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小説 弦月10

 翌週の水曜日、鈴木さんと職場で顔を合わせた。私は小料理屋での事を謝った。

「私、お金を払わないで帰っちゃってすみませんでした。鈴木さんが払ってくれたりしました?それなら払います。いくらですか?」

「いや、それくらいいいよ。いつも仕事を頑張ってくれてるし。それより体調は大丈夫?あのあとちゃんと家に帰れた?」
鈴木さんいつもの穏やかな笑顔で言った。

「うちはあそこのすぐ近くなので、大丈夫でした。もうすっかり元気です。実はあそこに行く前に直子と飲んでて、ちょっと飲みすぎましたね。本当にすみませんでした」と私は笑顔を作りながら言った。

「送っていってあげればよかったね。そこまで気がまわらなくて」

 鈴木さんは本当にそんな事を思っているのだろうか。あのとき、自分の姿が彼の目にどんな風に写っていたかをききたかった。でも当然、そんな事はきけるわけがなかった。

「僕が辞めるかもしれないってこと、他の人にはまだ言わないで欲しいんだ」
 鈴木さんは少し言い辛そうに言った。彼はじっと私の目を見ていた。私はまた何か変なことを言いそうで怖かったので、なるべく彼の目を見ないように努めた。
「そうですよね、わかりました」とだけ答えた。

 5月になり、汗ばむ陽気になってきた。私は仕事をこなし、週に一回ヨガに通った。鈴木さんの事を考えたくなくて、孤独を感じなくて済む方法をあれこれ探しながら過ごした。本をたくさん読んだり、友達と会ったり、音楽をききながらランニングをしたりした。孤独なのはもう仕方がないから、なるべく孤独であることを忘れていられる何かが私には必要だった。友達と酒を飲んでおしゃべりをしても、寂しさを忘れていられるのはいっときだけで、そのあとに訪れるものは二日酔いと肌荒れと虚しさだけだった。マッチングアプリなどで知り合った男とデートもしたが、鈴木さんの事を思い出して余計に苦しくなるだけだった。

 鈴木さんとの会話は、何故あんなにも心が満たされたのだろう。彼がいなくなる事を想像するだけで涙が出た。

 6月には直子の結婚式があった。直子の彼の実家は海沿いの小さな街だった。挙式と披露宴は、その町の、海が見渡せる素敵な教会とそこに隣接するレストランでおこなわれるということだった。それは直子の彼の父親が、脳梗塞か脳出血かの後遺症で右半身に麻痺があり、あまり遠方には行けないという理由からのようだった。

 私と介護主任の河原さんが結婚式に招待されたので、二人で新幹線でそこに向かうことになった。直子が式場の近くにホテルをとってくれたので、そこに一泊して帰ることになつた。

 新幹線のなかで河原さんは缶ビールをごくごくと飲めながら言った。
「齋藤さん、最近元気がないけど大丈夫?何かあった?」

 私は鈴木さんへの気持ちに気づかれているのではないかと思いはっとした。でも河原さんの口調にはそういった意味合いは含まれていないようだった。

「心配してくれてありがとうございます。離婚して、今さら一人なんだなぁって思っちゃったんですかね。どうにか、気を紛らわそうとしてるみたいです。自分でも、良くわからないんですけど」と私は言った。

 私は河原さんが本当に私の事を心配して言ってくれていることがわかっていたので、正直に答えた。

「この業界、離婚経験者が多いでしょう?何かあればみんな相談にのってくれるわよ。ひとりで抱え込まないでね。それが一番良くないと私は思うから」

 河原さんは窓からの景色を眺めながら、さらに続けて言った。

「私はこの仕事を始めて25年くらいになるけど、本当に色んな人と仕事をしてきたのよね。その中で、やっぱりこの仕事に向かない人は本当にすぐ辞めちゃうのよ。1日で辞めちゃう人もいたしね。私も数え切れないくらい仕事を辞めようと思ったことがあるのよ。でも齋藤さんは頑張ってくれてるし、いつでも利用者の事を一番に思って仕事してくれてるでしょう?そういう人ってなかなかいないから、続けて欲しいって思うのよ」

 私は何も言わずに頷いた。

「私も、今まで仕事でも私生活でも色々あったけど、人生いい時と、何をやっても駄目なときがあるわよね。禍福は糾える縄の如しって言うけど、本当にそうなのよ。でもね、上手くいかない経験をすればするほど、他人の痛みがわかるようになるわよね。平凡であることのありがたみがわかるわよね。この仕事は、そういうことが必要なんじゃないかなって、思うことがあるのよね。だから、たとえ今が辛くても、きっとこれは自分にとって必要な経験だったんだって思える時がいつか必ずくると思うの」と彼女は言った。

