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ねえ、マスカレード… 君の素顔が見たいんだ ⑥「私はマスカレード… 心から笑えない女」

 私の名前は一ノ瀬 笑美いちのせ えみ
 19歳の今、看護大学に通っている2年生の女子看護学生だ。
 一応というか、夢は立派な看護師になる事だ。現役看護師の母と同じ道を歩みたいと思っている。
そのために現在、日々勉強を続けている

 私は、世界中を混乱の渦に巻き込み数年前にようやく終息したコロナが始まって間の無い初期の頃に、大好きだった実の父親を新型コロナ感染によって亡くした。
 私は当時6歳で、小学校就学前で幼稚園児の年長さんだった。父はまだ33歳と若く、まだまだ働き盛りのバリバリのサラリーマンだったという事だ。
 幼心おさなごころにも記憶がある。私は大のお父さん子だった…
 父も最初の子で娘という事もあってか、母に言わせると目の中に入れても痛く無いほどの溺愛できあいぶりだったらしい。
 私はどこにいても、いつも大好きな父の後をついて歩いていた事を自分でも覚えている。

 その愛する父が、新型コロナ感染で倒れたのだ…
 コロナウィルスの感染と併発した肺炎等で重症化した父は、隔離されたまま家族に看取みとられる事なく病院で死んだのだ。
 行政から骨壺こつつぼに入ったお骨だけが母に手渡されたらしい… 
 コロナ禍初期の当時は人が集まる事が出来ず、父の葬式をげてやる事も出来なかったという話を母から聞かされた…

 優しくて大好きだった父の、あまりにもむごさびしい最期さいご
 後に母から聞いた話だが… 私はしばらくの間、ショックで言葉を発する事が出来なくなったという。
 もちろん、やがて症状は回復し数か月後の小学校に上がる頃には、再びしゃべれるようになったそうだ。
ただ…
 その後も、私は表情のとぼしい子になっていた。
 感情豊かで多感なはずの少女時代を、私は感情を表に出す事が苦手な少女となって過ごしていった。

 私には現在も健在で同居する母と3歳年下の弟がいる。弟の方は父を亡くしてすぐの頃は、やはりショックで姉の私と似た様な症状を呈したらしいが幼かった弟はいつも母について回り、母からの愛情をたっぷりと受ける事で症状はいつしか改善されていったという。
 今では…弟は高校のサッカー部で、仲間達と共に明るく元気に活躍しているようだ。
 弟はいつしか健康でたくましく、多くの友達から頼りにされる存在に成長していたのだ。私の自慢の弟である。

 母は… 娘の私から見ても贔屓目ひいきめにではなく、とても美しい女性だ。元来、明るい女性だったのが父の死でかげりのある美しさが、さらに際立きわだつようになったようだ。
 母は父を亡くし、当時31歳の若さで未亡人になってしまった… しかもまだ女性として美しい盛りだった時期に愛する夫を失い、6歳と3歳の幼い二人の子供を抱えたままで… 母の悲しみと絶望感はどれほどだっただろうか? 私は子供の頃からよく、その事を考える。

 母は父と知り合う前から看護師をしていたのだが、正式な看護師になってまだ間もない23歳の頃に父と出会って恋に落ち、大恋愛の末に25歳で私を身籠みごもり父と結婚したそうだ。
 母に言わせると、父は運命の男性だったらしい。お互いに初対面でかれ合い、すぐに恋に落ちたのだと言う。
 母は私を産むと、子供の頃からの夢だった看護師のキャリアよりも夫と娘との三人で暮らす平凡で幸せな家庭を、ためらう事無く選んだのだった。
 母は、それほど夫と娘である私を大切に思い愛してくれていたのだ。
 母にとって、家庭こそが自分の全てだったのだろう…
 私が生まれた3年後に弟が生まれて家族が4人になり、父も母も自分達の平凡な幸せを毎日噛みしめる様に生きていたに違いない…
あのコロナ禍が始まるまでは…

 世界中でたくさんの人々の命を奪ったコロナウィルスは、私達のささやかだが幸せだった家庭からも健康だった父を奪い去った…
 
返せ…愛する父を返せ!
私と弟の大好きだったパパを返せ!
母の愛した運命の人を返せ!
 残された私達3人の家族が、どんなに絶望の悲しみに暮れた事だったか…

 私達は父を亡くし、失意のどん底にいた…
 だが、最初に立ち上がったのは母だった。
 子供達と生活を守るために、母は子育てを実家の両親である祖父母に手伝ってもらいながら、子供達を養う経済力を得るために看護師に復帰する事を選んだのだった。
 私たち家族にとっては皮肉だったが、コロナ禍の当時は医療従事者が不足し、母のような看護師の資格を持つ者にとっては幸いな事に、新しく職を得るのに苦労する事は無かった。

 父の死後、陥っていた悲しみのどん底から落ち着きを取り戻した母は、すぐに看護師の職に復帰し父の命を奪い去ったコロナ禍との戦線に身を投じたのだった。
 私はそんな母を心からほこりに思った。
 私も母と同じ道を目指したいと、子供心にそう思ったのだった

