極上の酒は「大地」と「人」、テロワールを醸す
生まれ育った故郷、先祖代々受け継がれてきた土地、あるいは家族とともに暮らす新天地 。特別の思いを抱く大地に、どっしりと根を下ろして、極上の美酒を醸す人々がいます。
このマガジンでは、「テロワールの誘い」から生まれたスピンアウト企画「蔵を巡る旅」として、酒蔵の経営者としての背景を持つ、酒米つくる農家として、ときには日本酒のバイヤーとして、日本全国の酒蔵を巡り、蔵人とふれあい、彼らがつくる酒を味わい、その酒が生まれた土地を散策しながら食や文化、歴史を全身で楽しむ企画となっております。
観光庁では、平成25年3月より、日本産酒類を観光資源として活用し地域活性化につなげるため、酒蔵ツーリズム推進協議会を開催してきたが、平成28年度からは「テーマ別観光による地方誘客事業」を活用して、日本産酒類の酒蔵を観光資源として活用しようとする日本酒蔵ツーリズム推進協議会の取組を支援しています。
ちょうど、その頃にとある酒蔵の経営を預かることになり、日本酒というものに関わることになり、酒が生まれる現場で、あるときは杜氏と酒を酌み交わしつつ、泣いたり、笑ったり、 激論を交わしながら、見聞きしたことを綴っているのがこのマガジンとなっています。
気がつけば、旨いお酒を追いかけて四半世紀になります。
実家が酒屋だったこともありますが、カクテルから入って、ビールに続き、ワインと知り合い、日本酒と過ごすことになったのです。
どんなお酒であれ種類を問わず、心を震わせる味に出会ったとき、お酒が醸されている土地(テロワール)へ行きたい衝動に駆られるのです。
その酒が生まれた場所に射す光の色や風の匂い、湧く水を確かめたり、造り手の声を聞いたりしたくなってしまうのです。
そして文化を知り、深く学びたくなるのです。
そして、そのたびに歴史に畏敬の念をもつのです。
なぜこれほどまでに、お酒に惹かれてしまうのでしょうか。
きっかけは一杯の日本酒でした。
実家が酒屋だったので大きな声では言えませんが、こっそり大吟醸酒を飲んで、その豊かな味わいと夢のような香りの虜になりました。
時は流れある時に、台湾の友人と酒蔵巡りのツアーに誘われて参加し、現地でピチピチと弾ける搾りたての生酒を味わって天に昇るような気持ちになりました。
当時はまだ、保冷の宅配便はなかったので、それは酒蔵でしか味わえないものだったのです。
また 酒蔵で飲ませてもらった仕込み水と、お酒の味に共通点があったことも新鮮な驚きでした。
そして、何よりも惹かれたのは人です。
厳寒の酒蔵の中で黙々と、しかし情熱的に酒を醸す人々に惚れ込みました。
酒蔵の佇まいも実に魅力的なものでした。
時代を経た、木造の建物の黒光りした柱や白壁に安堵感を覚え、酒蔵のまわりに広がる黄金の稲田に思わず涙したものです。
神奈川県の逗子で生まれ、父の仕事の影響で、比較的に人口の多い住宅街で転居を繰り返しながら育った私には故郷と呼べる場所はありません。
それなのに、なぜでしょうか。
ここはたまらないほど懐かしく感動したのです。
米を主食としてきた日本人の魂を揺さぶられたのかもしれないと考えました。
水田が広がる里山の景色。
それは故郷の心象風景であり、美しい日本の姿そのものでした。
日本酒の優しい甘味や繊細な旨味、みずみずしさは、米と清らかな水の特性です。
心惹かれたのは、先人たちが営々と耕してきた日本の大地と、魂熱き人が醸し出した味わいだったのです。
しかし、それだけでは説明できないのが、その酒蔵ツーリズムに一緒に行った台湾の友人です。
彼はとうとう酒蔵ツーリズムと日本酒を生涯の仕事と定め歩みを始めているのです。
そんな私も人生を大きく変えたきっかけは、ワインとの出会いでした。
それぞれのワインが、味わいや香り、舌触り、余韻に至るまで驚くほど特徴が異なり、個性を競っていることに興味を覚えました。
なかでも強く惹かれたのは、ピノ・ノワールの芳しく、官能的な香りです。
ロマネ・コンティに代表される、ブルゴーニュの偉大な赤ワインを生む品種で、「最も気まぐれなブドウ」と言われるように冷涼な一部に地域でしか栽培が難しい一方で、その土地の個性であるテロワールを表現するのに長けており、多くの生産者が憧れる品種でもあります。
こうしたワインを知ると、どうしてもその産地へ行ってみたくなり、訪れて感じたのは、土地に対する造り手たちの強い誇りでした。
そこで私は人生を学びました。
