見出し画像

【超過激AI推進派】AIイラストに懸ける復讐の欲望が止められない【反反AI派】

※美術教師や超大手サークルについての話は7〜10年前程度の話ですし話をぼかしているので、彼、彼女らの個人が特定されることはないと思われます。当時の推しカプやジャンルもかなり前に連載終了したジャンルです。超大手サークルは私がたまたま隣になっただけで罪はありません


美術へも、コミケ(同人活動)へも挫折した


私は高校を中退し、3年以上美術系予備校に通っていた。そこでは鉄パイプで物を殴って生徒を脅す、暴言など酷いパワハラが行われていた。ほどほどの美術大学で良い人にも一流美術大学を押し付け、一部の一流美術大学合格者以外は心身外傷を抱えていた。
努力が報われず誰でも入れるような美術大学に入学しても、私の心の傷は癒えることはなかった。美術予備校での地獄のような日々が、私の心に深く刻み込まれていたのだ。教師の暴言と暴力、そして自分の努力が報われなかった絶望感。それらが私の心を蝕み、絵を描くことへの情熱を奪っていった。

大学では、もう絵を描くことが怖くなってしまっていた。トラウマで手が震えて筆が持てなくなる。講評の時間は特に辛かった。教授の一言一言が、かつての教師の声に重なり、恐怖で心が凍りつく。私は教室の隅に隠れるようにしてイーゼルを置いて座り、先生や他の学生の視線を避けた。

そのうち、私は大学にも行けなくなってしまった。朝起きても、体が重くて動けない。学校に行こうとするだけで、息が苦しくなる。不登校となり、絵から逃げるようにソシャゲにふけったりと現実逃避した。そして4年生の時慌てて1限目から5限目まで授業を受け単位を取り戻そうとしたが、私は半年留年してしまった。

美術予備校での辛く苦しい経験から、私は絵を描くことに強い恐怖心を抱えるようになっていた。その恐怖心は私の心に深い傷を残し、大学生活にも暗い影を落とした。
だが、そんな中でも、私の心のどこかでは、まだ表現への欲求がくすぶり続けていた。美術の道は絶たれたかもしれないが、私は何かしらの形で、自分の思いを表現したかった。内なる叫びに必死で応えようと、私は出口を求めて焦がれていた。

そんなとき、ふと思い出したのが子供の頃の夢だった。漫画家になること。実現は不可能だが、今こそ少しでも叶えてみたい。そう決意した私は、勇気を振り絞って、推しカプの同人誌を作ることにした。たとえ1つのコピー本でしかなくても、私にとってはかけがえのない一大プロジェクトだった。
サークルもスタッフとしても参加を決意したコミケ。当選連絡を聞くと、自分のサークルスペースが、まさかの誕生席に当てられていたのだ。
実力も知名度も乏しい私が、そんな席に座っていいはずがない。大きな不安を迎えたまま当日を迎えた。隣には超大手サークルが控えていて、開場と同時に、数十人ものお客さんが、まるで巣に群がるハチのように、一斉にそのスペースに殺到した。対照的に、私のスペースには、誰一人として近寄ろうともしない。
私の同人誌を手に取ることもなく、皆が超大手サークルの列に並んでいく。「こんな下手くそな絵じゃ、同人誌なんて買えない」そう言われているようだった。涙があふれそうになるのを、その時は必死でこらえた。
でも、もう限界だった。耐えきれなくなった私は、ビックサイトのエントランスホールに避難した。そこで、私は子供のように泣き崩れた。こみあげてくる屈辱と絶望に、私の心は打ちのめされた。だがコミケスタッフでもあってこの後もボランティアがあった私は、最後まで帰るわけにはいかなかった。だから、涙をこらえて、心を殺して、サークルスペースに戻った。
閉会間際、作者と売り子を含めた隣の超大手サークルの会話が、私の耳に突き刺さった。「今回の部数、全然足りなかったね」「次のイベントでは、200部は多く刷ってこいよw」あざ笑うように売上を自慢する彼らの声が、私の自尊心をズタズタに引き裂いていった。