 私は父が死んでから数か月後に小学校に入学し、小中学校の多感な少女期をコロナ禍の中でマスクと共に生きた。
 けれど… 私が高校に入学して間もなく、世界中の人々はWHOによるコロナ禍の終息宣言を迎えた。
 我が家から愛する父の命を奪ったコロナ禍が、ようやく終息したのだった。

 新型コロナウィルスと呼ばれた人間にとってのわざわいの元が消滅した訳では無いが、インフルエンザ等と同様の扱いにいたったのだ。
 人類は予防ワクチンの接種によって、新型コロナウィルスと共存する事を可能としたのだ。今後も人の命を奪いはするだろうが、コロナ禍と呼ばれた人類存亡の危機をも思わせる脅威に、我々人間は打ち勝ったのだった。

世界はとりあえず、平和な生活を取り戻した。

でも…
死んだ人々は生き返らない…
戻って来ないのだ
私の父も…
幸せだった家族4人の我が家の団欒だんらんも…

そして私の…
心の底からの喜怒哀楽を表す感情表現も…

私はコロナ禍終息後もマスクを手放せなかった。
顏からも…
傷ついた心をおおったからからも…

 私の『笑美えみ』という名前は、「いつも美しい笑顔を絶やさない女性であって欲しい」という父の願いから名付けられたそうだ。もちろん、母も一も二も無く賛成したらしい。

 今、私は父の付けてくれた自分の名前を重荷おもにに思っている…
 私には美しい笑顔なんて…もう無理だよ、お父さん…

 父が死んでから、何事にも深い関心や興味を抱かなかった私をきつけたものがあった。
 私がコロナ禍終息前の中学生の頃に出会った詩の世界がそれである。

 最初は人の書いた詩を読んで感動するのが好きだった。
 でも…ある日、自分で書いた詩を母に見せた。母は「私は詩の事は分からないけど…」との前置き付きだったが、私の詩をよく出来ているとめてくれた。
 大好きで尊敬する母に褒められた私は、ますます詩を好きになっていった。

 コロナ禍の終息の前後からマスクの有無に関わらず、人との付き合いの苦手だった私には心からの友達と言える存在はいなかった。その親友という存在への飢餓感きがかんのような物が、私の詩へののめり込みに手を貸したのだろうか…?
 SNSに参加する事を覚えた私は、その世界で詩を扱うアカウントへ没入して行った。

 SNSで私自身も詩を投稿しつつ、他の詩を投稿する人々にれていくうちに詩を書く楽しさも増していった。
 そして、気が付くと私の詩に『いいね』をくれる人も少なからずいて、フォローされたりするようにもなっていた。私も気に入った詩に『いいね』を付けたり自分からも積極的にフォローもしていった。

 マスク無しで人付き合いをするのが不得手な私にとって、SNSの中では積極的になれる事に自分自身で驚いた。
 なぜなのか考えて見たら、すぐに分かった。いや、私だから分かったのかも知れない…

 SNSは多くの人が匿名とくめいで参加する。自分なりのアカウント名を使って…
 つまり… SNSで活動をする人で本名を名乗っていない人は、アカウントネームやニックネームという仮面を…マスクをかぶっているのだ。
 現実世界でもマスクを手放せない私にはピッタリの世界ではないか…
 だから、私には馴染なじみやすく居心地いごこちのいい世界なのかもしれない…

 誰もが仮面を被って参加する世界…まるで『仮面舞踏会マスカレード』の様だ。素顔を隠した人々の踊る舞踏会…
 私はSNSでの自分のアカウントネームを『マスカレード』と名乗る事にした。現実でもマスクをはずせない私にはピッタリな気がした…

 Twitterでは最初は違うアカウントネームで活動していたが、途中から上記の理由で『マスカレード』に変えた。
 でも、今まで知り合った人達からアカウントネームを変更した理由をたずねられ、自分では本当の理由を説明したくなかった私は活動の場とするSNSを他に探し求めた。
一からやり直したかったのだ…
 
 そこで、私が出会ったのは『seclusionセクルージョン』という比較的新しいSNSサイトだった。
 この『seclusionセクルージョン』は、コロナ禍で家に閉じこもらざるを得なかった人々のために新しく立ち上げられたSNS…
 私にはピッタリな気がしたので、この『seclusionセクルージョン』というSNSサイトで、初めから『マスカレード』というアカウントネームを名乗っていちから始めて見ようと思ったのだ。

 私は、やっと自分の居心地のいい世界を見つけた気がした。ここが詩を書く上で自分の落ち着ける居場所の様に思えた。
 私の書いた詩にたくさんの人が『いいね』をくれる。フォロワーも増えて来た。
 個人的に親しくなってDMのやり取りをするようになった人もいる。あまり詩は上手じゃないんだけど、やはり同じ詩アカの『セイコ』さんという人にはDMで個人的な悩みを聞いてもらったりもした。どこかの会社の秘書をしているって事だったけど…

