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【人生最期の食事を求めて】無味乾燥の街で出逢うステーキランチの質感。

2024年4月3日(水)
ステーキレストラン がんねん(北海道札幌市厚別区)

いわゆる和製英語と呼ばれるものがある。
例えば【vitamin】は“ビタミン”ではなく“ヴァイタミン”であり、
【energy】は“エネルギー”ではく“エナジー”であり、
さらに踏み込めば“ノートパソコン”は“【laptop PC】ラップトップ・ピーシー)”と言わなければ通じない。
当然にして【steak】は“ステーキ”ではなく“ステーク”なのだが、その歴史を紐解いていくと意外に古い。

国木田独歩(1871〜1908)

縄文時代から農耕が始まったとされるこの国が、本格的に肉食となったのは明治の文明開化であるが、主に牛鍋によって牛肉の美味に開眼したと言われている。
そこから急激に西洋文化の食スタイルが浸透し、ステーキという料理が知れ渡る。
1901年(明治34年)には、自然主義文学の先駆者国木田独歩が小説「牛肉と馬鈴薯」の中でステーキを描写し、太平洋戦争敗戦後には一気に全国に広がった。

高級鉄板焼きこそ縁遠いが、一時期話題沸騰した全国チェーン店、沖縄ご当地ステーキ、近年の和牛ブームなど、牛肉が身近になったことは確かなことだ。

雲ひとつない晴天の新さっぽろ副都心に訪れたのは昼過ぎだった。
視察を兼ねてこの街を歩いた。
札幌駅周辺や大通・すすきのエリアと同様、この街も再開発が活発に行われている。
どの街も似たような外貌、似たようなテナントばかりで、不気味な没個性化と言ってよい。
しかも、この街は“新さっぽろ副都心”という名称が付されているのに副都心観を感じず、表層的にもどこか無味乾燥とした、血の気のない佇まいが漂っていた。

15時を回ろうとしていた。
副都心とはいえ駅周辺以外はマンション群や病院、ロードサイドショップの点在しかない。
私は空腹を携えながら、ロードサイドに何かあるだろうという不確かな楽観論を抱いて歩き続けた。

ステーキレストラン がんねん

夕日がかった陽を浴びたガソリンスタンドの一部に白い看板が眼に止まった。
それは、一見するとガソリンスタンドの看板と同化しているようにも見える。
爽快とも言える橙色した外観はどう見てもステーキ店とは判断しがたく、入口上部の店名だけでも理解できない。
入口手前の三角看板に記されたメニューを確認し、やはりステーキ店であることを知った。
といって平日のランチタイムが11時〜17時というのは、この地でランチを逃した者にとっては救いの存在とも言える。
確かに営業中であることを再確認し、店内へ歩を進めた。

ワイド感のある店内は、テーブル席と座敷席のゾーンに分かれている。
テーブル席には年配の会社員や家族連れの姿が見受けられたが、座席ゾーンはパーテーションで仕切られていて客の気配だけは感じられた。

若い男性スタッフが私を厨房近くの手狭なテーブルに案内すると、QRコードによる注文を説明し始めた。
アルコールが入るとQRコードの注文は面倒極まりないが、昼食ならばさほど煩雑さを感じない。
カットステーキとハンバーグ、どちらを選ぶべきか?
その逡巡は「カット&ハンバーグランチ」(1,360円)がすぐさま解決した。
ライス大盛無料も牛肉の絶ち難い誘惑だ。
それぞれのテーブル上には、ステーキ用ソースや岩塩、ドレッシングが揃っていた。
メニューが到着したら、様子を窺いながら好みに応じて選ぶことにしよう。

厨房の奥からは肉を焼き付ける音が微かに谺した。
それはスコールのように道路や樹木、そして街さえも打ちのめているように思えた。

カットステーキ&ハンバーグランチ(1,360円)

若い男性スタッフが恐る恐るトレイを運んできた。
サラダの繁茂が今にも崩れ落ちそうなほど盛られている。
それは、まさにカット&ハンバーグランチだった。

まずはサラダを食することで肉を受け入れる準備に取り掛かるのだが、山盛りのサラダは挑むように減ろうとしない。
次にカットステーキを何も付けずそのままに食した。
舌触りが良質の牛肉を包み込むかと思うと、肉汁が音もなくにじり寄る。
それはしつこさを排していて、むしろ塩かソースを必要とする恬淡とした味付けだった。
そして、ハンバーグに取り掛かった。
俯瞰で眺めるとボリュームがないように見えるが、切り裂いていくとその厚みは判然とする。
しかもカットステーキ以上の肉汁が口腔からこぼれ、唇さえも艷やかに濡らした。
俄然ライスとの相性は申し分なく、カットステーキとハンバーグによる交互の伴奏とともに速やかにライスも消えていった。
食後のコーヒーがやってきた。
その味わいは中途半端なコーヒーチェーンよりも良質に感じた。

時刻は16時を過ぎていたが、それでも次々と訪れる客数はこの店の何かを象徴しているように思えた。
昼食と夕食を兼ねた食事が私に満足感をもたらした。

店に面した道路は夕刻が近づくにつれて車の往来が激しさを増していた。
昼食と夕食を兼ねた食事に私に満足感を抱きながら、いっそう無味乾燥と喧騒を無造作に増す只中に身を落とすのだった……。

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