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「地獄の黒い飲み物」と云われた珈琲が世界を旅するまで

前回は珈琲の生誕伝説を二つばかり、ご紹介させていただきました。

今回は、エチオピア原産といわれる珈琲が、どのようなルートで世界に広まっていったかについて、二つのルートをご紹介させていただきます。

ティピカ種

ティピカ種は、アラビア半島のイエメンを起源としています。17世紀初頭、オスマン帝国の支配下にあったイエメンから、商人や船乗りたちによってコーヒーの種が持ち込まれました。この種はアラビカ種の中でも特に広く栽培されていた品種であり、当時のイエメンで主要なコーヒー品種として栽培されていました。

このティピカ種のコーヒーの種は、イエメンからインドへと運ばれました。その後、スリランカ(当時のセイロン)にも広まり、ジャワ島へと伝播していきました。オランダ東インド会社は、セイロンやジャワでのコーヒー栽培を促進し、アムステルダムの植物園にティピカ種のコーヒーの木を送りました。これにより、ヨーロッパにおいてもティピカ種の栽培が行われるようになりました。

18世紀には、フランスの王ルイ14世によってティピカ種のコーヒーの木が贈られ、パリの温室で栽培されました。その後、この樹の子孫がカリブ海のフランス領マチニーク島に送られ、さらにジャマイカやメキシコなど中央アメリカ諸国にも植樹されました。これらの地域において、ティピカ種は重要なコーヒー品種として栽培され、その味わいや特徴が評価されました。

ティピカ種は、その後も世界各地に広がり、他の品種との交配によって新たな品種が生まれる基盤となりました。そのため、現在の多くのコーヒー品種の祖先として、ティピカ種の存在が大きな意義を持っています。

ブルボン種

ブルボン種は、元々エチオピアからレユニオン島に伝播したコーヒーの品種です。この品種は突然変異によって生まれ、ブルボン種として知られるようになりました。その後、東アフリカのケニアやタンザニアにも持ち込まれました。

現在、コーヒー栽培において重要な産地であるブラジルには、ブルボン種がスリナムから伝わり、アラビカ種として栽培されています。ブルボン種とエチオピア由来の品種がこの二つの祖先とされています。

これらの祖先品種から、収穫性や耐病性などの観点からさまざまな品種が生まれました。コーヒーの栽培地域や特定の条件に応じて、新たな品種が育成され、それぞれが独自の特徴を持っています。例えば、カトゥーラ、ミュンディナ、パカマラなど、ブルボン種やその他の品種との交配によって生まれた多くの派生品種が存在します。

これらの品種は、コーヒー農家にとって収量や病気への耐性など重要な要素となり、地域の気候や環境条件に適した栽培が可能になります。ブルボン種とその派生品種の存在は、多様性と品質の向上に寄与しています。

珈琲が飲まれるようになるまでの道のり

珈琲がイスラム世界で珍重された秘薬となり、15世紀にはモカやメッカに伝わりました。16世紀初めにはカイロに広まり、1554年にはイスタンブールでも本格的な珈琲ハウスが開店したとされています。

当時のイスタンブールは、東西文化が交錯する重要な都市でした。珈琲はこの多文化の街で大きな注目を浴び、人々にとって新たな刺激的な飲み物として受け入れられました。その時代の珈琲は、現代のものとは濃度や味わいの面で異なる可能性があります。

当時のイスタンブールの珈琲は、豆を焙煎し細かく挽いてから煮出す方法で調理されていました。濃厚で独特な風味を持ち、煮詰まったような濃いエスプレッソのような味わいが特徴でした。また、当時の珈琲はスパイスや香辛料を加えることもあり、風味にさらなる深みが加わったと考えられています。

現代の珈琲と比較すると、当時のイスタンブールの珈琲はより濃厚で独特な特徴を持っていたとされています。その風味や濃度は、現代のコーヒー文化とは異なる体験を提供していたでしょう。しかし、現代のイスタンブールでも伝統的なスタイルの珈琲を楽しむことができ、その一杯から当時の雰囲気を感じることができるかもしれません。

深い歴史を持つイスタンブールの珈琲文化は、現代でも魅力的であり、多くの人々に愛され続けています。

当初、珈琲は異教徒が飲む「地獄の黒い飲み物」とされ、キリスト教文化圏では禁止されていました。しかし、17世紀に入ってからヨーロッパで珈琲が広まるようになりました。

この転機となったのは、当時のローマ教皇であるクレメンス八世の関与です。クレメンス八世は珈琲の魅力に取りつかれ、「異教徒のみの飲み物にしておくのは惜しきことなり、真のキリスト教徒の飲み物にせん」と宣言しました。この宣言により、キリスト教教徒による珈琲の飲用が許され、ヨーロッパ全体に広まっていくこととなりました。

クレメンス八世の宣言は、珈琲が宗教的に受け入れられる一大転換点となりました。ヨーロッパ各地で珈琲ハウスが開店し、珈琲文化が発展していきました。珈琲は社交の場や知識の共有の場として重要な役割を果たし、ヨーロッパの文化に深く根付いていきました。

