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去年の夏、湖で死んだ弟が…今年の盆に…(前編)

去年の夏…
弟がこの湖で死んだ…

 あれは…去年の夏に起きた、我が家にとって最大の悲しい出来事だった。

 我が家では毎年の夏に、家族でこの湖のほとりのコテージに避暑ひしょに来る事にしていた。それは私が物心ついた時から続いている、私の家族の夏の楽しみだった。
 そこは父方ちちかたの実家の近くにあり、このコテージは私にとって祖父である、父の父親が所有する土地に建てられているのだった。
 私達の毎夏の訪問を、いつも祖父母は待ち望んでくれていた。ありがたい事に私と弟は彼らにとって、文字通り目に入れても痛くないほど可愛い存在らしい。私達姉弟も、そんな祖父母に会うのが夏休みの楽しみでもあった。

 私は今年3年生になった女子中学生だ。来年は受験をひかえている。弟は生きていれば、今年中学1年生になっていたはずだった。
 享年きょうねん12歳… それは死んでしまった弟自身にも、残された私達家族や祖父母にとっても、あまりにも早すぎて悲しく…残酷な死だった。

 私達家族のコテージは湖に面する様に建てられ、湖面から吹く風が昼も夜も私達に清涼感を与えてくれた。
 昨今さっこんの夏は地球の温暖化現象の影響によってか、世界各地で異常に高い気温を記録している。もちろん、日本においても全国どこへ行っても、夏場の冷房無しの生活など考えられなかった。下手へたをすれば命に係わるほどの暑さなのだから…

 だが、ありがたい事に私達が夏休みに利用するこのコテージのある場所は、事情が多少違ったのだ。
 私達の家がある都会よりも標高の高い地域に位置している事で、同じ県内においても3度ほど気温が低いのである。これだけでも、どれだけありがたい事か一度体感してみると、少なくとも夏の間は都会の実家には帰りたくなくなってしまう。
 そして湖のすぐそばにある事から、さらに1~2度は気温が低かった。
 都会よりも5度ほど低い気温… なんて素晴らしいんだろう。

 もちろん当然ながら、私にとって仲の良い友達や町での便利な生活が恋しくなる事もあるにはあるのだが、正直なところ都会のうだるような暑さの中に帰る気には私も弟もなかなかなれなかった。
 仕事でのまとまった長期休暇を取るために、父が普段から祝祭日以外の休みを我慢して働いてくれたおかげで、私たち家族は快適な夏をこの湖のコテージで過ごす事が出来るのだった。父には本当に感謝している。
パパ、ありがとう。

 私や両親にとって思い出したくも無いあの悲しい出来事は、去年の8月15日に起きたのだった… つまり、盆の当日である。
 名残惜なごりおしかったが、この地で私達家族が過ごすのが、残り二日と迫っていた。私や弟の夏休みはもう少し残っているが、父の夏季休暇があと二日でついに終わりを告げるのだ。

 私と弟は正直言うと、もう少しこの地にとどまりたかった。だが中学2年生の私は、両親にわがままを言ってばかりする子供の時期は過ぎたと背伸びをする年頃になっていた。
 帰りたくないと駄々だだをこねる小学6年生の弟の説得を両親に代わって引き受けた。

「あのね、良介りょうすけ。」
 良介とは昨年の当時、小学6年生になった弟の名前である。ちなみに名乗るのが遅くなったが、姉である私の名は桜木 薫さくらぎ かおるという。

「あんた、わがままばかり言わないの。もうパパのお休みは終わりなのよ。
 あんただって夏休みの宿題、まだ終わってないんでしょ? 私はもう終わらせたわよ。
 そろそろ家に帰って元の生活にらしていかなきゃ。あんたも来年は中学生なんだから、もう少し大人になりなさい。」

 たった2歳しか年が違わないが、この年頃の姉と弟の2歳の差は大きいのだ。中二の私からしてみれば、小学生の弟の良介ははるかに年下の子供に見えた。
 良介は反発を覚えているようだったが、私の『大人になりなさい』と言う発言がいたみたいだ。
 自分だってもう子供じゃないという彼なりの背伸びをする気持ちからか、しぶしぶ良介は私の説得に応じた。こうして、彼も家に帰る事に同意したのだ。

 両親というよりも、特にパパは良介を説得した事で私を見直したようだった。

かおる、やるじゃないか。さすが中学生になっただけの事はある。
それに、お前はだんだんとママに似てきたな…」
 パパはウインクしながら、私にそうささやいてきた。

「当り前よ、パパ。私は良介と違って、もう大人なんだから。」
 私はめられた事がまんざらでは無く、得意げに少し胸をらせながら父にウインクを返した。
 そんな父と私を見て母が楽しそうに笑っていた。
 弟の良介は私だけが父に褒められた事に、ふくれっつらをしたままゲーム機をつないで映し出したテレビの方に視線を戻した。

これが8月14日の夜の出来事だった。

 そして、私たち家族にとって運命の日となる8月15日の盆の当日がやって来た。

 その日の午後2時頃、良介が読書をしていた私の部屋へ来ると言った。両親は昼食後、祖父母の家に出かけていた。
「お姉ちゃん、もうすぐ家に帰るだろ。そしたらなかなか泳げなくなっちゃうから、今日は湖で一日泳ごうよ。」

