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詩を読む:大丈夫なシンギュラリティ

こちらの詩(由子さんが「シンギュラリティ」というお題をもとに詠まれた詩)を読んで考えたこと。不穏なところのある詩だと感じましたが、惹かれたので私なりに読み解いてみます。

頃合いなど無い

夜の沼に 落ちた雫が
咲く園で

すべての理を
解き放ち

白い烏が
星の輪舞を愉しむ

卯月の傀

上のリンク先より

読み解き

「いついつにこれが来ます」という予想もなく、突然に訪れるものがある。それに応じられるか、どうか。

見ることも触ることも難しい、小さな闇の中から、ふっと咲くものがある。ちょうどミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる「時間の花」のように。

その時、今までの道理や理屈はぱっとこわれ、代わりに新しい理(ことわり)が一気に創造されていく。それはAIとも関わっている。(「夜の沼」は、AIの動作プロセスがブラックボックスであることも示している。)

「白い烏(カラス)」。ワタリガラスは世界中に分布する鳥である。ワタリガラスは真っ黒だが、アラスカ〜カナダの神話によると、かつては真っ白い鳥であり、ある試練を乗り越えた時に黒くなったのだという。

その原初の姿が思い起こされ、遊戯をする創造主としてのワタリガラスの力がwebを通じて発揮される。電脳空間が霊化して、縦横無尽に詩の力が閃き始める。

「卯月の傀(うづきのくぐつ)」。卯月は4月のこと。3月〜4月にかけて、世界でも日本でもいろいろなことが起こり、一見、それは時代の転換点のように思える。たとえば、chat-GPTの登場やコロナが収束したかに見える、など。

けれど実は、それは表面的で一時的な現象にすぎない。そこに乗っかり、応じるために急ぐのは「くぐつ=操り人形」になることだ。かといって「まだ様子見をしよう」というのともちがう。時代全体がなにかに乗っ取られようとするなかで、あくまで自分の行く道を、自分のうちなる心に問いかけて見出さなければ、未来は開けない。

──読み解きはこんな感じです。

この詩からは、AIのシンギュラリティだけでなく、人間のシンギュラリティも感じられます。今までの文明の生き方から、飛躍するのかもしれません。

そういえば、ヨーロッパでは5月に「メイポール」という木の棒を立てて、夏の訪れをお祝いする習慣があります。そんな初夏を迎える頃になれば、不穏な状況や曖昧さもよくなって、明るく晴れて来るのかなと思います。

今は、だんだんよくなっている途中なのかなと思いつつ…🌱


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