匿名掲示板での中傷


3日目のコミケスタッフ業務も終わり帰宅後、友人から連絡があった。「貴方のことが匿名掲示板に書かれてる…」その言葉に導かれるように、私は震える手で掲示板を開いた。そこには、私への心ない中傷の数々が並んでいた。「コピー本しか作れないなんてありえない」「なんであいつがお誕生席なの?」「見た目は貞子みたいだったなww」 悪意に満ちた言葉が、ディスプレイ越しに私を嘲笑っていた。
あのコミケでの惨めな経験は、私にとって忘れがたいトラウマとなった。同人誌やイベントの話題を聞くだけで、私は身震いが止まらなくなる。夏と冬のコミケシーズンには、Xのタイムラインから目を背けたくなる。偶然「コミケ」の文字を見ただけで、吐き気がこみ上げてくる。
あの日味わった屈辱と絶望が、あざけり笑うかのように私の脳裏に蘇り、心を蝕んでいく。頭の中が、嘲笑と罵倒の声でいっぱいになる。この傷は一生消えないのかもしれない。あの悪夢のような一日が、私から同人誌を描く気力を、根こそぎ奪い去ってしまったのだから。

Web創作活動への挑戦とAIイラストへの傾倒

オフライン同人活動はかなり厳しいが、まだWeb創作は大丈夫だった。その後、新たな創作の形として小説執筆に挑戦した。これは楽しい経験だったが、評価は乏しい。それでも親友と呼べるような毎作感想をくれて支えてくれる創作友達に支えられ、拙い文章で書いた。20万字の長編に挑戦したが、読者からは厳しい批評が寄せられた。「小説面白くないですね」という毒マシュマロ。
当時に漫画にももう一度、1、2P漫画だが挑戦してみる。カラーイラストでの直球勝負は自信がなくなった私には、白黒の漫画に逃げた。神絵師との直接を避けるためだ。
白黒漫画を描いている時、惨めな気持ちになった。もう生涯努力しても神絵師には叶わないし、そもそも手描き美術関連の努力ができなくなっていた。もう一生地べたを這いずるしかないのだろうか。そこで出会ったのが、小説の挿絵のために興味を持ったAIイラストだった。
最初は技術に感嘆しているだけだったが、次第にのめり込んでいった。
最初は小説の挿絵のためだったAIイラストも、魅力的に感じつつだんだん純粋に表現したい欲求からでなくなってしまった。むしろ、かつて私を傷つけた人々への復讐心が、その原動力だったのだ。美術予備校の教師、コミケで私を無視した人々、ネットで私を中傷した連中、互助会に入れて貰えない恨み。彼らへの怒りを糧に、私はひたすらAIイラストを作り続けた。

その過程で、私は自分の心情を赤裸々に綴ったnoteを公開したこともある。

しかし、それが思わぬ炎上を招いてしまった。「AIを使って復讐しようなんて、お前は最低だ」「そんな動機でAIイラストを作るな」非難の言葉が、X上に飛び交った。

そんなとき、ある人の私へのnoteの感想ツイートが気にかかった。「この人のような動機でAIイラストを作る人は稀だよ。みんな、好きなキャラクターを再現したり、好きな性癖を満たすためにAIイラストを作ってるんじゃないかな?」その言葉が胸を突き刺さった。

