Zeilen@書評

定年退職のため新しいことに挑戦。本について、つぶやこうと思います。分野は文学、特にドイ…

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定年退職のため新しいことに挑戦。本について、つぶやこうと思います。分野は文学、特にドイツ文学ですが、脱線するかもしれません。昭和の人間なので、どうしても絵文字や記号を使いこなせないので、見た目が地味ですが、よろしくお願いします。

最近の記事

読む順番が指示されている文法書

読む順番が指示されている文法書を紹介します。 有田潤著『入門 ドイツ語冠詞の用法』(1992)三修社を著者の勧める方法で読もう、と思って「本書の目的と読み方」を再読。 ずっと以前に「本書の目的と読み方」を読んだだけで終わったのを思い出す。 この本はA, B, C, Dという項があって、「次の順序で少なくとも3回」読まねばならない。理由は以下の通り。 「冠詞は一般に、 定冠詞 ⇨ 不定冠詞 ⇨ 冠詞省略 の順序で説かれていますが、本書はこれとかなり違う考え方に立って

    • フェイクニュースは人間の内面から生じている

      『フェイク・スペクトラム: 文学における〈嘘〉の諸相 』の納富信留による序章で、フェイクニュースの背景として「インターネットなどソーシャルメディアが情報の基本となったメディア状況」(4頁)が指摘されている。 でもなぜインターネットが世に広まったことで、フェイクニュースに「否定や消去で対応しきれなくなった」のだろうか、と考えてみる。 一度ネットに広まった情報はもう二度と〈消してしまう〉ことはできない。 こう書くとなにかインターネットという画期的な技術がいけないような

      • 納富信留/明星聖子 (編)『フェイク・スペクトラム: 文学における〈嘘〉の諸相 』(2023)勉誠出版の序章を読む。まず「フェイク」の概念に関する記述があり、特徴が5つ挙げられている。さらに「「フェイク」という言葉で問題となるのは、欺きが成立するか、成立可能な範囲である」とある。

        • 昔の暮らしを思い出すと、食べているものも質素だったし今のような美味しい食事の機会もなかった。ご馳走といってもデパートの屋上のレストランくらいだったなあと思い出す。町の中華料理屋で外食することが楽しみだった。noteの料理の記事を読むと、なんと豊富で工夫に富んでいるのだろうと思う。

        読む順番が指示されている文法書

        • フェイクニュースは人間の内面から生じている

        • 納富信留/明星聖子 (編)『フェイク・スペクトラム: 文学における〈嘘〉の諸相 』(2023)勉誠出版の序章を読む。まず「フェイク」の概念に関する記述があり、特徴が5つ挙げられている。さらに「「フェイク」という言葉で問題となるのは、欺きが成立するか、成立可能な範囲である」とある。

        • 昔の暮らしを思い出すと、食べているものも質素だったし今のような美味しい食事の機会もなかった。ご馳走といってもデパートの屋上のレストランくらいだったなあと思い出す。町の中華料理屋で外食することが楽しみだった。noteの料理の記事を読むと、なんと豊富で工夫に富んでいるのだろうと思う。

          こどもを育てることが昔よりも大変なことになっているのでは、と思うことがある。私の世代の親たちは第二次世界大戦後の苦しい時代をサバイバルするところから人生を始めたので、こどもは丈夫で元気ならばOKという感じだった。お母さんの公園デビューなどもなかったし、中学受験も珍しいことだった。

          こどもを育てることが昔よりも大変なことになっているのでは、と思うことがある。私の世代の親たちは第二次世界大戦後の苦しい時代をサバイバルするところから人生を始めたので、こどもは丈夫で元気ならばOKという感じだった。お母さんの公園デビューなどもなかったし、中学受験も珍しいことだった。

          高校生のころ、小倉百人一首を古典の時間に勉強した。暗記が必須なのでゆううつだった。百人一首カルタ大会などもあった。いま思うととても懐かしい。恋の悲しさ、わびしさなど満載の歌集なのに、みな真面目な顔をして勉強していた。中間テストや期末テストが控えているので、「なぜ百も?」と思った。

          高校生のころ、小倉百人一首を古典の時間に勉強した。暗記が必須なのでゆううつだった。百人一首カルタ大会などもあった。いま思うととても懐かしい。恋の悲しさ、わびしさなど満載の歌集なのに、みな真面目な顔をして勉強していた。中間テストや期末テストが控えているので、「なぜ百も?」と思った。

          自己肯定感、という言葉は昔の若者は使わなかったような気がする。昔の若者、つまり私の世代では、自己嫌悪、と言っていたような。記憶が定かではないが。自己肯定感と自己嫌悪の違いは、「肯定感」の「感」にある。自分が肯定される感覚、感情、実感がないと不安な気持ちになる、ということだろうか。

          自己肯定感、という言葉は昔の若者は使わなかったような気がする。昔の若者、つまり私の世代では、自己嫌悪、と言っていたような。記憶が定かではないが。自己肯定感と自己嫌悪の違いは、「肯定感」の「感」にある。自分が肯定される感覚、感情、実感がないと不安な気持ちになる、ということだろうか。

          武器としての哲学とは?

          齋藤孝『仕事に使えるデカルト思考 「武器としての哲学」が身につく』の紙の本を買って読んでいる。 哲学を武器としてビジネス社会を生きていく、というと「哲学を道具にしないで〜」と思う人もいるかも。 でも、生きていくのに役立つ知識はやはり必要。とはいえ、突然デカルトの『方法序説』に取り組むのも大変なので、齋藤先生の本が役に立ちます。 話は一般化しますが、最近教育現場では「文学」よりも「哲学」のほうが〈学生の役に立つ〉と思っている人が増えている。 詩や小説、戯曲はどちらかとい

          武器としての哲学とは?