こうした歴史的な経緯から、珈琲はキリスト教圏で広まり、禁止されていた飲み物から真のキリスト教徒の飲み物へと位置づけが変化しました。クレメンス八世の宣言は、珈琲の普及に大きな影響を与え、現代のヨーロッパ珈琲文化の礎を築くこととなったのです。

イタリアを起点にして、珈琲の飲用がイギリス、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国に伝わり、次々と珈琲ハウスが開店されるようになりました。そして各国では独自の珈琲文化や飲み方が発展していきました。

イタリアでは、エスプレッソやカフェ・ラテなどが特に人気となり、イタリアンスタイルの珈琲文化が根付きました。エスプレッソは高圧の蒸気を使って抽出される濃厚なコーヒーであり、イタリアンカフェでは短時間で楽しむことが一般的です。また、カフェ・ラテはエスプレッソに温かい牛乳を加えたもので、朝食やブランチといった時間帯に愛されています。

イギリスでは、ティータイムと同じくらい珈琲の文化が重要視されており、ミルクティーやインスタントコーヒーが一般的です。ドイツでは、フィルターコーヒーやカフェ・アウフシュトラスなどが人気を集め、濃い味わいや豆の風味を重視する傾向があります。フランスでは、カフェ・オ・レやカフェ・アンリシェといったコーヒーに牛乳やクリームを加えたスタイルが広まりました。

各国において、珈琲は社交の場や日常の一部として愛されてきました。珈琲ハウスやカフェは人々が集まり、情報交換や文化の共有の場となりました。また、各国の独自の飲み方やスタイルが発展し、地域の好みや文化に合わせた多様性が生まれました。

このように、イタリアを起点にしてヨーロッパ各国で広まった珈琲は、各国で独自の魅力と風味を持つ飲み物へと進化し、豊かな珈琲文化が形成されていったのです。

珈琲が日本に伝わったのは江戸時代であり、その初めとされるのは長崎です。当時、貿易港として繁栄していた長崎の出島にはオランダ商館があり、オランダ人が出入りを許されていました。オランダ人商人によって珈琲が伝えられ、貿易に携わっていた人々が珈琲を飲み始めたとされています。

長崎のオランダ商館では、オランダ船がアジアから持ち帰った商品が取引され、その中に珈琲も含まれていました。オランダ人たちは珈琲の文化を持ち込み、珈琲の淹れ方や飲み方を伝えたと考えられています。最初は限られた人々の間で飲まれていた珈琲が、次第に日本の社会に広まっていきました。

特に江戸時代後期には、オランダ商館からの貿易が活発化し、珈琲は日本の都市部で広く知られるようになりました。珈琲は贅沢な飲み物として人気を博し、上流階級や商人などの間で愛飲されるようになりました。また、珈琲は和洋折衷の文化として取り入れられ、茶道や和食文化とも融合しながら発展していきました。

長崎を起点とした珈琲文化は、やがて他の地域にも広まりました。明治時代には東京や大阪などの主要都市で珈琲店が開店し、珈琲が一般の人々にも親しまれるようになりました。現代の日本においても、珈琲は多くの人々に愛され、様々なスタイルや風味が楽しまれています。長崎を起源とする日本の珈琲文化は、貿易と文化交流の一環として重要な役割を果たしたのです。

珈琲の栽培は、その長い歴史の中でさまざまな地域で行われてきました。珈琲の栽培は独特の気候と土壌条件を必要とし、特定の地域で最適な環境が整うことで品質や風味が生まれます。

最も古くから珈琲が栽培されているのはアフリカ大陸のエチオピアや南スーダン、ケニアなどです。エチオピアは珈琲の起源とされ、数千年にわたり珈琲の木が野生の状態で自生していました。その後、人々によって栽培されるようになり、特有の風味を持つアラビカ種が生まれました。

アラビア半島やイエメンも古くから珈琲の栽培地として知られています。乾燥した気候と標高の高い山岳地帯が珈琲の栽培に適しており、特にイエメンのモカ地域はその風味と品質の高さで有名です。

また、コロンビアやブラジルなどの中南米諸国も主要な珈琲の生産地として知られています。特にブラジルは世界最大の珈琲生産国であり、多様な地域で栽培されることでさまざまな風味の珈琲が生まれています。中南米の地域は熱帯や亜熱帯の気候に恵まれており、標高や土壌の条件も栽培に適しています。

さらに、アジアの一部地域でも珈琲の栽培が行われています。インドネシアのスマトラ島やジャワ島、ベトナムなどが珈琲の主要な生産地となっています。これらの地域は独自の品種や風味を持つ珈琲を生み出し、地域独自の特徴を楽しむことができます。

珈琲の栽培は、各地域の特性や文化と深く結びついています。地域ごとの気候や土壌の違い、栽培技術や収穫方法の違いなどが、最終的な珈琲の風味や品質に影響を与えています。これらの要素が組み合わさり、多様な珈琲のバリエーションが生まれるのです。

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