見出し画像

経営に活かしたい先人の知恵…その11

◆組織の発展・衰退はリーダー次第◆

 
 帝王学の書とされる『貞観政要』に、「昔の理想とされたリーダーたちは、前の悪い時代の人民を残らず取り替えて治めたわけではではありません。そのときの人民を教化する、そのやり方いかんにあるだけです」と、側近の魏徴が太宗(唐の二代目皇帝に)語ったとの記述がある。

 「リーダーの考え方・リードの仕方が変われば組織は変わる」というのが、私の持論だが、過去、弱体化していた組織を再生したリーダーたちは、魏徴の指摘にあるように、民や部下を入れ替えたわけではない。それでも大きな成果を挙げていることから、そうした考えを持つようになった。

 恩田木工(信州松代藩家老)、上杉鷹山(米沢藩藩主)、二宮金次郎(相模小田原藩出身の農民・農政家)は、それぞれ立場は異なるが、いずれも江戸時代に疲弊した地域の再生に成功している。この3人も共通するのは、民を入れ替えず、意識改革によって蘇らせたところだ。

 恩田木工は、藩政改革を任された時領民に、「これまで役人たちが悪いことをしたのであれば、それをしたためて密書(護符)の形で差し出して欲しい」と、申し出ている。この言葉を聞いた老職以下の幹部は顔色を変えたという。

 差し出された密書には、役人たちの悪事が書き連ねられていた。これを見せられた殿様・真田幸宏が木工(もく)に、どのように処分するのかを聞いたところ木工は、「これらの者は、どちらにもつくタイプ。良き人が使えば良くなり、悪人が使えば悪しくなるものです。死罪に相当する悪事をしているが、これ程のことができるのは器量があってのことです。その器量を使えば、ひとかどの御用に立ちます」と答えている。

 殿様は、悪事を働いた役人たちを呼び出し、咎めることはなく以後、木工を手伝って藩政改革に取り組むことを命じた。厳しい処分を覚悟していた役人たちは、みな感心し、木工の羽翼となって改革に励んだという。いかに木工が有能であっても、一人の力では改革は成し遂げられない。木工は、過去を問わず、器量のある役人たちを、上手くリードすることで松代藩の再生に成功したのだ。

 15歳で米沢藩主になった上杉鷹山の場合には、改革に賛成する重臣は少なかった。鷹山は、改革案を自ら実践することで範を示すだけで、抵抗する重臣たちに、当初は厳しい要求はしなかった。しかし、重臣たちは、抵抗するだけでなく、数年後には、鷹山を排斥しようとした。この動きを察知した鷹山は、我慢も限界と、家臣を何千人と城内に集め、自分の改革、重臣たちの言い分、どちらを支持するかと問うている。

 この時、家臣たちは異口同音に藩主を支持すると答えたという。自分の改革が支持されていることを確認した鷹山は、この時抵抗する重臣たちを処分した。その後、米沢藩の改革は順調に進んだことは言うまでもないだろう。

 ヨーロッパの虎といわれた、19世紀のフランス首相、クレマンソーは、「この日本の思想家に、是非一度会いたいものだ」と語ったとされる。また、アメリカのケネディ大統領は、「最も高く評価したい日本人」として、鷹山を挙げている。

 江戸末期に、600を超える農村を立て直した二宮金次郎の農民に対する対応の仕方は、木工、鷹山と似ているが、彼の場合は改革のプロセスも紹介したいので、稿を改めて紹介する。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?