと思い直しました
クッキーの優しさは、相棒のキングに向けられたものに留まらず、乳牛や幼児、酒場で突然預けられた赤ちゃん、キノコ取りをしてる最中に見つけた引っくり返ってしまって動けなくなってるヤモリにまで及びます
それは性別や種を越えた、生きとし生けるもの全てへの慈しみで、彼は天から落ちてきた天使だったんじゃないかと思えるほどです
(で、ここからはトンデモ解釈かも知れないですが)
記事中に書いた、先住民族のお宅に匿われて治療を受けるシーンの意味が分からないくだりですが、
あのシーンはひょっとしたら、死人還しの呪いを受けているところだったのではないかと思えてきました
クッキーはそのシーンのあと、回復して目を覚ますのですが、すると先住民族の家は廃屋になっていて住人が居なくなっているのです 日本昔話などで、狐が人を化かしたように
このオレゴン州の土地の神様のような存在が、ずっと他者への慈しみを持ち続けたクッキーがひとりで死んでしまいそうなところを哀れんで、
もう一度だけキングに会いたいという願いを叶えてあげたんじゃないでしょうか?
そして二人はまた会えて、二人でいられた
そこで二人の夢は潰えてもクッキーの密かな、ずっと一緒にいたいって願いが叶った映画、なのではと自分は感じました
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