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たくさんの「呼び名」が物語ること|津久井やまゆり園事件から6年|編集部より

2022年4月22日、東大和市にある小さな市民ホールに、500人以上が集まった。

訪れた人たちは泣いたり笑ったり、ときに悔しそうに、今はもういないその人の名を呼んだ。

保育所の園長、小学校の同級生は、「ひーちゃん」と。
高校時代に所属した合唱部の先輩は、「海老原」と呼び捨てに。
運動仲間でもある障害当事者の多くは、「えびちゃん」と親しみを込めて。
20年勤めた自立生活センターの同僚は、まるで家族のように「宏美」と。

その日は、前年12月24日に亡くなった海老原宏美さん(自立生活センター東大和理事長、享年44歳)のお別れ会だった。

撮影:土屋聡

海老原さんは、重度の障害とともに生まれ、母・けえ子さんの強い信念のもと地域の小学校に通った。20代で人工呼吸器ユーザーとなり、介助者と全国を飛び回り(美味しい地酒を堪能しながら)、インクルーシブ社会の実現のために、人と人をつなぎ続けてきた。

たくさんの「呼び名」が物語るのは、500人それぞれの胸の中にそれぞれの「海老原宏美」がいて、みんなの中で確かに生きていたということだ。

「へぇ、こんな人が近所に住んでいるんだなぁ」
って知ってもらうこと自体が、一つの運動でもあるんだよなぁ

海老原宏美・海老原けえ子著『〔増補新装版〕まぁ、空気でも吸って』現代書館、54頁
1800円+税

献花台はカーネーションの花であっという間にいっぱいになり、たくさんの人たちが海老原さんの笑い声と言葉を繰り返し思い出したのだった。

撮影:土屋聡

その一方で、この世には、誰にも名前を知られないままの死がある。

19人が亡くなり、26人が重軽傷を負った凄惨なヘイトクライムから、7月26日で6年が経つ。私たちは今なお、そのうち数名の名前しか知ることができない(注1)。

詩人・石原吉郎は敗戦後シベリアの強制収容所で捕虜の死を目の当たりにし、ナチスドイツでのユダヤ人大量虐殺と重ねながらこう記している。

死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。
人は死において、その名をひとりひとり呼ばれなければならないものなのだ。

石原吉郎「確認されない死のなかで――強制収容所における一人の死」『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、3頁

津久井やまゆり園事件の犯人は、裁判において、自分が殺害した被害者のことを覚えていない、わからない、と他人事のように繰り返したという。

つまり犯人にとっては、重度心身障害のある人は「数」でしかなく、さらには「社会を貧困に陥れる」存在だった。それらから社会を救うことが自分の義務であると考え、実行した。

それは歴史、とくに戦前・戦後に繰り返し時代の表面にでてきた「優生学」の思想そのものだと言える。

戦時下といえば、個人がもっとも蔑ろにされた時代でもあります。『優生学講座』では、優生学を語る際に、個人の幸福の立場に立たないことがまず宣言されていました(第1 章第3 節を参照)。「民族」や「公共」、あるいは「国家」といった立場から、特定の人たちを「剪除」すること(切り取って取り除くこと)を志向していたのです。戦時はこうした観点がより極端に出ていた時代と言えます。

藤井渉『ソーシャルワーカーのための『反優生学講座』』現代書館、108頁


2200円+税

ここで、ジャーナリスト・佐藤幹夫さんが、ユダヤ人の大量虐殺に関わったアイヒマンと津久井やまゆり園事件の犯人の言動を重ねて考察してきたことに注目したい。アイヒマンは、自分たちは上司の命令に従い「なすべきことをしただけだ、私に罪はない」と大量虐殺への関与を否定している。ユダヤ人のアウシュビッツへの大量移送を指揮したのは、間違いなく自分であるにもかかわらず。

そして、事件の犯人も同様に、「正しいこと」に従い、それを果たすことが自分の義務であると考えて実行した。自分に非はない、そう答え続けたのだった。犯人にとってあの犯行と動機は、「社会が賛同してくれるはず」のものだったからだ。

「私たちは何も知らない、何もしていない」。
あの事件について、私たちもそんな態度をとっていないだろうか。たとえば、何かができる/できないことで線引きをし、差別を生み出してはいないだろうか。

何かが「できる、できない」という能力で子どもを評価し選別する教育が、障害者への差別意識を生み出す温床になっていないか。

成田洋樹「分ける社会を変えるには」『季刊福祉労働』167号
1200円+税

その一方で、問われるべき人が問われていないという思いもある。
政治の責任だ。犯人は事件前に、犯行声明でもある「手紙」を首相官邸(つまり安倍晋三氏)へ届けようとして断念した。

