災害対策 先人たちの知恵からみる防災

震災関連⑥ 「揺れたら神社へ!!」

みなさん、こんにちわ。たえです。

今回は、先人達の知恵から学ぶ災害対策です。

日本の神社は津波や災害の教訓をもとに建てられ、その伝承役となっていると思われるものがあります。
例えば東日本大震災の際、スサノオを祀る神社は津波を免れているといわれていますので、水害時はスサノオ神社に逃げるという事を考えておくのもいいかもしれませんね。
個人的には「地震がきたらまず神社へ逃げよう」という認識が広まっていくのも素敵だなぁと思いますので、特にスサノオを祀っている神社を会社や学校へ行く途中や自宅近辺で探して一度は訪れて頂ければと思います。

震災関連② でもお伝えした、927年に全国の神社一覧がまとめられた『延喜式』にのっている神社に避難するのもお勧めです。つまり延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)の『延喜式』にのっている神社は地盤の強い場所にたっており災害に強い場所ではないかと考えられます。
ただ全部が全部という訳でもないと思いますのでご自身で国土地理院のデータをもとに地盤を調べるなどしてくださいね。

ただ、今回お伝えしたことを知っているだけでも万が一の際に皆さんや皆さんの大切な人達を守ってくれるかけがえのないものになるかもしれませんよ。

日本人の皆さん、先人たちが残してくれた伝承や言い伝えや神様に興味をもってみませんか?


もう一つお伝えしたい事があります。
地震を鎮める石といわれる要石はご存知でしょうか?
茨城県の鹿島神宮、千葉県の香取神宮、三重県の大村神社、宮城県の鹿島神社にあります。
もし宜しければ地震が来ないように願掛けにいくのもいいかもしれませんね。
個人的には行く機会があれば「要石」とかかれた災難除けのお守りが欲しいですね。


要石についてURASEKIさんの動画リンク貼っておきますので参考にしてください。


ということで今日は先人たちの知恵に興味を持って災害から身を守ろうね。の回でした。

どうでしょうか?
日本人の皆さん、先人たちが残してくれた伝承や言い伝えや神様に興味をもって頂けましたか?

少しでも皆さんの安全に繋がればと願い配信させて頂きました。

今日も視聴頂きありがとうございます。
どうぞ皆さんご安全にお過ごしくださいね。



ライオンズゲート!!香取神宮から宇宙エネルギー!地震を守る要石(かなめいし)スピリチュアル《獅子座》
https://youtube.com/playlist?list=PLXs-k8Qx_uCEwsv8THbEwICeKPqUrf1tJ


鹿島神宮、伊勢神宮、香取神宮の秘密を探しに行きました。part1《鹿島神宮編》
https://youtu.be/RovR0cFuIsQ

【Stage2_5🎬】『隠された月の正体とDの意思』【Youtube映画】の
5:30くらいから要石の説明があります。
https://youtu.be/F0mSoxU1FbQ

延喜式神名帳 名神大社一覧
https://genbu.net/engi/meisin.htm

たえラジオ
災害関連 再生リスト
https://youtube.com/playlist?list=PLgsIXjRUKZtfikfdnRSasLrErKaLG-IxD


総務省消防庁
https://twitter.com/FDMA_JAPAN?s=20



ここからは
著者:福和伸夫 「次の震災について、本当のことを話してみよう」からの抜粋を含む内容になります。

・仙台市内に「浪分神社(若林区)」「浪切不動堂(宮城野区)」があり、ここから先は津波を遡上させないぞと不動像が海を睨みつけている姿がある。

・伊達政宗は津波で浸水した場所は塩田にし製塩業を復興事業として進めた、塩釜(塩竃)をはじめ「塩」
や「釜」がつく地名が仙台の沿岸部に多くある。
高台を中心とした基本的な街づくりはその後の仙台の発展と400 年後の東日本大震災の被害軽減につながったと考えられる。

・全国五街道の1つの奥州街道は津波の教訓から仙台以北は津波被災地を避けて内陸部を通っているため、東北の主要都市は東日本大震災の被害を軽減した。後に奥州街道にそってつくられた国道4号や東北自動車道、東北新幹線がある。東日本大震災では、この南北の軸から櫛の歯状に沿岸部へと道路をつなげる「くしの歯作戦」により早期に緊急ルートが開かれた。

・1891 年の濃尾地震は、岐阜県の根尾谷断層帯が震源でM8.0 の規模で日本で観測された過去最大の内陸
地震で濃尾地震の被害を表す数え歌がある。
・ちなみに当時の日本の人口あたりの犠牲者数は東日本大震災と同等で、美濃 (岐阜)と尾張(愛知)に被害が多かったことから「身の(美濃) 終わり(尾張)」地震とも言われた。この地震をもとにした「地震数え歌」が岐阜県大垣市に残っている。

一つとせ、人々驚く大地震美濃や尾張の哀れさは即死と負傷人数知れず。
二つとせ、夫婦も親子もあらばこそあれと言うまいぶきがきと一度に我が家が皆倒れ。
三つとせ、見ても怖ろし土けむり泣くのも哀れな人々が助けておくれと呼び立てる。
四つとせ、よいよに逃げ出す間もあらず残りし親子を助けんともどりて死ぬとはつゆ知らず。
五つとせ、いかい柱に押さえられ命の危ぶきその人はやぶりて連れ出す人もある。
六つとせ、向ふから火事じゃと騒ぎ出すこなたで親子やつれあいや倒れし我が家にふせこまれ。
七つとせ、何といたして助けよと慌てるその間に我が家までどっと火の手が燃え上がる
八つとせ、焼けたに思えどよりつけず目にみて親子やつれあいや 焼け死ぬその身の悲しさや
九つとせ、ここやかしこで炊き出しを いたして難儀な人々を神より食事を与えられ。
十つとせ、所どころへ病院が出ばりて治療は無料なり哀れな負傷人助け出す。

被害が甚大だった愛知県津島市の津島街道沿いの古い町並みは、多くの建物が震災直後の1892 年に建て
られたまま残っているそうです。

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