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才能がない、環境が悪い、だからこそ上を向いて歩こうという話

こんばんは、AIイラスト研究室です。

いつも考えさせる投稿をしてくださる琥珀七海さまの記事から思うことをいくつか。


能力 = 理論値 x 個体値 x 努力値 

理論値というのは日本語的にあってるかどうかはわからないけど、要は良い環境で良い教育を受けられる、目標に到達するための理論が完成された環境にいる人と、そうでない人で大きく変わる。

個体値は、はい、すばり才能です。

努力値は、努力したかどうか。やるっきゃないでしょ、という話。

琥珀さまの記事でいうところの、親ガチャ、才能がない、と言ってないでまずはやりましょう、という提案は、理論値、個体値で諦めてないで、努力値で勝負してみては?ということだと思います。

これに関して、2通りのパターンで考えてみる。

1、頑張ってやった結果、色々と視えてきて「そこまでの経緯や達成度」に対して環境でこんなにも違うのか、と理解する人

これは正解、限りなく正解に近いのではないか。

努力したら結構色々と視えてくるもの。

そして、過去の自分に対して確かにあのときの環境では「年齢相応の精神的な子供」であった部分も含めて、それ以上は難しいと思うし、それはもうその程度の才能とも言える。

確かに環境は酷かったがだからと言って「やらなかった」部分があったなら、結局やらなかったのは自分でそれを環境のせいにしたところで周りは相手にしてくれない。

結局その時点でのベストを尽くすのがベスト。

ただ、まぁ人間ってそんなに簡単に大人になれないもので、いろいろ努力した結果、少し成長した自分の反省材料みたいなもの。


2、やらないで文句だけ言ってる人

昔より環境による差が圧倒的になったと思う。

中学受験が当たり前という時代になった今、環境の差は恐ろしい。

しかし、それよりもっと恐ろしいのはSNSや動画などで、環境の違いが見えるようになったことではないか。

昔は環境の違いを感じる機会が圧倒的に少なかった。

スポ根魂の熱血指導で盲目的に努力する。あるいは努力を強制される。結果、悪環境を乗り越えれた人も多かったのではないか。

現代の、みんな違ってみんな良い、徒競走は全員一着、のような環境では、環境の差を超えることは難しいのかもしれない。

ましてや「頑張らなくていい」とか「ありのままで良い」というワードで溢れた優しい社会である。

1で紹介した、人はそんなに簡単に大人になれない、と私は思うので、結果としてやらないで文句だけ言ってる人が量産されちゃうのかなと。

昭和平成のシゴキ指導が教育として良くない、という流れで今の優しい教育があるのだが、それが最終的に文句言う人を育てているのでは、という点はなんとも皮肉的である。


結論。

環境が悪いかもしれない。

才能もないかもしれない。

だけど、一つ一つやろう。

上を向いて歩こう。

歩き出そうよ。

そんな風に私は思います。雑な文章ですいません。



PS. 大人になれないくせに童心は簡単に捨てる人が多いのは何故だろう。

梱包に使うプチプチ。

職場に特大サイズのプチプチがあったので嬉しそうに「うわー!すごい!」とはしゃぎながらプチプチしてたら20代の人たちに「もうそんな年齢はとっくに過ぎました」と冷ややかな視線。






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