見出し画像

なせばなる

今日から本業では、私達のチームから1人産休でお休みに入った。
1人は元々休業中。
そして今日風邪で1人急遽お休み。💦
(オワター)

6人チームのうち、半分の3人がいない。
そんな中で、残りのメンバー3人でお仕事。😵‍💫

正直、仕事しながらアタフタして、心の中では(本当にこれで終わるのか?残業したくないなぁ。いっそのこと私も風邪ひいてしまいたい。😅)などと、不謹慎なことを考えたりしていた。

でも、隣の部署に異動した、元私達のチームにいらした先輩(年下)が、今日はお手すきということで、手伝いに来てくれた。😭
本当にいつも優しくて気配りが利いて、私はこの先輩のことが好きだった。
彼女が上司になるのならば喜んでついて行ったのに…。

しかしながら、彼女も随分と忍耐していたのにも関わらず、私達の上司である部長とのやり取りに心を病んでしまい、暫く休業の後、お隣の部署へ異動。
やっとここ最近笑い声が聞こえるようになってきたところ。
いや、むしろ良くそれだけ長い間、黙って耐えて来たとみんな思っている。


それだけ、うちのチームの仕事・環境が過酷だってことだよね…。😂
私も何度も、もう会社に行くのを止めようと思ったけど。
ただそれを実際にやるかやらないか。
それか、体が拒否反応を起こして行けなくなるか。

おかげ様で、心身共にそんなに強くはないけれど、運は良くて人に恵まれているから、何かの時に助けてくれる人いるし、話聴いてくれる上司もいるし、プライヴェートではメンターさんに相談もしているし、なんとかなっている。

本当に嫌なら辞めちゃえばいい。


私が「為せば成る、為さねば成らぬ、なにごとも」という言葉の本当の意味を知ったのは、今から数十年前😂、20代の時に友達と3人で九州旅行へ行った時のことだ。

その時の友達は小学校からの同級生で、仮にB子とO子にしておこう。
B子は何でも自分の思った通りにしたい、超強気の女の子。
O子はおっとりしていてなんでも人任せ。
私は中間。どっちでもいいし、どっちもやる。(笑)

悲劇は、2泊3日の旅行の最終日、阿蘇のふもとから空港へと向かう時に起こった。
ゴールデンウィーク、5月だというのに、雪が降り出した。😲
レンタカーを運転して空港まで向かうのだけれど、自分も含めて周りも急な雪で慣れない運転で、ぞろぞろと渋滞になり、18時出発の飛行機にどうやら間に合わない気配が。

B子と私が交代で運転していたのだけど、最後空港までは私がちょうど運転していた時で、おかげ様でそれまでにスキーに行っていた時に雪道は運転したことがあったので、そんなに苦にはならなかったけれど、渋滞はどうしようもなく。

かなり余裕でつくはずが、ぎりぎり間に合うかどうかなくらいになってきた。
私もO子も諦めて「もうこっちにもう1泊して帰ろうよ。」と話していたにも関わらず、B子は絶対に帰ると決めていた。

とは言え、どんなに本人がそう強く思ったところで、この天候と渋滞はどうにも出来ないし。
と思っていたのだけれど、B子のスゴイところは、直接A〇Aへ電話して、今こういう状況だけれど、絶対に空港に行くから飛行機待ってて、と伝えたのだ。

私は運転しながら、助手席で必死にその頃流行のiモードで訴えているB子のことを笑っていたけれど、使えるコネはなんでも使え、という頭なんだね。
その頃のB子の彼氏の弟さんがA〇Aのパイロットで、なんと彼の名前を出して、なんとか待っててくれとしつこく頼んでいた。

とは言え、そんなことで待っててくれるのかねーと、思っていたのだけれど、空港に車で降りてからが凄かった。

空港に着いたのが、18:00ちょうど。
惜しかったな~と思ったのもつかの間、ガラスの自動ドアが開いたら、そこに待機していてくれた、今で言うグランドスタッフの方が「こちらです!」と言いながら私達を案内してくれて、そこからあれよあれよという間にゲートを通り抜け、飛行機の前まで連れてってくれた。

その方と私達3人はずっと走りっぱなしだったけれど、18:07分くらいに機内に入って通路を通りながら、周りに「すみません、すみません」と頭を下げながら席について、実際に離陸始めたのは10分遅れの18:10だった。


なんだかんだ言って、10分遅れたけれど、飛行機に乗れた。
これは私の中で、物凄い影響を受けた出来事だった。

もしあのまま私とO子だけだったら、もう1泊してゆっくり帰っていただろう。
それが良いとか悪いとかではなく、こうして「目的の為にはやれることはなんでもやる」という方法があり、「一見無理そうなことでもなんとかなることもある」、という事象を知った。

今後の自分の人生の中で、それを発動するような強い気持ちを持って成し遂げたいことが出てきたら、その時のことを思い出してやるかもしれない。

私にとっては「知っておく」だけでも価値があると思える、驚くべきことだった。


ただ、このB子とは、ある時を境に疎遠になった。
学生時代は大人しかった?というかまだ子供で、出来る行動に制約があったけれど、オトナになって、自分で何でも出来るようになってきたら、わがままが増えたから。

あの飛行機事件のようなやり方を通常運転としてたので、友達としていつもはそれに合わせられなかったから。


今日みたいに、もう誰が見ても無理でしょ。というシチュエーションになるとあの時の九州旅行を思い出す。

やるかやらないかはともかく、出来ることとして何が考えられるか、普段はしないようなこと・頼まないようなことが頭の中に浮かんでくる。

出来れば発動したくない、「為せば成る」方式。
発動間近。
な気がする。🤭




この記事が参加している募集

仕事について話そう

もしサポートして頂けたなら、執筆活動費に充てて、「副業が本業をいつしか超えてフリーになる!」という夢が早まります。あなたの”夢の後押し”が名実共に私の背中を押してくれるのです。本当に有難い限りです。<(_ _)>