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文献紹介『世界の未確認動物』

文献紹介

星香留菜&並木伸一郎&志水一夫&ジョン・ホワイト共著
花積ヨーコ訳
『世界の未確認動物』
学習研究社、1984年、148頁、本体価格485円
(ISBN4-05-103452-6)


 本書『世界の未確認動物』は、ポケットムー・シリーズ(※1)の一冊である。
 ポケットムーは、超常現象とオカルトの専門誌『ムー』(ワン・パブリッシング、1979年創刊)が1984年より展開した新書のシリーズで、『怪奇人間』を皮切りに全16冊が刊行された。
 その第7巻に当たる本書のテーマは、題名にもあるように「未確認動物」である。
 未確認動物とは、ある程度知られてはいるが未だ学術的に確認されていない動物のことで、狭義には標本こそないものの目撃者がいて、なおかつ写真や足跡、体毛、糞など、その報告を補強するような間接的証拠が存在する動物を指し(※1)、日本では「UMA」(Unidentified Mysterious Animalの略。「ユーマ」と発音する)という総称が定着している。
 この未確認動物ならびにUMAという言葉が世に広まったのは、動物研究家として知られる實吉達郎氏(1929- )の著書『UMA 謎の未確認動物』(スポーツニッポン新聞社出版局、1976)が出版されて以降のことだが、それまでは「未知の動物」という呼び名がよく使われていた。だが實吉氏が同書で指摘しているように、「未知の動物」という言葉には若干の問題がある。というのも「未知」では未だ知られていない、すなわち目撃すらされていないという意味を含んでしまうからだ。
 そのためこのnoteでは今後、本書で取り上げられているような生物の総称として「未確認動物」を用いることにしたい。なお「UMA」という言葉だが発案者は實吉氏ではなく、超常現象研究家で翻訳家の南山宏氏(1936- )である。つまりは日本でしか通用しない純和製英語であり、海外では1983年にカナダの未確認動物研究家ジョン・E・ウォールが提唱した「Cryptid」が、未確認動物を表す用語として定着していることを付け加えておこう。
 さて本書は、これまでご紹介した文献と同じく、複数人の超常現象研究家による共著書となっている。その構成と各論考の執筆者は次の通り。

◎第1章 中国の野人、ヒマラヤの雪男(並木伸一郎)
 ● コラム UMAって何?
 ● コラム 巨大なミミズ、ミニョコン
◎第2章 ビッグフットは異星人か(並木伸一郎)
 ● コラム 大ダコ・大イカ
 ● コラム ユニコーン
◎第3章 ネス湖の怪獣ネッシーを追う(星香留菜)
 ● コラム ニュー・ネッシー
 ● コラム オゴポゴ
◎第4章 モケレ・ムベンベ(並木伸一郎)
 ● コラム 恐竜は絶滅してしまったか
 ● コラム ドラゴン
◎第5章 大洋の怪物大ウミヘビ(星香留菜)
 ● コラム アマゾンの大ヘビ
◎第6章 プラズマ生物スペース・クリッター(ジョン・ホワイト)
 ● コラム ホダッグ
◎第7章 〝人魚〟目撃記録(星香留菜)
 ● コラム ジェニー・ハニバース
◎第8章 日本の未確認動物(志水一夫)
 ● コラム 絶滅した鳥たち

