せっちー

小学校教諭を経て、現在中学校教諭。教育と道徳についての研究をしています。教育のこと、道…

せっちー

小学校教諭を経て、現在中学校教諭。教育と道徳についての研究をしています。教育のこと、道徳のこと、哲学のこと、日常で感じたことを綴ります。始めたばかりですが、少しでもお役に立てる記事を書けるようがんばります。

最近の記事

#139_「1日1話のいい話」の落とし穴

毎日読書する習慣がつけたくて、今年1月に表題のような書籍を2冊購入した。 最初の3ヶ月は貪るように読み進めていたが、今ちょっと、読むスピードが落ちている。 読むモチベーションが、いまいち上がらないのだ。 理由は(時間的な制約も含めて)いくつかあるが、一番大きいのは「言葉は響くが具体に欠ける」内容が少なくないからだ。 言葉は人の生き方が乗ることで、初めて輝きを増す。 誰が言うかは見るな、と言われることもあるが、誰がその言葉を語るかは非常に大きい。 その中でも「あ、いいな

    • #138_教材開発の極意

      オンラインセミナーを主催した。 わたしも含めた先生方が、夢中になって聞き入った。 教材開発は、学習指導要領解説をはじめとした、教え事をもとに考える道(上からの道)と、面白い具体を発見したことから学習内容を見出す道(下からの道)がある。 今読んでいるのは「教材づくりの発想」 ここに出てくる具体がもう、本当に面白い。 時計の事例 時計はなぜ、右回りなのか? なぜ「ジケイ」ではなく「トケイ」と読むのか? この事例だけでもめっちゃ面白かった。 右回りの理由はすぐに想像がつい

      • #137_変化の兆し

        久しぶりに、ちょっとしたトラブルがあった。 「久しぶりに」という言葉の通り、5月になって人間関係のトラブルがぐっと減った。 子どもたちの観が変わった。 そう、感じた。 大きく変わっている子がいる一方で、変わらない子がいることもまた、事実。 そろそろ、そんな子たちに手を入れる時期。 わたしたちはとかく、子どもを「子どもたち」と括って考え 「子どもたち」への授業や関わり方を考えてしまうけれど それって、何も見ていないのと一緒。 結局は、一人一人との関係性なのだ。 「わたし

        • #136_科学的に「観る」ことへの危惧

          科学の発展により、わたしたちは世界をより自分たちが生活しやすく、過ごしやすいものへと変化させてきた。 これは、地球の歴史からしたら驚くべきことである。 生き物は本来、世界に合わせて自分自身を進化させてきた。 世界を変えようとは思わずに、自分を変えようと思ってきたのである。 しかし、科学技術を発展させた礎と言える科学的な見方や考え方は、わたしたちの生活を変えることで、わたしたちが変わらなくても豊かな人生を歩める(と思われた)世界をつくり上げた。 そこに欠乏していたのは何だっ

        #139_「1日1話のいい話」の落とし穴

          #135_「善さ」と「仁」

          引き続き、村井実の道徳教育論を読み進める。 「善さ」も「仁」も道徳を学んでいるものであれば一度は耳にしたことがある言葉だ。 「善さ」とはよりよく生きようとする人間の方向性、「仁」は惻隠の情のとおり、人間に本来眠っている、人と共によりよく生きようとする心の在り方であると捉えている。 村井は以下のように述べる。 人と人との間にいるからこそ「善さ」「仁」という概念が必要になってくるという主張は頷ける。 「善く」あろうとしている人間を倫理的人間像、または道徳的人間像と呼ぶそうだ

          #135_「善さ」と「仁」

          #134_村井実を読む(道徳教育の論理)

          noteでアウトプットすることを日課にすると、本がどんどん読めることがわかった。 アウトプットを目的として、読み進めたい。 村井実は慶應義塾大学名誉教授。教育哲学と思想史の研究を行っている研究者だ。 2022年3月に100歳を迎えたとのこと。 村井が初めに語る命題は「人間らしさとは何か」ということ。 以下のように述べている。 1.考える自分を考える 2.自然から文化をつくりだす わたしたちが考える道徳法則は、この文化そのものであると言っても良いだろう。 2の文化にフ

          #134_村井実を読む(道徳教育の論理)

          #133_ 道徳科を学ぶ意味を考える

          本日の書「道徳授業の創造」宮田丈夫編著 道徳科で何を学ぶのだろう。 「人間のよさを学ぶ」とずっと謳ってきたけれど、人間のよさとは何なのか 道徳的価値とは何なのか。 ずっと考えてきた。 この書籍を読み、これだ!!と思う記述を見つけた。 道徳的価値を既存のものとして捉えるのではなく、子ども自身が創り出すものであると捉え、その価値に対する発見を子どもたちに委ねる、ということである。 子ども自身が価値観をつくるのは、道徳の時間だけではない。 むしろ、日常生活の方がずっと多い。

          #133_ 道徳科を学ぶ意味を考える

          #132_伝統文化を考える

          今日の午前中は、オンラインセミナーを実施した。 わたしの担当は、内容項目の深め方。 内容項目と道徳的価値の違いって何よ?から話を始めた。 アンケート結果では、得意とする内容項目と苦手とする内容項目は、その差が非常に顕著だった。 「よりよく生きる喜び」に8票入ったのは意外だったが、およそ想定内。 「伝統と文化の尊重」「国や郷土を愛する態度」「感動、畏敬の念」「自然愛護」「真理の探究」このあたりの内容項目は敬遠されているようだ。 一年に一度扱う程度、日常からは遠い教材が、一

