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眠れる桜姫 シロクマ文芸部

朧月おぼろづきのもと、つぼみは緩むだろうか。
彼女の一族はある年齢に達すると、春眠に入る。

日の長さは十分で、暖かさも申し分ない。
楽しげに小鳥が歌を交わす。
僕は水色と薄紫がにじんで溶けあう雲を、ただ目に映している。
彼女が隣にいれば、歓声をあげて指差すであろう淡い空を。

「スプリング・ハイっていうのかな。エネルギーが放出したがって、自家中毒起こすんだよね」
怒りの色も哀しみもなく、透明な表情。
昨日までできていたのに、唐突にだめになった。
彼女の心の準備ができなくなったらしい。

「なんでだろ。病気とかじゃないんだけどな…」
解けない課題を不思議がる、少女のような横顔。
次の日から、眠りは僕から桜良を奪っていった。

彼女を目覚めさせるためには刺激が必要だと、長老は言う。
べつのだれかと僕が寝ればいいだけ——
なに言いだすんだ、このエロじじい。正気か。
ショック療法に反応しなければ、娘はそのまま戻ってこない。
通過儀礼だからといってハイそうですかと、従えるだろうか。

***

「で、どう?こーゆーお話」
僕は桜良の顔を、飽きるほど見つめる。
自作絵本の感想をねだるように、目をくりくりと輝かせている。
「どーゆー頭ん中してんだよ」

空想好きはいいとして、恋人に苦難をふっかけすぎだろう。
架空の話なのに、じわじわと寒気に浸食され、どうにかなりそうだった。
彼女を失うなんて、考えたくもない。

「つか、寝すぎ。20時間て」
あのゲームを勧めたのはだれだっけ?と、桜良は肩を組んでくる。
その寝ぐせのついた髪に誘われるように指を入れ、僕は左腕でやわらかな体温をつかまえる。
ああ、たしかにここにいる。息をして拍を刻んで。
いいようのない不安が消え去っていく。

***

逆の立場で考えるよう促した。
ちいさな幸せに気づくのが得意な彼女は、同じように敏感に哀しみの芽もすくい取ってしまう。
すりきれて神経が参るのも当然で、定期的なリセットが必要だ。
すべてを同じ目でみることはできなくても、せめて寄り添う気持ちでいたい。

「ごめん。いやなことは想像しなくていいから」
自分が泣いていたことに気づいていない桜良は、濡れたほおを僕のあごにすりつける。
「…なんかいい波動出てますな。もしかして葛藤してくれた?」
「どうかな」
「おにーさん、遊ばない?」
春がその顔をほころばせる。
男友達になりたかったと彼女は口ぐせのように言うが、そんなのはまっぴらごめんだ。

(おわり)

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