 私は河原さんがこんなに熱心に語るのを初めて見た。彼女が私のことを気にかけてくれていることが嬉しかった。私は目の前にぶら下がっている苦しさの事しか頭になかったけれど、その言葉をきいて、一生という長い期間でみれば、この苦しさはほんのいっときの出来事なのかもしれないと思えた。そう思うと、少し気持ちが明るくなった。

 私は素直に河原さんに礼を言った。

 挙式の教会は、本当に断崖絶壁のところにたっていた。私は久しぶりに海を見た。中学校の修学旅行の時以来だろうか。幸いなことに梅雨のわりに天気が良く、海は穏やかで、水平線に陽の光があたってキラキラと輝いていた。こんな土地で育てばそりゃあ自然にサーフィンをやるようになるんだろうな、と思った。確かに海は美しいと思ったが、私はどうしても足がすくんでしまって、子供のように河原さんの腕にしがみつきながら会場に入った。

 直子の結婚式は温かい雰囲気で終わった。新郎の友人達はみんな体育会系の人達で、式の余興として6人くらいで肩を抱き合い歌を歌っていた。直子は本当に綺麗だった。河原さんは新婦の父親かと思うくらい号泣していて、私はそれを見てつい笑ってしまった。

 披露宴が終わり、河原さんは酔っ払って直子が手配してくれたホテルにひとりで行ってしまった。私は披露宴のあと二次会にも参加して、とてもいい気分に酔いながら歩いてホテルに向かった。海沿いの道を歩いていると、地響きのような波の音が絶えずきこえていた。本当に怖かった。この先はもうどこまでも水で満たされているのだと想像すると、私は全身に鳥肌がたった。

 波の音をきいているうちに、ふと私は以前にもここに来たことがあるような気がした。おそるおそる海の方向に目をやると、月明かりのなか水平線がぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。背筋が凍るような不気味な感覚を覚えて、私は走ってホテルに向かった。急いでチェックインを済ませて、部屋のベッドに横になった。部屋の窓を閉めても、海鳴りはかすかに聞こえていた。

 その夜、浅い眠りのなか夢を見た。夢の内容はよく覚えていない。でも夢のなかでも海鳴りがきこえていた気がする。とても苦しくて悲しい夢だった。夢の内容を覚えていないのに、夢から覚めたとき本当に夢で良かったと思った。

 最近溺れるような夢をみるのは何故だろう。そもそも何故私はこんなにも水が怖いのだろう。大人になってからは日常生活にさほど影響はなかったので、あまり気にしたことはなかったが、こんな夢があまりにも続くようなら一度カウンセリングでも受けた方がいいのではないか。私はため息をつきながらベッドから出た。

 ホテルのレストランで河原さんと一緒にビュッフェの朝食を食べた。二人して昨日はたくさん食べて飲んだので、全く食欲がわかなかった。コーヒーを飲みながら、私は河原さんにその夢について相談してみた。

 河原さんは紅茶を飲みながら、「ひょっとして、前世で溺れ死んだりしたんじゃないの?」と言った。

「前世ですか」
私は河原さんがあまりにも当たり前のように言ったので驚いてしまった。

「そう。前世。私もね、若いときにひやかし半分で占いに行ったことがあるのよね。その時、何代か前の前世ではヨーロッパで弦楽器を弾いてたって言われたの。まっさかあ、と思ったけど、たしかに私、クラシック音楽をきくのが好きなんだよね。宝塚とか、ミュージカルも大好きで、よく観に行くの」

「そうなんですね……」と私は言った。

「でも、その占い師の先生も言ってたけど、前世を気にするよりも、今を大切にすることが何よりも一番大切なんだって。過去でも未来でもなく、今この瞬間を大切にした方がいいらしいよ。そうすると、自然と物事はいい方に運ぶからって」と河原さんは明るい声でいった。私は河原さんの意見に頷いた。河原さんの言葉は、鈴木さんの言葉と重なるものがあった。

「前世なんか、きっと知らなくていいのよ。気にしなくていいと私は思うな。それよりも、自分が自分らしくいられることを一番大切にした方がいいわよ。少なくても私はそう思って生きてるわよ」と河原さんは笑いながら言った。

 河原さんの明るい笑顔に、私は心が楽になった。もし鈴木さんや直子が退職したとしても、私は今の職場で仕事を続けようと思った。



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