見出し画像

上京編。地方を出てTRIBE TOKYO MMAに入門した理由。


大学4年の秋。地元札幌にいて格闘技をやっていました。

勝ったり負けたり繰り返してた自分を変えたいな、ただ、居心地の良い地元にいて強くなれるほどの才能は俺にはないな。

そういう経緯から、北海道を出て格闘技をやろう、と思うようになりました。

ただ東京には有名なジムがたくさんあるけど、どのジムに入ることが正解なのか。当時の自分にはわかりませんでした。

なので、色々なジムに出稽古に行かせていただき、自分の身の置き場所を決めようと思い、数日間の東京合宿の決行を企てました。

その数日間は、当時の自分にとってはあまりにも刺激的で、どこか遠い国へ旅に出たような充実感のある日々でした。


東京上陸。1泊1800円の宿を基地とする。


上京を考えだしたころ、当時札幌で一緒に練習をしていた飯田建夫選手(以下、たておさん)も同じく上京を考えていたため、2人で東京合宿に行くこととなりました。

そう決まってから、近所の焼き肉屋で作戦会議をしました。出稽古させていただけるジム探しやお金の計算、たておさんが人に追われて草むらに隠れていた頃の話など、色々な話をしました。

・・・

いざ東京へ。最初に向かった先は、浅草でした。

なんせ金がなかったため、最安の宿を探していると、1泊1800円のカプセルホテルを浅草で見つけたので、そこを基地としました。

そのホテルには指や腕がないおじいちゃんや、インド系の外国人の方が宿泊していました。寝るスペースや風呂場はちゃんとしていたので、わりと快適に過ごすことができました。

初日は移動日として、次の日から武者修行がスタートしました。


写真:気合い十分のたておさんとスカイツリー


僕はこの頃のたておさんが好きです。今は髪を伸ばしてしまって、タテオさんではなくファサオさんになってしまいました。


大久保、代々木へ。

2日目。まず最初に向かったのは、大久保。

GENスポーツアカデミーさんです。

国内外で活躍している方々がしのぎを削って練習をしていました。

ただ、自分にとって1つ問題があって、


皆さん、大きすぎました笑

ライト級以上の方々たくさんいらっしゃり、写真でわかる通り、自分は小人同様でした。


そうして練習を終え少し休んでから、代々木のMe,Weさんで練習をさせていただきました。

Me,Weさんには国内団体チャンピオンやRIZINファイターなど、多数のファイターが所属しています。

実はMe,Weさんでの練習はそのとき初めてではなく、セコンドや就活で東京に来た際には、いつも代表の山崎さんが快く練習に迎え入れてくれていました。

まだアマチュアだった頃も、ラントレや選手練に入れてくださり、とても感謝しています。


練馬、茨城、新宿へ。

良い疲労感の中で浅草に戻り、次の日の練習に備えて眠りにつきました。

3日目。

練馬、TRIBE TOKYO MMAへ。

ここの詳細は、次の章で書こうと思います。

・・・


練馬での練習を終え、僕たちは都境をまたぎ茨城へ向かいました。

茨城、T-BLOODさんです。

練習開始が朝の7時(朝5時だったかもしれません)だったので、前泊をすべく茨城に向かいました。

夕方に到着。

歩いていると、ぽつんと焼き肉屋があったため、たておさんが「ここ行こうよ」と言ってくださりました。

自分は金がなかったため、東京滞在中はいつもたておさんがご飯を奢ってくれました。たておさんも諸事情で節約しながらの合宿だったにもかかわらず、後輩である自分を助けてくれました。

そうして見つけたのが、そのファミリー層向けの焼き肉屋です。そのとき食欲があまりなかったため、軽く食べていこうかと、そういう感じでした。

そうして入店。

普通に高級焼き肉屋でした。

たておさんと僕は震えながらメニューを見て、注文し、和牛の味を嚙み締めました。おなかはあまり空いていませんでしたが、もちろんご飯は大盛で頼みました。

その後、茨城ではホテルが見つからなかったため、漫画喫茶にイン。隣のおじさんから轟音いびき攻撃を受け、睡眠ゼロの状態で練習へ向かい、朝イチからコテンパンにやられました。