また、犯人は「安倍晋三首相もこの犯行に賛同してくれるはずだ」と強く信じて疑わなかった。「政府の代わりに俺が殺すのだから、100億円はもらえる」とも述べていたという(注2)。

安倍晋三氏は事件当時、国としての批判声明を出さなかった(注3)。取った措置は、施設の「安全強化」という名の閉鎖性の強化と、措置入院制度の見直し、つまり「治安維持」でしかなかった。

安倍政権は一人ひとりの命を軽んじてきたし、犯人はそうした空気を肌で感じてきたのだろう。コロナ以前には、2006年の教育基本法の「改正」による愛国心の強制、2007年の特別支援教育開始による分離教育の強化、長期にわたる社会保障費の削減(国立病院の統廃合、病院ベッド数の削減)。コロナ禍には小ぶりなマスク2枚だけでPCR検査を拡大せず、GOTOキャンペーン、オリンピックパラリンピックを強行。

9月27日、安倍晋三氏の国葬が行われるそうだ。津久井やまゆり園事件が被害者の名前もわからないまま忘れられていく一方で、議論もないまま国を挙げて弔ってもらえる人がいる。これはいったい、どういうことなのだろう。

国葬を行おうとしている人たちは、津久井やまゆり園事件のことを覚えているのだろうか。問うてみたい。

さらに、佐藤幹夫さんは、事件をこのように評している。

政治が戦争の「顔」を強く表し始めたときに、戦争の「顔」を剝き出しにした男が、自分は優秀なコマンドだ、いつでも戦争をする用意があるという手紙をもって、政治の中枢に乗り込んでいった。しかもそれが福祉のなかから現れた。これはいったいなんだろう。

佐藤幹夫著『津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後――戦争と福祉と優生思想(仮)』現代書館より近刊

私たちは、いのちが軽んじられ、死が数として計上されるような社会を生きている。19人のいのちが奪われたこと、政治がゆがめられ憲法改正一歩手前のところまできていること、それらはすべて「私たちは何も知らない、何もしていない」という態度から来ているのではないだろうか。

いったい今、私たちに何ができるのだろうかと考えるが、もはや小さくて当たり前のことしかできないのではないかと思う。

たとえ名前がわからなくとも、事件で亡くなった一人ひとりに確かに人生があったこと、今は叶わなくともそれを知りたいと望み続けること。そして、障害のある人やマイノリティ性のある人たちと、気軽に名前を呼べるような関係を築くこと(注4)。

海老原さんが多くの人と関係を結び、その中を生きてきたように。

この悲惨を不特定の、死者の集団の悲惨に置き換えること、さらに未来の死者の悲惨までもそれによって先取りしようとすることは、生き残ったものの不遜である。それがただ一人の悲惨であることが、つぐないがたい痛みのすべてである。

石原吉郎「確認されない死のなかで――強制収容所における一人の死」『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、12頁

そして最後に、津久井やまゆり園事件で亡くなられた19人のみなさまのご冥福をお祈りします。そのご遺族、事件で肉体的・精神的苦痛を受けた26人の方々にもお見舞い申し上げます。みなさまの平穏な日々が少しでも早く戻ることを心から願っております。

現代書館編集部 向山夏奈

(注1)事件の裁判のとき、娘の名前は「美帆」さんだと明かしたご遺族がいた。また、昨年、新しい園舎ができた際に慰霊碑が設置され、7人の名前が刻まれた。https://www.asahi.com/articles/ASP7N466LP7NUTIL007.html

(注2)佐藤幹夫氏が裁判を取材した際の、犯人の陳述より引用させていただきました(詳しくは記事末の「お知らせ」参照)。

(注3)首相官邸HPにて「安倍総理からのメッセージ」は掲載されている。https://www.kantei.go.jp/jp/mail/back_number/archive/2016/back_number20160801.html

(注4)障害のある人が周りにいないという人は、「ではなぜ出会えないのか」をよく考えていただきたい。脱施設化とインクルーシブ教育の実現は一番にして最大の近道だろう。障害の有無で学びの場を分けることの弊害については『季刊福祉労働』171号が詳しい。脱施設化については、『脱施設化と個別化給付『知的障害者の地域移行と地域生活』がある。

◎お知らせ
記事のなかでご紹介した佐藤幹夫さんの言葉は、『津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後――戦争と福祉と優生思想(仮)』より抜粋いたしました。

本書は10月下旬に当社より刊行予定です。本書の内容を先取りしたい方は、
佐藤幹夫さんによるブログをぜひご覧ください。






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