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壱岐 iki に魅せられた私の物語 序章

壱岐に魅せられて5年。
この5年間は、私の人生において大きな転機となりました。
コロナ禍もあったことで、不安や制約もありましたが、その中で私は、壱岐との出会いをきっかけに、自分自身を再発見し、新たな可能性を広げていくことができました。

壱岐の美しい風景、温かい人々、豊富な海の幸、山の幸、そして脈々と受け継がれてきた文化・歴史に惹かれていき、
壱岐は、私にとって新たな冒険の場所となり、心の故郷となりました。

そして、今、私は壱岐の「関係人口」として生きています。

「関係人口」という言葉も知らなかった私が、5年前に愛知から東京に転勤してきて、どうして壱岐の関係人口になったのか。
壱岐をきっかけに多様な人々との関係が繋がり、どのように自分の人生が変わっていったのか。
副業も始め、壱岐で家を借りて、別荘兼一棟貸しを準備するまでに至った私の物語を、ここで少し整理しながら記してみたいと思います。

この物語はまだ進行中です。
壱岐との関係が、今後、私の人生をどのように変えていくのか、楽しみにしています。

それはとあるシンポジウムに参加したことから始まった。2019.02.23

2019年2月23日。Yahoo本社のオープンコラボレーションスペース「Lodge」で開催された
第180回政策シンポジウム<地方創生X働き方改革X人材循環型社会>
「ポスト平成時代の働き方、住まい方、暮らし方、生き方」
~新たな人の流れを創る人材循環型社会/地方創生ビジネスとは?~
に参加するところから、物語は始まりました。

当時、私は愛知から東京に転勤してきて2ヶ月。
新しい環境、新しい人々、そして未知の世界に興味いっぱい。
特に、愛知から来た者にとっては、東京のあちこちにできているコラボレーションスペースなるものを自分の目で確かめたい、そこに来ている人々の熱量やコミュニティを体験したいと思い、「Lodge」へと足を運びました。


シンポジウムのテーマは「地方創生」。
私にとってはあまり馴染みのないものでしたが、ここで大きな衝撃を得ることになります。
それは、東京圏の人口流入過多。
その規模は年間13万人に上ります。


なんと、私の所属する会社の本社がある愛知県の刈谷市一つ分が、毎年、東京圏に飲み込まれていたのです。
加えて、名古屋圏が9年連続で流出過多という現実にも直面し、比較的恵まれた名古屋圏ですら、と大きなショックを受けたものでした。

人口減少社会の中で、人々は東京に集まり続けており、私もその流れに加担する一人。
この状況に対し、私に何かできることはないものか。
素直にそう思いました。

そこで出会ったのが、「関係人口」という概念でした。
「人口減少社会の中で、パイを奪い合う移住誘致競争ではなく、観光以上、移住未満の関係人口の創出が地方の未来に繋がる。」という三菱総合研究所の松田智生主席研究員のメッセージは、私の心に響きました。

そして、彼は「移住は難しいかもしれないが、なんらかの関係性を地域と保ち続けることがこれからの時代、重要であり、その一つのチャレンジが逆参勤交代である。」と。
この松田智生氏との出会いが、私の人生を変えていくことになるとは、その時は知るよしもありませんでした。


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