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なつかしいお皿

偉人伝が小学校のころ
大好きでした。
キューリー夫人、
野口英世、湯川秀樹、、、

わたしがその中に
入れたいのは
とおい祖先の
梅田五月(うめださつき)です。

梅田五月



幕末に石川県江沼郡大聖寺(現加賀市大聖寺)に
生まれた大聖寺藩士。

若い頃は藩のすすめで剣や洋学を
おさめています。

                大聖寺会館まえの胸像                          

廃藩置県のあと       
士族授産のために産業振興、公共事業に尽力、北陸鉄道発起人、熊坂新道開墾、九谷陶器会社、衆議院議員、大聖寺町長、県工業学校校長、、、歴任しています。       

多忙なうちにも
風流を好み
書画をたしなみ
78歳で没しました。


石川県九谷焼美術館



石川県加賀市大聖寺にあります。
この美術館から
先人をたどる旅をはじめました。

北陸金沢から普通列車で
一時間ほどです。

駅前に九谷焼のカラータイルを
はめた「九谷焼發之地」の石碑が
迎えてくれます。

色絵五彩のタイルつき

その前をぬけるとすぐで
徒歩10分ほどでしょうか。
到着です。

みじかな公園にある
箱ものではない
二階建で
ちいさな中庭には
水琴窟もありました。

九谷焼の様式(青手、色絵五彩、赤絵金襴手)が
時代順の解説と銘品群が100点以上つづき
あっとうされます。


大聖寺伊万里・2009年

無地や絵柄の少ない
陶磁器が好みの
わたしには出会えない世界でした。

歴史パネルには
はっきりと九谷陶器会社
梅田五月の名前がありました。

パネル展示

これが大聖寺と名が付く
やきものにひかれた
はじまりです。


大聖寺伊万里

明治から昭和にかけて
主に旧江沼郡大聖寺町内において
九州の「色絵伊万里」を
本歌取り(写し)した
やきもので
正真正銘の九谷焼です。

その上質な上絵付の
すばらしい技術と製造量で
本場九州をしのぐほどの
隆盛をみました。


なつかしいお皿

旅のあとに
我家にやってきた
大聖寺伊万里のお皿があります。

染付金彩色絵なます皿、
口径約15センチ、高さ約4.4センチほどで
お料理の汁がこぼれないよう
縁高なお皿です。
ていねいな上絵、高台の特徴から
大聖寺伊万里とわかります。

大聖寺伊万里なます皿

明治、大正、昭和、
どの時代のやきものかは
わかりません。

心を込めた
筆のおきかたが
びみょうに違います。

絵付師はその時
なにか考えながらかしら
無心だったのかしら等と
想像がふくらみます。
窓絵のタンポポ図は
モダンです。

酢の物ばかりでなく
ふだんの煮物も
おいしく見せてくれます。

何世紀もつづく
先人たちのやきものが
現代のわたしに
バトンを渡してくれました。

記事を書きながら
いにしえにおもいを
はせました。

わがやのお皿は
まだほんの少しの時しか
刻んでいません。

けれど歴史をふりかえったことで
たくさんのものがたりが
身近になり
なつかしい”おさら”になりました。

温故知新でしょうか、、、











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