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ベートーヴェンの遺書から勇気をもらう

ベートーヴェン、クラシック音楽に興味のない方でも「耳の聴こえない作曲家」として、運命や合唱をはじめとする有名な曲を聴いたことがあるのではないでしょうか。

正確に言うとベートーヴェンは「最初から」耳が聴こえなかったのではなく、病気のため20代中盤からだんだん耳が聴こえなくなった、と言われています。

ベートーヴェンは現代では「楽聖」(音楽の聖人)と呼ばれ、人類の歴史の中でもっとも偉大なクラシック音楽の作曲家の一人です。
ベートーヴェンは生きていた当時から、その才能が周囲に認められ、自身も才能を疑わずに音楽に打ち込んでいました。

そんな中で突然難聴を発症し、徐々に耳が聴こえなくなる苦しみ、恐怖はいかほどだったでしょうか。

例えるなら、プロ野球選手が四肢を奪われるような、画家が視力を失うような、歌手が声を失うような状況です。

ウイーン・ハイリゲンシュタット

ベートーヴェンは何人もの医師にかかり、そのうち信頼していた医師による静かな環境での療養したほうがよいというアドバイスに従って、ハイリゲンシュタットというウィーンの町はずれで暮らします。

それにもかかわらず、ベートーヴェンは従者が聴こえている笛の音すら聴こえない状況になっていました。

ベートーヴェンは音楽家にとって致命的な難聴がもはや治るものでないことに絶望し、死を決意し、弟2人に宛てた遺書を書くこととなります。

「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれていますが、こんな書き出しで始まります。

私の心と魂は、子どもの頃から優しさと、大きな事をなしとげる意欲で満たされて生きてきた。だが私が6年前から不知の病に冒され、ろくでもない医師たちによって悪化させられてきたことに思いを馳せてみなさい。回復するのでは、という希望は毎年打ち砕かれ、ついにはこれはずっと続く病と考えざるを得なくなった。
情熱に満ちた活発な性格で社交好きなこの私が、もはや孤立し、孤独に生きなければならないのだ。すべてを忘れてしまおうとしたこともあったが、聴覚の悪さがもとで倍も悲しい目にあい、現実に引き戻されてどれほどつらい思いをしたか。

ベートーヴェン・「ハイリゲンシュタットの遺書」

遺書の冒頭、ベートーヴェンは活発だった自分の性格に反して難聴がどんどん悪化してしまい、絶望の中にある感情を率直に記します。

そして、作曲家として完璧な聴覚を持ってきたこと、そしてそれが失われつつあることについて、以下の通り記述します。

ほかの人よりも完全なものとして私が持つべき感覚、しかもそうした完璧さは私のような職業にあってさえごくわずかの人しかもっていない、あるいは誰ももったこともなかったのに、その感覚が弱ってしまったという、自分の欠陥をどうして漏らすことができようか。いや、私にはそれはできない。だから私が君たちと楽しく交わえるであろう時に、そこから逃避するのを見ても許してくれ。そうした場合、自分が誤解されざるを得ないということで、私の不幸は私を二倍苦しませる。私にとっては、人との付き合いを楽しんだり、気の利いた会話を交したり、お互いの意見交換をすることはあり得ないのだ。追放を受けた人のように、私はほとんど一人で暮らさなければならない。もし私が人々に近づこうとすると、自分の状態を悟られてしまうのではないかと、激しい恐怖が私を捉える。

自己を島流しにあった人のようにたとえ、人の輪に入ることに恐怖を覚えることを正直に記します。

音楽はもちろん、難聴を知られたくないがために他者とのコミュニケーションを楽しむこともできない。

音楽家として当然備えなければならない聴力を失っていく状況は、プライドの高かったベートーヴェンにとってどれほどの恐怖と屈辱だったでしょうか、想像するだけで心が痛みます。

そして、ハイリゲンシュタットでの笛の音も聴こえない体験について以下の通り記載します。

私の隣に座っている人が遠くの笛の音を聞いたのに私には何も聞こえなかったとか、誰かが羊飼いが歌っているのを聞いたのに、私にはまたもや何も聞こえなかったというのは何という屈辱だろう。そういうことがあるたびに私は絶望へ追いやられた。

音楽家として完璧な聴覚を持っていた、それが失われる。活発な性格であったのに人の輪に加わることができない。医師の勧めで閑静な環境で暮らし始めたのに、もはや笛の音も聴こえない。