ただ、やられた理由は睡眠不足ではなく、単純に自分の実力不足でした。



4日目。

新宿スポーツセンターで練習をさせていただき、数日間の東京武者修行は幕を閉じました。




そうして、この旅を経て、自分はTRIBE TOKYO MMAに所属することを決心しました。


TRIBE TOKYO MMAに決めた理由。


遡ること2日目の夜。

前日のMe,Weさんでの練習を終え、自分は次の日のTRIBEでの練習に備えるため、宿で休んでいました。そこにあった漫画コーナーでたまたま「バガボンド」を手に取って、読み始めました。内容として、宮本武蔵が修行や戦いを通して強さを追い求めていく、というものだったので、そのときの自分に刺さりまくりました。


次の日の練習のモチベーションは最高潮まで上がってました。

東京合宿の目的として、もちろん所属ジム探しというのはあったのですが、それ以外に今の自分の立ち位置や実力を知りたい、という願望もありました。

そうした思いの中で、TRIBEでの練習は特に思いが強かったです。

というのも、自分と同じや近い階級の国内トップ選手たちがたくさん練習に来ているし、さらに尋常なくきつい練習だということを聞いていたからです。


練習に参加していろいろ吸収しよう、というよりは、絶対に爪痕残してやる、という気持ちでした。


そうして、練習の日を迎え、
練馬のTRIBE TOKYO MMAへ。

ジムのドアを開け、挨拶をし、着替え、いざ練習開始。

ウォーミングアップを終えて、スパーリングの時間になりました。

目の前には、画面越しで観ていた若松佑弥選手がいました。自分は北海道にいたころ主にパンクラスのフライ級で試合をしており、同じ団体・階級で壮絶なタイトルマッチをしていた佑弥さんのことがすごく印象に残っていました。

なんとか爪痕を残そうと思い挑んだのですが、返り討ちにあいました。

その後も皆さんにとにかくボッコボコにされました。こんなの毎週やったら死ぬだろと思いました。

そうして練習を終えた頃、清水さんが「お前うち来いよ」と声をかけてくれました。自分が、亡くなってしまったTRIBE所属の秋葉選手に雰囲気や構えなどが似ているという理由から、そのように言ってくださったそうです。これもご縁だと感じました。

さらに、TRIBEの環境が自分にとって1番居心地が悪いと感じたことも、決め手になりました。

最初から上の位置にいれるわけではなく、プロ選手の中で1番下からのスタートになる。負ければまたその下に繰り下がる。上との差は大きいけれど、実力をつけて結果を残せさえすればちゃんと認められる環境。
(現に、入門当時は初級クラスの練習から参加してました。)

この「居心地の悪さ」は、自分が力つけるためにはすごく大事だと感じてます。

地方から上京してうまくいかない人たちは、この「居心地の悪さ」に耐えられず帰ってしまうんだと思います。俺もだけど強いジムに来たからってそう簡単に強くはなれない。



そうしたことから、硬派に、完全実力主義で格闘技に向き合えるTRIBE TOKYO MMAに所属したいと思い、自分の身の置き場を決めました。


そこから、パンチとキックしかできなかった自分は、少しずつ少しずつMMAができるようになってきました。もし才能のない自分が、居心地の良い地元に居続けていたら、強いやつらがいることを見て見ぬふりして、ちっちゃい場所で天狗になってキャリアを終えていたと思います。


初心忘れず。
強さから逃げてる偽物や嘘つきに惑わされず。自分が選んだ最高な環境で、もっと実力つけて本物になります。



次回、「人生最大のピンチ。2018年に中国で殺されかける話。」


は、noteでは書けなさそうなので、他の内容にします。笑


今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?