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BOOK&BAR Rayカドワキ 1/3 短編小説

ああ、これでまた、一般女子としてひっそりと生きる私の夢がついえた。
バイト先に伊吹いぶきが出勤すると、先輩方がスサッと道を譲り最敬礼をした。
「お疲れ様です。あねさん」
「ゆうべは醜態をさらし、一同恐縮しておりやす」

どう反応していいのかすら、わからない。
「ほら、中条さん困ってるから」
「つか、礼さんが一番迷惑かけたと思うんすけど?」
青白い顔で無理に笑顔を作っているのは、門脇礼。
このちいさな書店兼バーの所有者だ。

「今朝も言ったけど、アルハラ、セクハラは十分理由になるから。昨日までのバイト代はもちろん出すし。無理しないで」と礼。
今朝も言った、というフレーズを聞き逃さなかったのは、バーテンダー名越道哉。
「何おまえ、あのままお持ち帰りしたの?やるじゃん」
騒然となる店内。
「セクハラってまさか…」

「正直覚えてないけど、なんかしたっぽい?」
こめかみを押さえながら、礼は情けない声を出している。
クズ呼ばわりされるオーナーって、いったい。

門脇礼本人にはとくだん商才はなさそうだが、この男はとにかく人望がある。
クラウドファンディングで店を開いたことが、それを物語っていた。
周りの人の幸せを追求する姿勢が、自然に人を引き寄せているのだろう。

***

中条伊吹は1年ほど前から、BOOK&BAR Rayカドワキにハマっていた。
一見するとなんの店かわからない主張の弱すぎる店構えを突破すれば、そこに広がるのは、こぢんまりとした穏やかな空間。

レンガの壁と木製家具。ほどよいサイズの観葉植物と、眠れそうなほど心地良いソファ。
本を片手に一人飲みをする客も多く、一見いちげんさんいらっしゃいのオープンさ。
総合すると、伊吹の好みど真ん中な店なのだった。

そして、1カ月前。アルバイト募集の貼り紙を見るなり飛びついた。
「大ファンです。お店の」
挨拶もそこそこに食い気味に愛を伝えると、気の弱そうな彼はゆっくりとまばたきをした。
反応が鈍いので体調でも悪いのかと、伊吹は心配になる。
「あの、ご都合悪いようでしたら、また改めてうかがいますけど」
「え、あー大丈夫。ごめん、ありがとう」

雰囲気も食事も完璧なのだが、ひとつだけ気になっていることがあった。
それは、店の持ち味を活かしきれていないこと。
月イチでイベントをやってはいるようだが、すくなすぎる。

もっと頻繁に、ライブや朗読会、大人版絵本の読み聞かせなどを開催してはどうかと、情熱のおもむくまま伊吹は口頭プレゼンをかましていた。
以前、イベント会社で働いていたせいか、カドワキ向けの企画アイデアがわいてきてしょうがないのだ。

***

「はい、採用」
どこからか腕が下りてきて、眼前にグラスが現れた。
「今、面接中なんだけど。あと、もう飲めない」と礼。
ミントとグレープフルーツでおめかしされた、淡い水色がしゅわしゅわはじける魅惑の液体。
熱弁をふるって喉がカラカラだったので、伊吹は知らず知らずごくりと喉を鳴らしてしまった。

(つづく)

*23年8月に公開していた作品です
改題・修正し、再掲します

#賑やかし帯 #短編小説 #私の作品 #恋愛小説が好き

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