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透析患者の最期について


はじめに

 自己紹介にて書かせて頂きましたが、私は今大学病院を離れて市中病院にて勤務をしております。大学は基本的に超急性期の患者ばかり診ておりましたので、いわゆる看取りはそこまで経験が多いわけではありませんでした。

市中病院に移ってからは多くの看取りを経験するようになりましたが、透析患者さんの最期というのは非透析患者さんのそれと大きく異なります。

今回上記の通り、新型コロナウイルス感染症に罹患した高齢の透析患者さんが透析がなされなかった?ことで親族が訴訟を起こしたことがニュースになっておりました。

正直なところこのニュースだけでは何もわかりません。続報を待つしか無いと思います。今回はあまり知られていないと思われる透析患者さんの最期について書いてみたいと思います。

透析患者の死因

透析患者さんの死因は、1位感染症2位心不全3位悪性腫瘍、となっています。もちろんこれは日本透析学会が出しているデーターであり正しいです。しかしながら、死因が何であれ、透析患者さんは最期に透析を継続するか否か、という問題に例外なく直面します。

どのような原因であれ、透析患者さんは全身状態が悪くなると血圧が低下します。透析という治療は、体から水分を取り除くことと、毒素の除去が主たる目的です。

透析を行うこと自体が体にとっては負担が大きく、最終的には透析に耐えられなくなってしまうのです。そのため、私のような透析患者さんを診る医者にとっては、いよいよ透析の継続すら難しくなってきた場合には「透析の見合わせ」について患者さん本人、ご家族と協議を行います。

この「透析の見合わせ」という単語ができたのは、実は比較的最近なことなのです。

透析の見合わせとは?

この単語が出てくるきっかけとなった事件があります。まだ覚えていらっしゃる方も少なくないと思いますが、公立福生病院における透析治療中止に関する事件です。詳細については、以下のリンクをご覧下さい。

透析の見合わせとは、単純に透析を差し控えることや、透析の継続を中止するのでは無く、透析を一時的に実施せずに病状によっては透析を開始もしくは再開するという用語です。

この再開を含んでいるというのが肝です。透析を中止した場合、個人差はありますがだいたい1-2週間程度で亡くなります。その亡くなる課程は決して楽なものでは無く、呼吸困難感や嘔気、倦怠感などが強く出るためかなりしんどいのです。そのため、透析の再開も念頭に置く必要があるのです。

透析に関わる医師は、透析患者さんがいよいよ人生の最終段階に入ったかどうかを適切に判断し、透析の見合わせについて検討する必要があるのです。

日本透析医学会から、ガイドラインではありませんが提言という形で文章が公表されています。

透析の見合わせをスムーズに行う、ということは実は意外に難しいのです。理想的には、上記の提言に書かれているフローチャートのように、透析の導入時から患者さんの人生観や価値観などを確認しておき、段階的に話し合いを進めていきたいところです。

しかしながら、現実問題このような話し合いがしっかりとなされることは決して多くは無く、なし崩し的に透析の導入や見合わせが決まってしまうのが現状です。何故難しいのか?

それは、誤解を恐れずに言えば、各々の医療施設が「それはうちの仕事ではない」と思っているからだと考えます。

透析導入からの流れ

 一部の方は急激に腎機能が悪くなり緊急での透析導入になることもありますが、今回は一般的な慢性腎臓病  (CKD)患者を想定して考えてみます。

CKDのステージ(重症度)が4や5になると、透析導入が可能な施設へと紹介されます。これは、大学病院や基幹病院であることが多いです。そこで可能な限り腎機能が悪くなるスピードを遅らせる治療を受けつつ、腎代替療法についての説明がなされます。

腎代替療法というのは血液透析、腹膜透析、腎移植、最近では保存的療法 (CKM)も含めた治療の総称です。各々のデメリット/メリットを踏まえてどれを選ぶか決定して貰います。今回は最も多い血液透析で考えてみます。

いよいよ導入が必要になったら、透析導入のための入院が必要となります。この入院では、安全に透析を続けていくために確認が必要なことをチェックし、普段の生活で気をつけること (食事やバスキュラーアクセスなど)について最低限の指導が行われます。当然ですが、患者さんの人生観やら透析患者が最期どうなるのか、などについてはほとんど話はされません

導入が済んだら、多くの方は透析クリニックへの通院を開始します。ここでは透析を安全に行っていくために定期的な検査 (血液検査、レントゲン、各種超音波検査など)、食事指導などを行います。しかしながら、入院が必要になった場合は基幹病院に転送となりますし、通院が困難になった場合は施設や療養型病院に移ることになります。

クリニックによる差が激しいので一概にどうこうは言えませんが、家族や患者さん本人と定期的に話し合いの場を設けているクリニックはそう多くは無いと思います。

結局クリニックでも、透析の見合わせに関わるような事柄を話し合いすること無く時間だけが過ぎていくことが少なくないのです。

確かに基幹病院もクリニックもやるべき仕事はやっているのですが、重要であるはずの患者さんの人生観や価値観の確認は疎かになって、「誰かがやってくれるだろう」となりがちです。

市中病院や療養型病院へしわ寄せがくる

 いよいよ透析クリニックへの通院ができなくなると、施設や療養型病院へ生活の場が移ります。そして、理由は何でもいいですが、状態が悪化、そこでようやく見合わせなどが議論されることになります。

そしてその議論がなされる場は、今自分が働いているような市中病院であったり、療養型病院になります。亡くなる寸前の透析患者さんが基幹病院に入院することは無くはないですが、多くはありません。

正直なところ、これでは手遅れです。どうしよう、と考えているうちに状態が悪くなり、見合わせをするというか、「見合わせをせざるを得ない」状態に陥ります。

残念ながら、このようなケースがとっても多いです。この点だけで言えば、以前お話ししたとおり透析患者さん以外でも同じです。

Shared Decision Making (SDM)やAdvance Care Planning (ACP)等の概念自体は素晴らしいものでありますが、これらを普及させるにはどうしたらよいのか考えないといけないと常に思っています。

さいごに

 現在の日本においていわゆるピンピンコロリのような死に方はまず不可能です。特に透析患者さんは最期のつらい時間に対する準備をしたり、実際に最期を迎える際適切な対応がなされているかというと、残念ながらそうではないと思っています。

透析患者さんも今までずっと増加の一途でしたが、ついに2022年に減少に転じました。今後透析患者の高齢化はさらに進み、亡くなる方も増えるでしょう。

今まで通り安全な透析を維持することも重要ですが、透析患者さんが可能な限り安らかな最期を迎えられるにはどうすればよいか、より積極的に考えなければいけないタイミングが来ていると思います。








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