しかし、遺書としてこれまでベートーヴェンの絶望、失望、そして諦めが書かれてきたのですが、次の文章から毛色が変わります。

こういった出来事に絶望し、私はもう一歩のところで命を絶つところだった。私を絶望の淵にとどめたのは「芸術」であった。そうだ、私が自分の中にあると感じているものをすべて出し切るまでは、私はこの世を去ることはできそうにない。だからこそ、この悲惨な人生を耐え忍んできたのだ。何とみじめなことだろう。最上だった状態から突然奈落の底に突き落とすという変化をもたらしたこの感じやすい身体。

遺書として始まっているのに、「芸術」によってとどまった、とベートーヴェンは改めて書き出すのです。

「忍耐」-これこそがこれからの指針でなければならない、そう決心した。呵責ない運命の女神が生命の糸を断ち切る日まで、この気持ちを見失わないように願い続けている。ひょっとすると難聴は良くなるかもしれないが、ならなくても心の準備はできている。神よ、御身は私の心中を見下ろし、もうわかっておられる。そこには人間愛と、善行への欲求があることをご存じだ。不幸な状況にある者は、ここに同じように苦しんだ人間がいたことを慰めとするだろう。なぜなら私は、自然界のあらゆる障壁、つまり病苦にも負けず、能力の範疇にあるすべてを成し遂げた立派な芸術家へとなろうとしていたのだから。

ここに、命を絶とうとまでしていたベートーヴェンは、自らの運命に「忍耐」をもって立ち向かうことを宣言するのです。さらに、神に、自分の中に人間愛と善行への欲求があることを誓います。

ベートーヴェンは正直な人間だと言われていました。

現代から見ればやや大げさに見えるこの文章も、難聴、そして死に向き合うベートーヴェンの素直な気持ちが書かれているのだと思います。

そして、自然界のあらゆる障壁、つまり音楽家であるベートーヴェンにとっての失聴にも負けず、持てる能力のすべてを振り絞って音楽を極めることは、自分以外の不幸な人間にとっての慰めにもなるだろうというのです。

比べるべくもありませんが、私がベートーヴェンと同じ境遇にいたとすれば、このような境地にはたどり着けそうもありません。

しかし、ベートーヴェンは最も才能に恵まれていた「芸術」に希望を見出し、そして、病苦にも「忍耐」をもって立ち向かうことに決めたのです。

最後に、ベートーヴェンはこう記します。

私は喜びをもって死と対峙しよう。私が自分の芸術的な能力をすべて出し切るよりも前に死が来るとすれば、私の厳しい運命にもかかわらず、それは早すぎることになるだろう。しかしその場合でも、私は幸せであろう。なぜならば、それが私をこの終わりのない苦しみの状態から自由にするだろうから。死よ、望むときに来るがよい。私は死に勇敢に立ち向かうであろう。さようなら、そして私が死んだときは、私を忘れないでほしい。私はそう要求してもいいと思う。なぜなら、私は生きていた時には君たちのことを深く考え、そしてどうやったら君たちを幸せにすることができるかを考えてきたからだ。

君たちとは2人の弟を指しますが、この遺書では後世に残された我々を含めても意味が通じるように思います。

自分が聴力を失っても音楽を作り続けた動機は、作り手である自分のためではなく、あくまで聴き手を喜ばせたいからであったにほかなりません。

だからこそベートーヴェンは、難聴という絶望的な環境にありながら、失聴してからも交響曲第5番(運命)、6番(田園)、7番、9番(合唱)という素晴らしい楽曲を生み出せたのではないでしょうか。
これらの楽曲を聞いていて思うのは、すべて希望に満ちた、聴くものを鼓舞する曲調で終わっていることです。

一方で、ピアノソナタ「悲愴」や「月光」では、その悲しい曲調に聴いていて涙が出そうになります。ベートーヴェンの抱いていた悲しさ、やるせなさ、絶望の顕れではないでしょうか。

ウイーン・ハイリゲンシュタット

誰もが生きているとしんどいな、苦しいな、と思うときが必ずあります。

しかし、ベートーヴェン以上に厳しい環境に置かれることはなかなかないでしょう。

ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」を読むと、諦めずに自分(ベートーヴェンにとっては芸術)と向き合っていれば、必ず人生が好転するときが来るように思えるのです。

※ここで紹介したベートーヴェンの交響曲第5番(運命)や第9番(合唱)の、特に4楽章(最終楽章)はとてもおすすめです。

耳が聴こえなかった作曲家の音楽、ということを念頭に聴くととても勇気がもらえます。

【参考図書】
「ベートーヴェンの生涯」 ロマン・ロラン著(岩波文庫)
「ベートーヴェン」上 / 下 メイナード・ソロモン著(岩波書店)
「ベートーヴェン ああ!この運命」 岡田豊著(論創社)

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