私だって好きなキャラはいた。でも、今は好きかはもうわからない。

なぜなら、私にはもう、自分の好きなものがわからなくなっていたからだ。好きなキャラクターや推しカプはいる。AIイラストで表現できる。だがもう二の次になっていた。長年の創作活動で傷つき美術教室の呪いが解けない私の心は、「良い絵を作らないといけない」という強迫観念に支配されていた。好きなものを好きだと言える自信も、純粋に表現を楽しむ気持ちも、どこかに置き去りにしてきてしまったのだ。私はどうしたらいいのだろう。AIイラストを作り続けるためには、どんな方針を持てばいいのだろう。誰か、私に教えてほしい。心の底から表現を楽しめる方法を、見失ってしまった私に、どうか手を…いや、これは自分で見つけるしかないのだ。

そんな苦しみの中で、ふと私の脳裏に一つの想像が浮かんだ。もし私が生成AIで本当に素晴らしいイラストを作れるようになったら、あの時私を傷つけた人々は、どんな反応をするだろうか。
あのコミケで私を無視し、売上を自慢していた超大手サークル。もし反AI派に転向していたら?AIに高クオリティイラストを猛スピードで生成されては、彼女たちの絵師や同人作家としての立場が危うくなるかもしれない。匿名掲示板で私の中傷していた連中。今度は私の作るイラストを見て、舌を巻かせてみたい。美術予備校の教師は、AIの発展にどんな顔をしているだろうか。

そう、彼らを絶望させてみたい。私を傷つけ、踏みにじった人々に、私の復讐を思い知らせてやりたい。そのためなら、AIイラストの技術が、どこまでもどこまでも発展していってほしいと願ってしまう。
ただもう一度どんな形でも絵を作ってみたいという気持ちで始めた創作活動が、いつしか復讐に溺れかけていた。でも、これほど傷つけられた私には、復讐心が原動力だった。AIという新たな武器を手に入れた今、私は決して引き下がったりはしない。

美術や同人誌で失った絵への意欲に、AIで私の創作魂に火が灯る。いつか必ず、AIイラストで私の無念を晴らしてみせる。そして、美術教師の人生を無駄に返してやる。

人間の力をAIで絶望の淵に突き落としてやるのだ。この復讐はAIが簡単に屈服させなければ意味がない。

ポン出し上等だ。

復讐心の昇華方法


アヴェンジャー、教えてよ。どう復讐すればいいんだよ…


私の復讐心は、いつになったら満たされるのだろうか。SNSフォロワーが増えれば、スキルを認めてもらえれば、満たされるのだろうか。きっと私は、自分の作るAIイラストで、過去の自分を完全に乗り越えられたと実感できたとき、この復讐心から解放されるのだろう。それは、誰もが驚嘆するような、圧倒的な完成度のイラストを生み出せたときなのかもしれない。

それにAIイラストは復讐の道具だけではない。AIイラストとの出会いは、私に新たな希望をもたらしてくれた。私が炎上した時に関心を持ってくださったりフォローしてくださったAI推進派や反反AIの方々。共通の趣味を通じて出会った、AIイラストやLLM仲間。彼らとの交流は、長らく孤独だった私の心を癒してくれる。互いの作品を讃え合い、時に批評し合う。そんな彼らとの繋がりが、今の私の心の支えになっている。

でも、私の心の奥底には、まだ復讐心が渦巻いている。AIイラストを通して私が認められれば、その復讐心も満たされるのだろうか。SNSのフォロワーが増えれば?インフルエンサーにのし上がれば?あるいは、誰もが認める傑作を生み出せば?
いや、どれも違う。私が本当に求めているのは、そんな形だけの評価ではないのだ。私がAIイラストに懸ける情熱は、決して虚栄心からではない。ただ、心の底から、自分の表現を愛せる瞬間が欲しいのだ。

AIイラストは、きっとその答えを示してくれる。生成AIの技術が日進月歩で進化を遂げる中で、いつか私も、自分の心に真に響く作品を生み出せるはずだ。そのとき初めて、私は自分自身を認め、受け入れることができるのかもしれない。
そう決意する私の心には、もう迷いはない。AIイラストを通して新しい自分を見つけ出し、復讐を遂げることで、私の創作人生に真の終止符を打つのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?