          #132_伝統文化を考える

          #131_内容項目理解の深め方

          内容項目を深く理解するためには何が必要なのだろうか。 「教材研究ってどうやるんですか?」 よく訊かれる問いの一つ。 わたしが答えるのはただ一つ。 「対話です。」 一人で理解を深めるには限界がある。 問い続けなければいけない。 だからこそ、相手が必要だと思っている。 chatGPTが出てきて、一人でも内容項目理解がある程度深められるようになったけれど、まだまだ人間の思考には及ばない。 問い続けること。 問う相手を見つけること。 道徳の授業をすること。 これに尽きる。

          #131_内容項目理解の深め方

          #130_20代の脳・30代の脳

          「脳の働きは20代がピーク」 何となく、そう思ってた。 30代で附属小に入ってから、どうしても理解できない理論とか、よくわからない授業実践の記述がでてきて、「わたしほんと、頭悪いなぁ、、、」と思っていた。 一緒に働いていた40代の先生は、文面だけで現象を理解できるのに、わたしはイメージすら湧かない。 そんなことが往々にして起こっていた。 今日まさに、「もしかしたらそれ、違うかも、、、」と思える書籍に出会えた。 「海馬ー脳は疲れないー」 わくわくしてきた。 脳のインフ

          #130_20代の脳・30代の脳

          #129_自分と向き合う時間

          初めてのタブレットを使った活動は、無法地帯だった。 シダ植物、コケ植物、藻類について調べる時間をとった。 該当生徒は3名。 スクラッチをする、部活のシューズについて調べる。 一度注意勧告し、再び動揺の行為をした場合はタブレットを預かった。 授業後、掃除前と帰りの会前にも同様の行為が見られ、1名のタブレットを再び預かった。 規律への甘さは自分自身への甘さ。 「そもそも」なぜやってはいけないのかを考える時間を確保した。 一度崩れている規律を自分の中で再構築し、守れるように

          #129_自分と向き合う時間

          #128_わくわく発見力を磨く

          特別支援の大家、川上先生のオンライン講座を受講して以来、興味をもって、脳科学の本を細々と読んでいる。 今読んでいるのは「脳は疲れない」(池谷裕二・糸井重里) 面白いと思ったキーワードをもとに考えたい。 書かれたのは平成17年。今から20年前だ。 にもかかわらず、わたしにとっては新鮮な情報の宝庫だった。 いかに自分が無知かを思い知った。 「脳のピークは20代」 巷でよく言われる言葉。 でも、自分の半生を振り返ってみても、わたしが脳をフル活用し始めたのは20代から、30代に

          #128_わくわく発見力を磨く

          #127_利益は健康な体から出るウンチである

          先日紹介していただいた、長野の伊那食品工業の社長の著書に書かれていたのがこの言葉である。 日本にある企業の99%は中小企業。 わたしが住む県でも、その事実は変わらない。 日本経済を支えてきたのはこのような中小企業である。 著者で社長の塚越寛さんは、このように問い続けている。 「会社とは何のためにあるのだろうか。」 「会社にとって成長とは何だろうか。」 これは、学校現場でもそのまま活用できる問いだと思った。 「学級とは、何のためにあるのだろうか。」 「学級にとって、成長と

          #127_利益は健康な体から出るウンチである

          #126_美術は接着剤

          今日は娘と「鉱物の祭典」に向かった。 企画展最終日、多くの方々で賑わっていた。 びっくりするような大きさの煙水晶。 目を見張るようなアクアマリン。 懐かしいデザートローズ群。 そして、北海道石。 これを見るだけで、来て良かったと思えた。 企画展には塗り絵コーナーがあった。 わたしはもっと鉱物をじっくり見たかったのだが、娘がやりたいと言っていたので仕方なく一緒に塗り絵を始めた。 やってみると、意外と楽しい。 どんどん色鉛筆が丸くなる。 塗っていると、知らない子ど

          #126_美術は接着剤

          #125_家族って何?

          今日は義両親が泊まりに来ている。 わたしはもともと、祖父母が泊まりにくる文化のない家で育った。 市内で近かったことが大きい。 泊まる必要がないからだ。 義両親とはいえ、赤の他人。 わたしは、同じお風呂の湯に入ることもちょっと抵抗があって、シャワーだけて済ませた。 銭湯や温泉は抵抗ないのに、なぜだろう。 掘り下げて考えてみると、過去の関係性によるように感じられた。 深く言及はしないけれど、子どもが生まれる前までは、義両親との関係は微妙だった。 今は普通になったけれど、

          #125_家族って何?

          #124_仕掛け学

          「授業力&学級経営力」6月号が届いた。 「つい、したくなる」仕掛け学についての論考が非常に興味深いので、以下に記す。 正論は通じない ゴミがたくさん捨てられているところに「ポイ捨て禁止」の看板を置いたところ、ゴミが増えたという事例があるそうだ。 ポイ捨てをしてはいけないことは誰でもわかる。 にもかかわらず、ポイ捨てが現実に起こっている(=ルールが守られていない)事実が目の前にあると、人はそれを破りたくなるような心理が働くということだろう。 正論で訴えても世の中は変わら

          #124_仕掛け学