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天沢退二郎さんと沖縄

 大変に逆説的で、そのくせじつにまっとうな、健康な詩集である。それはそもそも〈私でないもの〉というタイトルにほとんど十二分に表れている。
 そもそも「私」というもの自体、まったくよくわからないものの典型で「私」という字一字を一生懸命見つめていても、その正体やイメージが何一つわかるわけがなく、ただそこには「私」という無色無名の空(くう)がチョコンといるだけだ。

山之口貘賞・選評「逆説的で健康な詩集」/琉球新報2013年7月16日

天沢退二郎さんが1月25日、亡くなりました。
沖縄と天沢さんの関わりといえば、なんといっても沖縄在住者・出身者による詩集を対象とした山之口貘賞の選考委員を2003年から13年間、つとめたことでしょう。

その間に見いだされた受賞者は22人、作品は22詩集あります。この年代の山之口貘賞は、松永朋哉さん、瑶いろはさん、西原裕美さん、佐藤モニカさんら、20代から30代の若い世代に焦点が当たり始めた時期でした。

なかでも西原裕美さんの詩集『私でないもの』(私家版)が受賞した2013年の天沢さんの選評が、冒頭に引用したものです。「私」というものについて「まったくよくわからないものの典型」であるとか「空(くう)がチョコンといるだけ」といった表現があり、西原さんの詩集への評を通して天沢さんの価値観が垣間見えるような文章になっていると思います。

 そこで「私でないもの」を考えることで逆に、この詩人は「私」の存在も何もすべて徹底的に疑い、その疑いを追求することで、人間が生きることの意味を暗示してみせる。健康的でないくせに健康的で、ひねくれているくせにまっとうな、若々しくすぐれた作品だ。

琉球新報2013年7月16日

他の選評をみると選考委員3人が一致して推薦しているようですが、特にこのような表現があることから、天沢さんも強く受賞を推していたことがわかります。ひねくれているからこそまっとうである、というような、人間が生きるとはどういうことかという問いに通じる言葉があるように思います。

天沢さんが選考委員をつとめた13年間、選ばれた詩集は以下の通りです。


2003 松永朋哉「月夜の子守唄」
2004 仲程悦子「蜘蛛と夢子」
2004 水島英己「今帰仁で泣く」
2005 大城貞俊「或いは取るに足りない小さな物語」
2005 久貝清次「おかあさん」
2006 岡本定勝「記憶の種子」
2007 仲村渠芳江「バンドルの卵」
2008 大石直樹「八重山賛歌」
2009 上江洲安克「うりずん戦記」
2009 トーマ・ヒロコ「ひとりカレンダー」
2010 瑶いろは「マリアマリン」
2011 下地ヒロユキ「それについて」
2011 新城兵一「草たち、そして冥界」
2012 網谷厚子「瑠璃行」
2013 西原裕美「私でないもの」
2014 かわかみまさと「与那覇湾―ふたたびの海よ」
2014 米須盛祐「ウナザーレーイ」
2015 波平幸有「小の情景」
2016 山川宗司「少年の日といくつかの夕日」
2017 あさとえいこ「神々のエクスタシー」
2017 佐藤モニカ「サントス港」
2018 新垣汎子「汎」


天沢さんが沖縄の詩の世界に与えた影響は計り知れないものと思います。
ご冥福をお祈りいたします。


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