 ページ数は少ないが、世界の代表的な未確認動物に関する情報が読みやすくコンパクトにまとめられている。中でも第6章は、スペース・クリッターの解説であると同時にUFO=空中生物説の紹介でもあり、UFOファンにも参考になろう。そして第8章は、1974年3月に兵庫県西宮市において動物学者や生物学者28名を集める形で開催された、その名も日本新怪獣会議の内容が紹介されていて、国内の未確認動物を語る上で欠かせない資料となっている。
 また『ムー』誌といえば、超常現象やオカルトに否定的な情報は原則掲載しないという方針のもと編集がなされているが、確かに本書は肯定的な情報中心ではあるものの、未確認動物研究の秘部や恥部、偽の未確認動物などについても触れており、それほど一方的というわけでもない。
 特に印象深かったのは、1961年にチベット政府が雪男の存在を認める声明を出し、海外から雪男の探索にやって来た人々に1万ドルで許可証を発行。結果、地元住民たちが金目当てにこぞって雪男関連の情報やその実在の証拠を捏造してしまうくだりである。
 筆者のように雪男の実在を信じている人間にとっては残念きわまりない情報だが、未確認動物を巡る金銭トラブルは、本書の第4章で言及されているモケレ・ムベンベ探検でも起こっている。
 例えばモケレ・ムベンベの生息地とされるコンゴ共和国のリクアラ地方に向かったある探検隊は、その目撃証言を得るために地元の住民たちに金を支払い、否定論者たちに「原住民たちは金が欲しくて探検隊が喜びそうな情報を話しているだけだ」などと反論するきっかけを与えてしまった。さらにまずいことに複数のモケレ・ムベンベ探検隊が地元住民たちに金品をばらまきすぎたことで、今度は住民の側が探検隊に法外な額の金などを要求する「事件」まで起こるようになったというのである(日本のテレビ番組取材班もその「被害」に遭ったらしい)。
 そういった話にも興味関心のある方は、本書第6章のコラム「ホダッグ」と、第7章のコラム「ジェニー・ハニバース」の項目を参照されたい。僭越ながら補足させていただくと、ジェニー・ハニバースとは一時期ヨーロッパ各地に出回った未確認動物の標本の総称で、その正体はエイなどの死体を加工したものだが、なぜそれらをジェニー・ハニバースと呼ぶのかについては、過去に米国の魚類学者ユージン・ウィリス・ガッジャー博士(1866-1956)やオーストラリアの魚類学者ギルバート・パーシー・ホワイトリー博士(1903-1975)が調査したものの、はっきりしたことはわからなかった。未だに謎である。
 超常現象は魅力的なだけにキナ臭い話もまた後を絶たないが、残念ながら未確認動物という分野も例外ではないようだ。それでも筆者はこの分野が好きであり、地球にはまだ現今の科学知識を覆すようなCryptidが生息していると固く信じている。もちろん関連情報には極めて慎重な態度をとらねばならないことは言うまでもないが。
 ではここで各論考の著者たちについて簡単に紹介しておこう。
 第1章と第2章、第4章を担当した並木伸一郎氏は超常現象研究家。1947年、東京都に生まれ、早稲田大学を卒業後、日本電信電話公社(NTTグループの前身)に入社。退職してからは超常現象研究に専念し、日本三大UFO研究団体の一つであった日本宇宙現象研究会と、超常現象研究団体である日本フォーティアン協会の会長を務める。また世界最大のUFO研究団体Mutual UFO Network(MUFON)の日本代表でもある。著書多数。
 第3章と第5章、第7章を執筆した星香留菜はUFO研究家、久保田八郎氏のペンネームである。1924年、島根県出身。慶應義塾大学卒業後、1953年から米国のUFOコンタクティー、ジョージ・アダムスキー(1891-1965)と文通を始め、1961年にアダムスキー支持団体の日本GAPを設立。1999年に亡くなるまでアダムスキーの体験談と宇宙哲学の普及に努めた。
 第6章を書いたジョン・ホワイトは米国の著述家で超常現象研究家。1939年に生まれ、1961年にダートマス大学で学士号を、そして1969年にイェール大学より教育学修士号を取得。アポロ14号の乗組員だったエドガー・D・ミッチェル(1930-2016)が1973年に設立したInstitute of Noetic Sciences(IONS)のディレクターを一時期務めていた。著書ならびに編書多数。
 第8章を担当した志水一夫氏は作家兼科学解説家。1954年、東京都生まれ。高校時代より超常現象やオカルトの研究を始め、慶應義塾大学在学中にライターとして活動を開始。卒業後も超常現象雑誌や科学雑誌など各誌にて記事を執筆するほか、数多くの研究団体に所属。いくつかの団体では役員を務めた。2009年、胃がんのため逝去。55歳だった。
 最後に個人的な思い出を書かせていただく。筆者がまだ中学2年生の頃である。
 当時住んでいた団地の近所に小さな古本屋ができた。店の前には脱法ドラッグなどを売る自動販売器が置かれ、若干いかがわしい雰囲気が漂っていたが、思い切って店内に入ってみた。生まれて初めて一人で古本屋に足を踏み入れた瞬間だった。そして購入したのが『学研のドッキンシリーズ② 怪獣は世界中にいる?!』(学習研究社、1990)と本書だったのである。価格はどちらも200円だった。
 幼い頃から超常現象に興味を持ち、小学校の図書室で関連書籍を読んではいたものの、小遣いで超常現象の本を買ったのは初めて。これがきっかけで超常現象に本格的にのめり込むようになり、資料を集めたり研究団体に入会するようになり、肯定派と否定派双方を批判して多くの敵を作り、このnoteを執筆しているというわけである。
 ちなみに中学2年の夏休みの宿題だった読書感想文は本書を題材にした。感想文の現物はもう手元にないが、確か「私は一生この本を読み続けるだろう」などと書いたように記憶している。
 筆者が本書を入手してから早いもので間もなく30年になるが、その思いは今も変わっていない。


※1:狭義には標本こそないものの~
 そのほかにも未確認動物の研究者たちは、学術的に絶滅が宣言されたものの生き残っている可能性がある動物や、本来の生息地ではない場所で目撃された動物も研究対象としている。

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