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私が金やチヤホヤされるためにAIイラストを生成していると思っていたのか?私は「神絵師」を越えるためにAIイラストを生成している。


よくある美術系予備校の物語


※特に私は凄いアルファとかではなく、フォロワーもしょぼい術師です

これはNijiJourneyv4ですね

私は芸術の世界への夢を抱き、画筆を手にした少女だった。その世界に初めて足を踏み入れたのは、美術系予備校の門をくぐった瞬間だ。その頃の私は、何も知らず、ただ好きな漫画の絵を上手く描ければという軽い気持ちで入学を決めた。しかし、その門をくぐると同時に私は地獄に飛び込んでいたことに気づく。
その世界は、私が想像していたものとは大きく異なっていた。
まず夏期講習始めに教師に「結果が全てだ。お前らがどんなに努力していようが過程は関係ない」と言い放たれる。
絵は出来が良い順に残酷に並び替えられる。教師は私たちに「なんだその黄色い背景は!オシッコかよ!」などと暴言を浴びせる。機嫌が悪ければ、絵の出来が悪ければ物を壊し、その度に私たち生徒の心を削り、痛めつけていった。それは、私たちが見たい美しい絵や夢とはまったくかけ離れた厳しい現実だった。教師は心的外傷を負って泣きながら寝込んでいるらしい生徒を笑い、恨みを買われすぎて生徒に放火未遂されたことを武勇伝のように語り、少なくとも3人(男子しか殴らないらしい)を殴ったことを話した。
教師は私達に辞めるなよ?親に辞めさせてくれと頼むなんてガキのすることだと洗脳し辞めさせないようにし、ほどほどの美大で良いと思っている生徒にも武蔵野美術大学や多摩美術大学など超一流美大に入るよう押し付けた。

それでも、私は耐えた。この教師に耐えられないのは私の努力不足だからと自分の弱さを否定しつつ、朝から夜まで一日中絵を描き続けた。私の目にはもはや何も映らず、目の前のデッサン用紙は水彩画は積み上がった。その全ては私の成長の証だと信じ、私は絵を描き続けた。
高校も中退してしまい(別に予備校が原因ではない)朝から晩まで絵を描き続ける浪人コースに入らされた私の生活は、美術予備校が全てだった。何のために描いているのか、何のためにこの苦しみを耐えているのか、自分自身に何度も問いかけながら、私は描き続けた。

しかし、私の努力は報われなかった。夕方からの現役コースの子たちは大阪芸術大学などに受かっていく中、3年以上彼に耐えた私は私は本気に志望していた美大に全落ちした。結局私が入学できたのは本当に滑り止めので誰でも入れるようなどうしようもないFラン美大だった。それは、私にとって大きな打撃だった。教師の暴言に耐え、心の痛みを抑え、絵を描き続けた私の努力は、結局報われなかったのだ。
その時の私はただただ悔しさに満ちていた。自分がこんなにも頑張ったのに、結局はこの程度しかできないのだという現実に、私は深く打ちのめされた。

小説を書いてみる。そしてAIイラスト生成との出会い


入学しても私の心はなかなか癒えず、絵に対する情熱も冷めていってしまった。絵に対する心的外傷から回復できず、私は美大で遊び呆け、単位も4年になって大慌てし結局半年留年。職業も別の道を選んだ。
私の絵を描くという情熱は、暴言を吐く教師によって奪われてしまった。
しかし、表現することへの欲求は私の中にずっと残っていた。絵を描くことを止めた私が新たに手を伸ばしたのは、物語を紡ぐという形だった。

私は、大好きなゲーム、スマホゲームFGOのキャラクターを主人公にした成人向けの小説を書き始めた。
私が選んだのは推しのマイナーサーヴァントと女主人公のカップリング。
マイナーカップリングだったこと、またそのキャラクターの互助会には入れなかったことや実力不足もあり私の物語は人気を博すことはなかったし、同担1人が毎回コメントをくれることだけが励みだった。私はただただ自分の好きな世界を描き続けることで心の傷を癒していた。

そんなある日、私はニュースサイトでふと見た記事で、「MidJourney」というソフトを見つけた。それは文字で絵を生成出来るという画期的なソフトだった。私はそのソフトを見て、自分の書く小説に挿絵を描き入れることができるのではないかと思った。早速有料会員になった。
だが、推しキャラも…なんか濃いインド人顔しか生成出来ない。今見ると野暮ったいが、それでも、私自身は初めて生成したキャラクターにキャッキャウフフと喜んだものだ。