          チボー家の人々 パクメルの家

          すこしずつ『チボー家の人々』を読んでいる。登場人物の名前を忘れてしまうので、メモを取らないと読めない。つまりPC の前に座っていないと読めない。 なぜ登場人物の名前を覚えていないと困るのか? それは、この小説ではなにげなく書き込まれた人物が、その後の物語の展開のなかで重要な人物として再登場したりするから。 第3巻『美しい季節Ⅱ』を読んでいたら、パクメルの家という酒場が出てきた。これはだれでも大歓迎、という酒場ではなく、特定のメンバーが出入りするような場所。まだ3巻が始ま

          チボー家の人々 パクメルの家

          チボー家の人々1 「灰色のノート」 登場人物

          『チボー家の人々』1の登場人物表を掲載するのを忘れていました。 この長編小説は、中編小説を書きつなぐことによって成立しています。 山内義雄による邦訳は、全部で13冊あります。 高校生だったころにいつか全冊を読もう、と思っていました。 原題は Les Thibault です。 ………………………………………………………………………………………………………………… 『チボー家の人々』1「灰色のノート」白水Uブックス 38 フォンタナン夫人(テレーズ・ドゥ・フォンタナン):

          チボー家の人々1 「灰色のノート」 登場人物

          チボー家の人々とパリ

          『チボー家の人々』(美しい季節Ⅰ)のなかで、ダニエルがある本に出会うまでの描写が美しい。 かれは10月の晴れた午後、ヴェルサイユの公園で過ごそうと出かける。そして、その帰りの列車のなかで、ある男性を見つける。偶然、ダニエルはその人の前の席に座ったのだ。そしてその人が「慣れた手つきで」ページをめくっている本を見る。 その本の表紙には書名が記されていなかった。 これがダニエルにそれまでの信条を打ち捨てさせる本との出会いだった。やがて「すべてのものが夕日を浴びて金色に燃えあが

          チボー家の人々とパリ

          Audibleで村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』第一部(1994)を聞いている。ノモンハンのソ連の戦車部隊の話を聞いて、ウクライナを侵略しているロシア軍の戦車の多くがソ連製だったことを思う。以前はノモンハンの話は過ぎてしまった過去の物語だったけれど、今は現実味があるのが悲しい。

          Audibleで村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』第一部(1994)を聞いている。ノモンハンのソ連の戦車部隊の話を聞いて、ウクライナを侵略しているロシア軍の戦車の多くがソ連製だったことを思う。以前はノモンハンの話は過ぎてしまった過去の物語だったけれど、今は現実味があるのが悲しい。

          ソシュールの言語学を説明してくれる人に疑問を抱いていた。シニフィアンとシニフィエの違いは説明を聞けばそうかなと思うが、このふたつのことばで〈意味〉を否定されるようでいやだった。記号論の〈考え方〉になじめなかった。ゲーテの詩のことばはそれでは理解できないのではないか、と思っていた。

          ソシュールの言語学を説明してくれる人に疑問を抱いていた。シニフィアンとシニフィエの違いは説明を聞けばそうかなと思うが、このふたつのことばで〈意味〉を否定されるようでいやだった。記号論の〈考え方〉になじめなかった。ゲーテの詩のことばはそれでは理解できないのではないか、と思っていた。

          『いつもそばには本があった。』を読み終えた。哲学という分野の本にある種の抵抗感を抱いていた。なぜならとても読みにくく、しかも語り手である著者の上から目線を感じることが多かった。これが〇〇のしかるべき読み方です、あなたはわかっていませんね、と言われているような。でもこの本は違った。

          『いつもそばには本があった。』を読み終えた。哲学という分野の本にある種の抵抗感を抱いていた。なぜならとても読みにくく、しかも語り手である著者の上から目線を感じることが多かった。これが〇〇のしかるべき読み方です、あなたはわかっていませんね、と言われているような。でもこの本は違った。

          村上春樹は『職業としての小説家』(新潮文庫)のなかで、初期の作品では登場人物に名前をつけられなかった、と書いている。たしかに『風の歌を聴け』では主人公は名無しのままで、人間なのに鼠(ねずみ)と言われる人が出てきている。ジェイという名前が出るがこれはジェイズ・バーのバーテンの名前。

          村上春樹は『職業としての小説家』(新潮文庫)のなかで、初期の作品では登場人物に名前をつけられなかった、と書いている。たしかに『風の歌を聴け』では主人公は名無しのままで、人間なのに鼠(ねずみ)と言われる人が出てきている。ジェイという名前が出るがこれはジェイズ・バーのバーテンの名前。

          定年退職したので、本を読む時間があるようになった。本棚の本も整理整頓して、いま手元にある本が何なのかわかるようになった。毎日本棚を眺めては本を手に取る。高校生の頃に戻ったような自由な気持ちで本を読む。新鮮な気持ちで世界を眺める。文字が頭のなかに染み込んでいく。古い本がよみがえる。

          定年退職したので、本を読む時間があるようになった。本棚の本も整理整頓して、いま手元にある本が何なのかわかるようになった。毎日本棚を眺めては本を手に取る。高校生の頃に戻ったような自由な気持ちで本を読む。新鮮な気持ちで世界を眺める。文字が頭のなかに染み込んでいく。古い本がよみがえる。