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『ともぐい』河﨑秋子&『The Tokyo Toilet』岡野 民[文]/永禮 賢[写真]|Book Guide〈評・東 えりか〉

文=東 えりか

『ともぐい』河﨑秋子

生と死が背中合わせにある世界

「市井の人」が町中で普通に生きる人々を指すならば、山で孤独に生きる男は「野生の人」なのか。第一七〇回直木賞を受賞した『ともぐい』は一人の「野生の男」の生きざまを余すところなく描いた硬質の物語だ。

 幼いころから母はなく、養父に生きる術を教えこまれた「熊爪」には三十回ほど冬を超えた記憶がある。北海道東部の手つかずの山の中で、今日もひとり獲物を狙う。時は明治とか呼ばれる年号になって久しい。

 付き添うのは名もない犬が一匹。村田むらた銃から一発の銃弾が発せられ、立派な角を持った牡鹿おじかをしとめる。みじめにしかばねを晒す鹿の皮を手早く剥いで、肉と内臓をより分ける作業が続く。

 歩いて半日ほどかかる白糠しらぬかの町へもっていけば金になる。生命を金に換えねば、弾丸と食料と酒が手に入らない。熊爪に目をかけてくれる町一番の金持ち『かどやのみせ』が頼りだ。ここに肉や山菜を売り、店主の井之上良輔と話をするのはいつものことだ。数か月に一度、それが生きる糧となっている。

 物語は淡々と進む。大きな熊を追って手負いになった猟師を助け、その大熊を倒した別の赤毛の熊に襲われて大怪我をしたあたりから熊爪は考え始める。女と子どもがいる生活を。山の中で馴染んだ静寂とは真逆の賑やかな「暮らし」を。一人でいることしか知らない熊爪が、人恋しくなるのは本能なのか。男の欲望と女のそれとは何が違うのか。

 全編から獣の息遣いが聞こえ、それから流れ出る血の臭いが充満する小説だ。生と死が背中合わせにある世界に魅了される。生命とは何か。哲学にも似た問いかけを『ともぐい』は読者に突きつけてくる。

■ ■ ■

『The Tokyo Toilet』
岡野 民[文]/永禮 賢[写真](TOTO出版)

クリエーターたちが作った革新的なトイレ

役所広司やくしょこうじが第七六回カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した映画「PERFECT DAYS」は渋谷区の公衆トイレをリノベーションしてイメージを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」から始まった。

 本書は十六人のクリエーターが作った革新的なトイレの全貌を余すところなく紹介している。出版社はTOTO出版。

 多くの観光地はトイレ問題に悩んでいる。必要不可欠なのに目立つ場所に設置できず、衛生や安全の問題もあった。それを観光資源そのものにしてしまうという逆転の発想。映画の聖地巡礼に欠かせない一冊である。

《小説宝石 2024年3月号 掲載》


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