 先日、私は居心地の良かったSNSサイトだった『seclusionセクルージョン』を退会した。『マスカレード』のアカウントを削除したのだ。
 私がフォローしていた人達や私のフォロワーさん達と、挨拶あいさつする事無しにお別れしてしまった…

 原因となったのは、私が書いたある詩だった。
 私は以下のような詩を『seclusionセクルージョン』の詩アカに投稿したのだ。

 ********
 
  コロナが終わっても
  マスクをはずせない人がいる
  私もその一人
  誰にも素顔を見せたくない…
 
  そう、私は…
  マスクの中の引きこもり

 ********

 私にとっては、そんなに深い意味を込めて書いたつもりじゃない。ただ、   私自身が日常に感じている気持ちを、さらりと書いたつもりだった。
 ところが… 私の詩に対して『いいね』を付けると共に返詩を書いてきたフォロワーがいたのだ。
 それは詩人の真似事師まねごとしというアカウントネームを名乗る男性フォロワーだった。彼も『seclusionセクルージョン』の詩アカでオリジナルの詩を書いたり、SNS内の他の詩人に返詩をしたりしてそれなりに好評を得ている人物だ。
 私も彼の詩を読み、『いいね』を付けた事があった。そして、私自身も彼のフォローをしていたのだ。

 その彼から、先に述べた私の詩に対して下記のような返詩があったのだ…

 ********
 
  なぜマスクを外せないの…?
  もうコロナ禍は終わったんだ
  僕は君の素顔が見たいよ
  マスク越しじゃない君の声を
  聞きたいんだ
  コロナ禍なんて引きずってちゃダメだ
  さあ、マスクを外して
  僕と一緒に外へ出かけようよ
  
 
********

 なぜだろうか…? 私は彼の返詩に対して少し苛立いらだちと反発を覚えた…
 すでに終息はしたが、コロナ禍のせいで私と同様の境遇におちいった人々の気持ちを理解した上で、この人は言っているのだろうか?
 私にとっては『マスクを外す』という表現を、軽い気持ちの返詩で書いて欲しくは無かったのだ。
 そう思った私は、自分の気持ちを返詩にして彼にリ・モノローグ(Twitterのリツイートに相当する)した。


 ********
 
  ねえ…
  あなたに何が分かるの?
  コロナ禍は終わっても
  私はマスクを外せないのよ…
  それがいけないって
  あなたは言うの…?
  もう返詩なんかしてこないでよ
  
  私はマスカレード
  仮面無しでは踊れない…
  
  

      #詩 #返詩
     #あなたなんて嫌いよ

 ********

 そして、詩人の真似事師まねごとしから再び私へてたリ・モノローグが返って来た…

 ********
 
  ああ、何も分からないさ…
  だけど
  君だけがコロナ禍で
  辛い思いをしたんじゃない
  マスクを外せとは言わないし
  着用がいけない訳じゃない
  でも…
  いきなり「返詩するな」なんて
  失礼じゃないか
  君こそ何も分かっちゃいない
  マスクするのは君の自由だけど
  返詩するのだって
  僕の自由さ
  ほっといてくれ…
  
  

      #詩 #返詩
     #こっちだって嫌いだよ

 ********

 私は大人げなく、彼の返詩にまた怒りをき立てられた。
 そして今度こそ私の方から、この不毛ふもうな言い合いに終わりを告げようと思った。
 だが、実際に彼に送ったリモノローグは以下のような物になってしまった…

 ********

 返詩してこないでって
 言ったでしょ!
 あんたなんて
 大っ嫌いっ!

   
    #詩 #返詩
   #バカ!

 ********

 19歳にもなって、我ながら大人げないと思った。
 
 そして、私に対してのとどめのような詩人の真似事師まねごとしからのリモノローグが返って来た…

 ********

 返詩したくて
 してるんじゃねえ!
 お前なんか
 こっちだって
 大っ嫌いっだよ!
 なんだい
 マスカレードなんて
 カッコつけて…
 コロナ禍が終わっても
 マスクはずせないくせに!
 
 

    #詩 #返詩
   #お前こそバカ!
   #あほんだら

 ********

もう、私には無理だった…
 彼の言った言葉で立ち直れないほどの衝撃を受けたのだ…
マスカレードなんて
 カッコつけて…
 コロナ禍が終わっても
 マスク外せないくせに!

 これ以上、彼と話を続けても無理だと思った…
そして、私はひたすら悲しかった…
涙がほほを伝い、止まらなくなった…
 
最後のリモノローグを彼に送った。

 ********

 さよなら…

   マスカレード 😢
 

   #涙

 ********


 私は、涙を流しながら…居心地の良かった自分の『seclusionセクルージョン』のアカウントを閉じて削除した。
とても悲しかった…

 私は、自分の全てを否定された気がしたのだ…

 「さようなら、私の『seclusionセクルージョン』…」




【次回に続く…】



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