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いや待て。。意味のある記事なんてなかなか書けないから雑記でいいと思っている自分と、雑記なんかにしたら書く練習の意味がないだろ、という自分がいるんだがこれはどうしたらいいんだろう。。

自分探しのためになんでも書けるようにしたら書けるんじゃないかなと思ったら、逆に書けないジレンマに陥っていた。

ゴミみたいな記事を書いて、一体何になるんだ?って。
やっぱり相手がいてこその記事だろって。。

何かを伝えたいから、残したいから書くんだよな?って。
どうやら、なにかを勘違いしていた気がする。
そもそも記事を公開する意味を、もっと考えるべきだった。
公開されてるだけでも意識して書くからいいんだって思ったけど、それは単なる甘えであって、記事公開にあたっては、ほんとにしょーもないことを公開すべきかというジレンマが常にあったため、逆に足枷でしかないことに気付いた。

頭が混乱してきたので、昨日から、いくつかのnote初心者本を本を読んでみた。
なんでもないことをnoteにする意味ってどのぐらいあるのかを確かめたかったから。

例えば365日note継続するとして、それが意味ない文章やつぶやきなら簡単にできてしまうように、書くのを継続することだけが目的、書くだけが目的なのであれば、自分の文章レベルはいつまで経っても上がらないよな、と思えてきた。

ブログを目指すのが10年後だから、これでいいやという甘えのようなものが、自分にはあった。

最初に読んだ本があまりにスローライフなブロガー達成法を語り過ぎており、それに自分が合わないのに合わせようとしていた気がする。

自分はおそらく、もっと必死にならないといけない状況にあるし、必死で頑張れるんじゃないか。それを放棄して何やってるんだと。
こんな、なんでも書きますnoteにしてたんじゃ、note投稿を楽に続けられるままでは、何も成し得ないのではないかと。

というわけで、ちょっと方向性を考えたいと思った。



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