MidJourneyv4ではなんかアルジュナ生成が多かったと思う。アルジュナオルタは当時の技術では無理だった。うん。めっちゃ濃いですね。

私はどんどん生成し小説に挿絵を加えていった。
プロンプトを濃いインド人にならないよう頑張り、MidJourneyv4で頑張って入れていった。

↑長編も書いたことがある。恋人役と女主人公の仲を恋人役兄が邪魔をしまくり、兄のほうが目立っているという奇妙な小説だ。恋人役兄を今度は恋人役にした続編も考え中だ。読者は同担の友人1人だけになりそうだが…。
↑MidJourneyはNijiJourneyにはない良いところもあった。表情が豊かなのだ。この2枚の哀しみの表情はなかなかNijiJourneyには出せない。久しぶりにMidもまたいじってみようかな。

二次元特化のNijiJourneyv4が出来たが、まだ私の生成物は野暮ったいままだった。しかし、私はそれをレタッチすることで誤魔化したり、妥協したりと何とか物語に絵を添えていった。

↑冬の雪の中の街で恋人役が主人公を待つシーン。NijiJourneyv4ではもう何回ガチャっても野暮ったい絵しか生成出来なかった。結局右のわざと表情を見せない絵にレタッチして頑張った。
↑まあ奇跡的に良さげなものが出来ることもあった。右手?か、隠れてるんでしょ…。

そして革命が起こる。
NijiJourneyv5になった瞬間、私の生成物は爆速で進化した。一気に高品質な絵が生成できるようになったのだ。
その瞬間、私は新たな可能性を見つけたのだ。

↑MidJourneyv4・v5では苦労した「成人男性にスイーツを食べさせる」という夢もNijiJourneyv5では叶えることが出来た。
↑テーブル、手がおかしい、もっと描き込み密度が欲しい、要ツノレタッチなど課題はあるが、MidJourneyでは諦めていた推しのジュナオの第一再臨も生成が出来た。
↑絡み苦手は…ゲーム画面風にして誤魔化そう。背景もMidJourney、セリフ枠もフリー素材、加工もアイビス(無料)である。
↑こんな露出高い最終再臨だったら、炎上するやろ。あとパラメーターがLv120金フォウマのものだけど、枠は120仕様じゃないね…。
↑同担友人がアルジュナを引けないというが、ないなら生成すればいいのでは?
↑テスカトリポカ概念礼装もないなら生成しちゃえ。そして、自分さえ満足すれば満足。


高価なパソコン(魔法のカードで買えなくはない)で生成するstable diffusionなどのソフトも存在しているが、私はあえてJourneyシリーズを選んでいる。
NovelAIやstable diffusionだとマスターピース顔というか、「あ、これNovelAIだな」「これはstable diffusionで生成したな」とすぐわかってしまう。
それに適当プロンプトでも美麗な生成物を生成してしまうJourneyシリーズは革命だ。(とはいえ成人向け絵を生成したくなったり、手軽に漫画絵や絡み絵を出力出来るようになったら乗り換えざるを得ないが)
何より私はJourneyシリーズと共に成長してきたからだ。絵を描くことから遠ざかっていた私が違う形とはいえ再び絵を生成し始め、それが私の物語を更に彩っていく。その過程を見てきたからこそ、私はJourneyシリーズを愛してやまない。それが私の、新たな創造の「旅路」だ。

手描き絵師たちからのブロック


↑囚われのパルマの続編(春夏秋冬の冬編)が出ないので、自分でChatGPTでプロンプトを書いてゲームを作ってみたり。壁打ちも辛いので、AI界隈でもいいから所属したかった?

Twitter上で私がAIを用いたイラストを発信し始めたとき、ある変化が起こった。それは、手描き絵師たちからブロックされるという事象だ。(大したTwitterフォロワー数はもともとないが)
「キャラ愛があるのはわかるが、貴方の生成物を見ていると病む」、「AIに全ベットし、努力を放棄した奴。手描き絵師よりAI絵師が優れていると暗示をかけないと生きていけない奴」と反応された。
その反応を見て、私は深く考えさせられた。私がFGOのキャラ推しアカウントからAIを中心にしたアカウントに切り替えたのは、人々から「AIは素晴らしい」だと認められることを求めてのことではない。(実際、私のAIイラストの「いいね」はいつも同担1人からのものだ)
それはむしろ、「所属欲求」から来ていた。それは、私自身の創作活動をどこかに属させたい、というただそれだけの理由だった。
私は手描き絵とAI絵は別ジャンル、別競技だと思っている。それぞれの美しさ、それぞれの表現の可能性があるからだ。タイトルに挙げている目標と矛盾してると思われるかもしれないがその目標は単なる自己満足であり、この2つは別競技である。だから、もし私がAIを選んだことで、手描きの絵師の方々に失礼があったと感じられた方がいらっしゃったなら、それは非常に残念で、心からお詫び申し上げる。