ほかの土地でできたワインと競争するなんて意味がない。
自分が生まれ育ったこの場所、この土地でしか出せない味と香り、代々受継いできた大地から立ち上がってくるものを表現しようと、ブドウ栽培に精魂を傾ける彼らの姿を見て、酒とは農産物の延長にあるものであり、大地の恵みと人間の叡知が生んだ宝物であることを、強烈に印象づけられたのです。
こうして私は、勤め先を辞し、感動する旨い酒の背景にある物語を綴るために農産物をつくる担い手になりました。
日本人は精緻なもの造りに長け、より良いものをめざす探究心も旺盛です。
匠の国、技術大国と称賛される所以でしょう。
酒造りについても同様で、米と水を主原料に、並行複発酵という世界で比類のない複雑なメカニズムで醸される日本酒があります。
それをさらに蒸留して生まれる本格焼酎は農産物と清涼なる日本の水、日本の高い技術力で生み出されたものです。
長年、日本の酒を飲み続けてきましたが、近年の醸造技術や管理、輸送などの進化には目を見張ります。
それは造り手や販売する人々のたゆまぬ努力の結果ではないでしょうか。
日本の酒はいま史上最高の水準に達しています。
私も含めて飲み手は、極上の美酒を味わえる幸せな時代に生きているのです。
ただ、その原料となる農産物に関して言うならば、蔵元はごく最近までほとんどタッチすることなく、酒造技術ほどは研究されてこなかったと言えるのではないでしょうか。
戦時中の1942年に公布された食糧管理法によって、米や麦などの農産物の生産と流通に規制があったために、酒の生産者は原料となる農作物作りに手がでませんでした。
農作物は農家、酒は酒蔵と、生産は完全分業だったのです。
しかし、1995年に新しい食糧法が施行され、規制が緩和されたことから、農業を手がける酒蔵も増えてきました。
自らの土地を誇りに思い、その土地でしか出せない味を表現したいという思いは、ワインの生産者と共通なのでしょう。
日本酒も本格焼酎も水を大量に使って仕込むため、水を一滴も加えないワインと同じ角度で見るべきではありません。
米や麦など穀類は乾燥原料ゆえに保存や輸送ができるため、鮮度が命のブドウと同じようにとらえるのは無意味です。
国内外の名産地から農産物を仕入れて、最高品質の製品を造ることができるのも、日本酒や本格焼酎の特質であることを、私も否定するつもりはありません。
飲み手も作り手も、どちらも旨い酒を味わうことができればそれで幸せなのです。
私も作り手の一人として、地元の協力してくれる農家の上質な酒米を栽培しようと試行錯誤する姿や、炎天下に汗水流して自ら栽培に取り組む愚直な姿には尊敬の念を感じます。
酒米の作り手は米作り、お酒の造り手は酒造りを通じて故郷の魅力を伝えたい。
そして、地域の環境を守るために、手間とコストがかかって農家には敬遠される有機栽培を行いたいと考えているのです。
自ら耕作することで田園が広がる里山の景観を残したいという思いもあります。
そして地域の伝統産業を次世代に伝えていきたいと思っているのです。
彼らが暮らす地域や代々受け継がれてきた土地を愛し、その魅力を発信したいという強い思いがそうさせるのだと思います。
そういった土地(テロワール)や、地域をテーマに、極上の酒造りに取り組む造り手たちにもスポットを当てていきたいのです。
フォーカスするのは、農業に取り組むお酒の造り手だけではありません。
機会が許せば次巻には、2011年3月11日の震災によって大きな被害に見舞われたり、津波や原発事故によって郷を追われた蔵元のことも紹介したいと思います。
困難のなかにあっても、地域文化の担い手としての誇りを胸に、より上質な酒を醸そうと努力を続ける蔵元たち。
それはまさに愛すべき故郷、彼らが暮らす思い入れ深い大地(テロワール)、を表現することにほかならないからです。
故郷の山や川、祭り、郷土の料理、地域の人々、縁あるすべての人や景色を思いながら、万感を込めて醸したお酒。
それは強く、優しく、飲み手の心を揺さぶります。そして暮らしている大地をこよなく愛する造り手たちの姿勢は、日本人が歩むべき方向や、日本 のこれからの姿を指し示してくれているように思うのです。
本書で綴った造り手たちのお酒の一滴、語り合った中での一言が、あなたの心に染み入る極上のしずくとなり、明日への希望の源となることを祈っています。
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