 そう言った良介は、すでに海水パンツ1枚着用しただけの姿であった。そして、彼の首には愛用の水中メガネである青いゴーグルが掛けられていた。良介は水泳や水遊びの時には、これを必ず着用しているのだ。
 その青いゴーグルは、私が良介にプレゼントしたものだった。

 すでに、いつでも泳げる格好かっこうをした良介は、私の返事を待つまでも無く泳ぐ気満々のようである。

「あら、あんた何言ってるの。水泳はダメだってば。今日はお盆なのよ。
 お祖母ちゃんに言われたでしょ。『お盆は水に入っちゃいけない』って…」
私は良介をたしなめるように言った。

「はっ! お姉ちゃん、何言ってんのさ? 今は21世紀なんだぜ?
 そんなの大昔の迷信に決まってるじゃないか。」
 良介が私をバカにしたような目で見ながら言った。口元にも薄笑いを浮かべている。

「あのねえ、良介… 迷信とか言い伝えっていうのには、ちゃんとした根拠があるのよ。昔の人達が自分の生活から学んだ事を、子孫に伝えてくれてるんだから。
 誰に何て言われても、私は大好きなお祖母ちゃんの言う事をバカにしたり、無視するなんて出来ないわ。」
 私はかたくなに良介の誘いを拒否きょひした。

 すると、良介は昨夜ゆうべ私に言われた『大人になりなさい』という小言こごとや、父が自分では無く私の肩を持った事にまだ反発をおぼえていたのだろうか…?

「へん! 何だよ、もういいよ! 僕はお姉ちゃんみたいに臆病おくびょうじゃないぞ! お盆だか何だか知らないけど、僕は泳ぎは得意なんだから水なんて平気さ!」
 そう言って私に向かって舌を突き出し、毒づいてきた。

「一人で泳いで来るからいいよ! 臆病おくびょうなお姉ちゃんは本でも読んでなよ!」

 そう私に向かって捨て台詞ぜりふいたかと思うと、私の部屋を出るなりたたきつける様に勢いよくドアを閉めた。

「もう、何よ! あの態度! ガキのくせに、お姉ちゃんの私に向かって!バカ良介!」
 頭にきた私も、廊下ろうかに出た良介に聞こえる様に大声で怒鳴どなっていた。私も小学生の弟相手に子供の様な態度だったが、その時は本当に腹が立ったのだ。

 だが、この時は喧嘩けんかになってしまったが、普段は私達二人は非常に仲の良い姉弟で、私も良介も本当は互いの事が大好きだったのだ。

 後になって思えば、この時が私が生意気なまいきだけど可愛いくて大好きな、たった一人の弟・良介の生きている姿を見た最後となってしまったのだった。

だが…
 その時の私で無かったとしても、いったい誰がそんな残酷な運命のおとずれを予想する事など出来ただろうか…

********

かおる! 良介はどこ?」

 私は興奮した母の、けたたましい声で目をまさせられた。どうやら読書をしたまま、いつの間にか私は眠っていたようだった。
 反射的に壁掛かべかけ時計を見た私は、自分が2時間以上も眠っていた事を知った。もう、午後5時に近かったのだ。

 そして、改めて母を見た私は驚いた。
 入り口に立つ母の血相けっそうが変わっていたのだ。普段から物静かな母の、そんな取り乱した姿を私は見た事が無かった。
 そして、彼女が私に向けて突き出した右手には、見覚えのある青い水中メガネのゴーグルがにぎられていた。

「良介なら湖に遊びに行ったはず… ママ、それ… 良介のゴーグル? 」

 私は、立ちつくしてその場から動けないでいる母の右手に握られたゴーグルを、なかばもぎ取る様にして受け取った。
 ゴーグルはやはり良介の物だった。私が選んで良介にプレゼントしたのだから間違えようが無かった。

 私の態度を見た母が、両手で顔を押さえて叫ぶような甲高かんだかい声で言った。

「やっぱり!
 それ… 良介が大事にしてたゴーグルよね? そうでしょ?
 ママ達がお祖父じいちゃんちから帰って来る途中で、これが湖畔こはんの砂浜に落ちていたのよ!
 今、パパが湖のまわりを必死にさがしてるわ。」
 私に向けてヒステリックに叫ぶ母の声はかすかにふるえている。そして、母の真っ充血じゅうけつした両眼には涙が浮かんでいた。

 これだけ聞けば、いつもは冷静な母がパニックを起こしている理由が私にも十分に理解出来た。良介が湖に…

「そんな… ママ…うそでしょ? 良介が…?」

 限界を超えてこらえ切れなくなったのか、ママは答えるよりも前に、私の目の前で両手で顔をおおって嗚咽おえつを上げ始めた。

「私、パパと一緒に良介をさがしてくる!」

 私はママをその場に置いて、急いで家を飛び出した。

「良介っ! 良介ぇーっ!」

 その時、湖から生暖なまあたたかく湿しめった風が吹いて来て、弟の名を叫びながら走る私のほほをねっとりとでて吹き過ぎて行った。


【次話に続く…】

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