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「こどもの日」に思う

どーもKUMAOです。
今日は世間話です。だらだらとお付き合いください。

5月5日はこどもの日。
wikiによれば、

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」

と、法律に明記されているそうな。同日が端午の節句だけど、別物らしい。


この祝日が決められたのは1948年の戦後間もなく。
GHQの占領政策の元に決めた法律。
私がたしか社会の授業で教わったのは、「天皇の権力を削ぐ為だった」と教わった気がする。

民主化にほんとうに必要だったか、正しかったか、についてはこの場で意見するのは差し控えさせて頂きますが、


こどもの人格を尊重する

最近になってようやく、みんながちゃんと意識するようになった、とは思いませんか?


施行から76年も経っているんですね。


サザエさんでも波平さんがカツオ君に怒鳴るシーンの頻度が減ったのはここ10年くらいだとか。(データはなく視聴者の印象です)
昔のクレヨンしんちゃんも昔はたんこぶだらけでしたよ。

アドラーの心理学に詳しい訳ではありませんが、「人格を尊重する」という言葉がなんとなく近しい気がしたので、年代を調べてみると、
アドラー心理学は1910年代あたりから始まったらしいです。

こどもの日の法律を作った段階で既に欧米では当たり前の考え方だったのかも知れませんね。(直接的な因果関係は調べがつきませんでした。)


こどもの人格を尊重する事は非常に大事な事だと私は思います。少なくとも平和について考えられる人間を育てるためには。


私達世代がどうだったかというと。(40代前半〜30代後半) 

ちょうど中学で学習指導要領が改定になってゆとり教育へ移行が始まった時。

急に学校では「個性」と言い始め、
一方、家庭では、まわりと同じじゃないと恥ずかしいと教えられる。

ねじれた環境で育った。


今思えばあの時代の言ってた個性って、
「同じ様なヤツはこれ以上いらない」
とか、
「人より優れた部分を探し出せ」

という人生サバイバル術でしか無くて、
個性という言葉の根底にある「尊厳」とか「人格の尊重」はすっぽり抜けた状態だったんじゃないかと思う。
まだまだ教える側の大人が理解しきっていなかった。

結果として出来上がったのが私の世代な訳だけど、
自分を含め、「周りや時代に合わせるだけで芯のない無難な大人」になってしまったように思える。

平和なんて考えるよりも自分で精一杯だ。
自己愛が極端に低く、認められた経験も少ない。

被害者ヅラするつもりはないけど、時代の谷間でもがいた世代だと思う。


私より下の世代の方がしっかり芯がある感じがするのは私だけだろうか。

ちゃんと、「個性」を獲得して30代に突入してるような感じがする。

きっと明日は、
こどもの人格の尊重できる世代が、こどもの日を祝う。


戦後に決めた時は、
銃や戦争のない社会、
自由のある社会、そんな未来を願って決めたんじゃないかと思います。
その為にはこどもの人格の尊重が必要だって解っていたのかな。
70年も前から。


私にこどもはいませんが、
そんな事を考えながら、柏餅でも食べますか。
みんなでお祝いしましょう。


ではまた!!

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