目標は神絵師を越えることだけで、登山のようなもの。それ以上それ以下はない


私がAIを用いたイラスト生成に励む目的は、金(マネタイズ)やTwitterでのフォロワー獲得、つまりチヤホヤされることではない。私が目指すのは、AIを駆使して頂点の神絵師のレベルに到達することである。その基準はPixivやTwitterでの「いいね」やリツイートの数ではなく、私自身が「達成した!!!」と確信できる瞬間に訪れる。これはあくまで超主観的な超自己満足で、それだけで満足感を得る。
現在、私が生成しているAIイラストは、その美麗さを誇る一方で、違和感や課題を無視することはできない。それらの一部は私自身のレタッチの欠如や技術の未熟さに起因するものかもしれない。また、私が見たいカップリングイラスト(2人以上のキャラクターの絡み絵)の生成に関しても、AIの技術はまだ未熟である。それゆえに、心から望むシチュエーションのカップリングイラストについては、自力で描くことやSkebへの依頼が依然として必要であり、AIの技術のさらなる進歩が待たれる。

↑🌈v5。ラーメンを食べさせることがまず苦労したのでしょうがないが、左手が6本ある、机がどうなってるのかわからない、どう座ってるのかわからない、背景の違和感が拭えない。明らかなレタッチサボりである。pakoさんの絵を顎が長いと言っていたイラストレーターからは(誰かマジでわからないが)赤を入れられまくるだろう。

しかし、それでもNijiJourneyを用いることで、ジャンルにもよるが(そのキャラクターが生成可能かどうかによる)、我々はジャンルの画力のトップ10%に到達することができる。私がアルジュナ互助会で評価されている同じテーマを用いて試しに生成した結果、MidJourney、NijiJourneyの生成したイラストは、手描きのものを凌駕していた。……具体的な例は炎上を避けるために挙げることはできない。

しかしながら、趣味で描くトップ1%のプロクリエイターの神絵に到達するには、まだ遠い。彼/彼女らの作品には、完璧な構成、構図、デッサン、キャラクターの絡みが見事に融合されている。それを超越するには、AIのさらなる進化が必要である。だが、それが不可能とは私は思っていない。AIの進歩とともに、必ずその壁を超え、勝手に自己満足することができるだろう。それが私の信念である。

さようなら画力カースト


現段階では、一部のプロクリエイターや神絵師のレベルにはまだ追いつけていない。だが、AIの進歩は信じており、その日が来ることを確信している。そしてその日が訪れれば、誰もが神絵を生成できる時代が到来する。その結果が何をもたらすかは未知だが、私はその未来を恐れてはいない。それどころか、画力によるカースト制度が消え去ることを、喜びと感じている。
創作ジャンルには、「画力カースト」という厳然とした存在がある。絵が下手だと、pixivのブクマやいいねの数も少なく、舞踏会に招待されなかったお姫様のような哀しみを経験する。一方、神絵師は称賛を受け、賞賛される。それを免れるために、互助会に加入しようと土下座したり、同人女の感情の中島さんのように交流を広げたりする人もいるかもしれない。

しかし、AIによるイラスト生成の世界は異なる。全員が一定以上の画力出力が出来ることから、「画力カースト」は存在しない。その結果生まれる環境は、非常に寛大である。全ての人が平等に扱われ、素晴らしいAIイラストに対する反応も、「すごい!どんなプロンプトを使ったのだろう?」と、純粋な好奇心と驚きに満ちている。

実を言うと、私がAIを用いて絵を描く理由の一つには、かつての美術教師への復讐心があるかもしれない。その教師が私にとっての心的外傷であり、その結果としてAIイラスト生成への道を選んだ。しかし、その道を選んだことで、私は新しい世界を見つけ、新たな表現の可能性を追求できている。過去の痛みが未来の希望を生み出すという、皮肉な事態なのかもしれない。

↑続編も出来ましたね…。


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